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受け止め切れる出来事には上限がある

先日飛び降り自殺現場に遭遇してしまった。あと少し私の立っていた場所が違えば巻き込まれていた。それくらいの距離での出来事だった。

音や見てしまったものが強烈すぎたのかぼやがかかったようにあまり思い出せなくなっている。パニックにもならなかったし涙が出ることもなかった。

今まで親しい人が亡くなった時も涙が出たりすることはなく、同じようにはっきりと出来事を認識できていないぼやのかかったような状態になった。親の死、先輩の自殺、震災などの出来事に関してはどれも同じような反応だった。

しかし、何があっても動揺しない、泣かないわけでは全くない。悔しかったり、怒られたり、失恋したりするとものすごく感情が動く。涙はぼろぼろに出てきた。

おそらく私の中では泣いて処理し切れる出来事には限界があって、

人の死>>越えられない壁>>失恋、失敗、プレッシャー

なのだと思う。同じような人は他にいっぱいいると思う。この越えられない壁を越えた感情は脳が勝手に(処理しきれないから蓋をしよう)と判断して私のメンタルを守っているのだと思う。

同じような人に言いたいのは、あなたが冷たい人だから涙が出ない、動揺しないわけではなくて、自分を守るための脳の自己防衛の結果であるということ。震災の時、私は冷たい人間なのだろうかと悩んだことがあったけど、そんなことはないんだよって昔の自分に言ってあげたい。でもそれはできないから、せめて今悩んでいる人に届きますように。

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