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会社としての人材のマネジメントについて(あと、人類の進化について
※画像と内容は一切関係がありません(笑)
レゴ好きの人ごめんなさい←
はいどうも、おは今晩痴話!
・・・間違えた、おはこんばんちわ!
夏休みで自分に誇れることがあるとすれば、
体重増加をほぼ0に抑えたことです。
ms-gkです。
※本日のnoteは若干の歌劇表現・過激表現が含まれます。
悪しからず御了承ください。
悪しからず御了承したのにもかかわらず、其処ら辺を喚く可能性があるな、と思った人はブラウザバックしてください(笑)←
さてさて。
何故こんな時間に日記を書いてるのかというと、
あれです。
昨日の涼しすぎる気温に当てられて、
何故か夜に呑まなかったことに起因します。
なんか自主的に普通の金曜日に酒を呑まずに寝るなんて、
本当にいつぶりだろう、っていうくらい久しぶりな気がします。
そして土曜日の午前中に何かを書いているのも(笑)
夏の急な涼しさは、なんでこんなに切なさを喚ぶのか、
誰か解明してほしい。
閑話休題。
昨晩は仕事終わりに麻雀をしていたわけですが、その最中にチームメンバーからメッセがあり、(タスク整理してリソースがどうしても足りなかったら早めに連絡くださいな、と伝えていた)
どうやらリソースがかなり逼迫していて辛い、と。
とりあえず回答として、週明けに再度のタスクの整理と各納期の調整による負荷分散と、振れる仕事はms含めて誰かに振ろうか、という話をしておいた。
これは結構難しい判断で、
や、基本的には間違った舵取りはしていないのだけれど、
昔・・・といっても4年前くらい?に自分が同じようにリソースが逼迫してやべえな、って思いながら仕事して意地で歩いて帰って思わず涙が流れた時(タクシー代がもったいない)、
あれは午前3時で、当然のように土日出社をした上でのリソースだったなぁ、と。
当然のように時代は変わり(D通さんの事件やら、人間の世代交代やら)
現状の社内は残業は22時まで推奨・・・というか22時までしかできないし、
休出はもちろん以ての外、的な風潮で、しかもチームメンバーにそれを強要することなんてナンセンスになってきている。
が。
たぶん会社としては利益も人材の費用対効果も上げなきゃいけないし、
もちろん活躍できない人は基本的にいらない。
この「活躍できない人」ってのが曲者で、じゃあ能力値が足りない人は、能力値が高い人に届くまで時間で補わなきゃいけないの?
っていう話になる。
それ、本当に話の筋通ってる?っていうね。
個人的に・・・というかおそらく世界的には、適材適所で人員配置を行った後、その人のバリューが余すところなく発揮できる環境を与え、
会社全体の最適化を行っていく、っていうのが正解だと思うんだよね。
でも、この「活躍ができない人」っていうのは、時としてマネジメント(ティーチング/コーチングを含む)では解決できない場合がある。
その場合の責任は誰が取るべきなんだろう。
会社?採用責任者?チームメンバー?
・・・と、ここまで書いてたところで、
勘違いのないように言っておくけれど、
件のメンバーは「活躍できない人」ではない(笑)
さて、責任は誰が取るべきなのか、という話。
昔の日本ならば、
明らかに会社、な訳です。
良い意味でも悪い意味でも。
「お前の一生の保証はするから、お前の人生うちに捧げてくれよ!よく働いてくれよ!」
的な後ろ盾があったから。
そりゃみんな恩義を感じて頑張るところもあるだろうし、
会社側もそんなに無下にはしてこなかったはず。
※当然例外はあるから悪しからず
じゃあ、今どうなのかって話になると、
・ベンチャー企業はほとんどが「人が成長する」ところで、その先の保証はあるところが少ない
・中小企業はおろか、大企業もいつ潰れるかわからない
・基本的に会社側にも体力が少ないことが多く、「活躍できない人」は世話できない
っていう現実の中、責任は誰が・・・って話になったら、
「そりゃ能力のない個人の責任でしょ」ってなりそう。
でもそれ、多分違うよね、っていう。
はい。
「活躍できない人」は大きく2種類に分かれるであろう、というのが、
ms-gkの主観的持論です。
こんなところに書いてるくらいだから、
そりゃ主観ありありだよね、っていうのはご理解頂けますと幸いです←
「活躍できない人」---------------
①人材が適材適所でなく、本来の能力が活かしきれていない
(本人が気づいていない場合も含む)
②基礎能力が身についていないので、基本的に能力が足りていない
----------------------------------------
①の場合は会社側の責任なので、それはなんとかしてもらうとして、
②の場合、これは家庭・成長環境、貧富差、生まれつきの能力値(先天的なハンディキャップなど)が大きく寄与していて、それを解消すべくは各家庭・・・とはならず、もはや国の作り方だと思うわけです。
国の作り方ってのは・・・端的に言うと政治なのだけれど、
多分其処には収まりきらない、今までの日本という国の成り立ちから含まれると考えます。
で。ここまで思考を整理しながら考えてきたのだけれど、
もう答えは明白で、今の日本・・・というか世界って、
家庭・成長環境、貧富差、生まれつきの能力値(先天的なハンディキャップなど)があっても、みんな生き生きとして人間として楽しく生きていこうよ(一部意訳)っていう人達な訳でしょ?
※一部カルト団体などを除く
ってことは、もうこれ社会の責任であり、一番身近な社会でそれなりに大きいものは国であり、つまり国が責任を取るべき、になり、
で、じゃあ国がどうすべ、ってなったときに、
日本が日本国民に「俺らはそう言ってるよ」ってなるわけです。
どうなるかっていうと「そういう国の中で商売やるんだから、当然国のスピリット受け継いでよね」と。
それが企業に継承されるわけです。
・・・結論、「その人と関わった企業(会社)が責任を取るべき」になると思うわけですが、いかがでしょうか←
ってことは、企業は一定数「活躍できない人」を雇用しなければならない、
ということを戦略に入れた上で戦術を立てなければいけないと。
おお、スゲー飛躍した(笑)
【今回の主観的結論】
個人は自分が持てる能力を活かして働くことを心がけ、企業は「人」を活かすために可能な限り人員を適材適所に配置することに努め、国として「人」を活かすために企業をサポートする。
ああ、なんかスっとしたわ←
でもたぶんこれ、
実際会社で主張したら怒られるんだろうなぁ・・・ 苦笑
ちなみに「活躍できない人」の
「②基礎能力が身についていないので、基本的に能力が足りていない」
ポテンシャルはあるのに基礎能力がついてないっていう人は、会社が育ててあげるべきだと思うんだけど、その人の能力をしっかり把握して伸ばすってのは、誰にでもできることじゃないからこれもかなり難しい話だと思う。
それができる会社が伸びているんだろうなぁ。
好き勝手書きなぐった挙句、
自分で書いてるうちに話に結論を出してしまったけれど、
久々の思考展開で楽しかったです←
(笑)
あ!
歌劇表現するの忘れてた!!!
◆おまけ。
こういうことを考えるときに、いつも二律背反になるのだけれど、
人類の進むべき進化の方向は、どちらが正解なのだろうか。
①人間という種として弱い個体は極力排除し、強い個体のみで形成される個体の集合体である「強さ」を主題にする
②人間という種としては「弱い個体を包括しても生存できる」ことこそが「強さ」であるから、弱いものをいかに活かしていけるかを主題にする
今の社会は②を口にしてはいないものの、方向性として「弱者」を救おうとしているわけだから、きっと人類はそれを「進化」として定義していると思う。
でも、それは本当に「進化」なのだろうか。
自然淘汰されるべきだった命を救い、種として弱体化していくのは、人間の命題なのだろうか。
ms-gkは基本的に人類の存在意義が「地球という存在の破滅因子」だと考えているので、
人類は②に進化していくにつれ、おそらく地球の寿命を縮め、天災なんかで地球より先に滅ぶんだろうな、とか思ってしまう←
どんだけ深い業をどこの次元で背負ったのか知らないけど、果てしないなぁ、人間(笑)
ルルルー♪
といったわけでー♪
今回はこの辺でーーーー♪
ms-gkでしたーーーーー♪♪♪
【次回予告】
「幸せについて」
乞うご期待!