ウクライナ情勢を読み解く
北京オリンピックが終わりました。オリンピック憲章では「友情、連携、そしてフェアプレーに基づく相互理解」こそがオリンピック精神であると定義され、各国代表のアスリートたちがその精神に則り、しのぎを削って競い合う中で様々なドラマが生まれ、そして見る人にたくさんの感動を与えました。
一方、私たちは北京の裏側にあるウクライナにおいて、このオリンピック精神とは相反する、パワー・ポリティックス(注1) が支配する世界の非情な現実を目の当たりにしました。
(注1) パワー・ポリティクス(Power Politics)とは、軍事・経済・政治的な権力を背景に国家利益を追求しようとする政策のことで、国際関係を理解する最も基本的な考え方である
ロシアは北京オリンピックで平和ムードを演出しながら、その裏側では、圧倒的な武力をちらつかせて自らの意思を通そうとしています。
オリンピックでのドーピング問題とも相まって、「勝つためには手段を選ばない」姿勢が問題視されています。
ウクライナ情勢の理解は、日本人にはやや分かりにくいところがあります。日本から遠く離れた、白人が大勢を占める欧州での出来事であることに加え、東西冷戦構造の名残や米露の核・ミサイル戦略及び各国のエネルギー政策など、広範であまり馴染みのない分野が複雑に関係しているからだと思います。
ただ、この問題は欧州だけには留まらない威力を内包しています。そのことは後段で語ることにしますが、これまでの事象を整理した上で今後の推移を見通してみたいと思います。
1 情勢の推移
ロシアは、昨年11月からウクライナ東部の国境付近などに10万人規模の部隊を展開しています。ロシアは徐々に軍事的緊張を高めながら、12月17日に北大西洋条約機構(NATO)の拡大(注2) 停止等に係る要求を米側に通告しました。
(注2) 1990年代のソ連崩壊以降、旧ワルシャワ条約機構加盟国だった東欧諸国などが相次いでNATOに加盟する中、2008年のNATO首脳会議では、ウクライナとジョージアの将来的な加盟を認めており、ロシアが強く反発してきた経緯がある
年が明けた1月26日、米国はこの要求に応じない考えを書面で回答。2月に入ると、米国は8,500人規模の在欧米軍に加え、2,000名を欧州に追加派遣する方針を固めました(その後、更に3,000人の追加を決定)。
双方の軍事的な活動は、徐々にエスカレートします。ロシアは核兵器の使用を想定した演習を計画。一方、NATOは地中海で米仏伊3か国の空母が参加する大規模共同演習を行いました。
そのような中、ロシアは2月15日に演習を終了して撤収を開始したと発表し、装備品の一部が列車や車両に搭載されて帰還する映像を公開しましたが、米国は、この動きに懐疑的な見方を示しました(後日、べラルーシ国防省が、演習後も両軍の活動を継続すると発表)。
そして、2月18日になると、バイデン大統領が「プーチンはウクライナ侵攻を決断したと確信している」と発言。翌19日にG7外相が「重大な懸念」を表明、更に20日には米国務長官が「ロシアによるウクライナ侵攻が瀬戸際にある」と相次いで危機感を表明しました。
また、20日付の米CNNテレビは、米当局者の話として「ロシア軍の通常戦力の75%がウクライナ周辺に集結している」と報じ、米高官筋によれば集結したロシア軍部隊の規模は最大19万人と見積もられています。
一方、ウクライナ国内では、親ロシア派が所在するドネツク州とルガンスク州(注3) において、迫撃砲の使用などの停戦合意違反が多発。ロシアはウクライナ政府軍が侵攻を準備しているとし、ウクライナはロシアがテ口を企てていると主張する等、活発な情報戦も繰り広げられています。
(注3) この地域にはロシア語を母国語とする住民が多く、歴史的にも経済的にもロシアとつながりが深い。2014年からロシアの後ろ盾を受けた親ロシア派の武装勢力と、ウクライナ政府軍の間で散発的に戦闘が続いている
「機は熟した」とみたロシアは、2月21日、この地域のうち、親ロシア派が事実上支配している「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立を一方的に承認し、平和維持の名目で軍を派遣することを明らかにしました。
これに対しNATOや西側諸国が、ウクライナの主権侵害であり国際法違反であるとして非難し、米国務長官が外相会談の中止を表明する中、ロシアが国境を越えて進軍する可能性があり、ここへ来て、一気に緊張が高まっています。
2 ウクライナについて
ウクライナは、旧ソ連時代は重工業が盛んな地域で、(チェルノブイリで有名な)原発や核兵器、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、宇宙ロケット、人工衛星などを製造した「理系人材」の国であり、1991年のソ連崩壊による独立後、デジタル革命によってIT大国となりました。
また、スラブ系民族という点では民族的なルーツはロシアと同じです。
2014年3月、ロシアがハイブリッド戦(注4) という手法を用いてウクライナ南部のクリミアを一方的に併合すると、親ロシア派の武装勢力とウクライナ政府軍の武力衝突が発生、これまでに双方で1万人以上の死者が発生しています。
(注4) 軍事的手段だけでなく、非軍事的手段を併合した闘争手法。2013年にロシアの参謀総長ゲラシモフが考案したゲラシモフ・ドクトリンを踏まえて、2014年に改訂されたロシアの軍事ドクトリンに盛り込まれた
この紛争を解決するため、2015年2月、ベラルーシの首都ミンスクにおいて、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4か国による首脳会談で「ミンスク合意」という停戦合意が結ばれ、違法な勢力の武装解除を促し、親ロシア派支配地域の国境管理をウクライナに戻し、親ロシア派支配地域には自治権を与える等の合意がなされましたが、このプロセスはほとんど進まず、その後も散発的な戦闘が続いています。
3 ロシアの思惑
一方、ロシアは何を問題と認識し、それをどう取り除こうとしているのでしょうか。
ロシアにとっての脅威は、古来、ナポレオンやヒトラーなど、西方から国外勢力がモスクワに迫りくることでした。そのため、ロシアと対抗勢力の間に「緩衝地帯」を必要としてきたのですが、ウクライナのNATO加盟はその緩衝地帯を失い、直接NATOと国境を接することを意味します。
ロシアは、再三、ウクライナのNATO加盟は容認できないと米欧に伝えてきたのですが、米欧が一向に交渉のテーブルにつこうとしないため、痺れを切らして今回の軍事行動に打って出たのです。
そして、ロシアは概ね次のようなゴールを思い描いていると思われます。
① 米欧からウクライナがNATOに加盟しないという保証を得る
保証が得られない場合、
② ウクライナ国内の親ロシア派の地域を独立させる(ただし、将来的なウクライナ侵攻の口実は失う)
これにより、更に揺さぶりをかけるが、それでも事態が進展しない場合、
③ 問題を先送りにして、NATOとのボーダーについては現状維持を約束させる
「ウクライナはロシアの緩衝地帯であって欲しい」というのがロシアの本音です。したがって、短期的にはウクライナ全土を手に入れることは考えていないと思います。
加えて、2014年のクリミア併合時は、電撃的なハイブリッド戦法でうまく併合することができたものの、手口が知られてしまった2度目はそう簡単にはいかないことは、当のロシアも分かっています。
また、仮にウクライナ全土を手に入れたとしても、世界各国からの非難や制裁、4千万超の亡国のウクライナ市民から反発等、その後のことを考えると、ウクライナ全土の併合はかなりハードルが高いと思われます。
そして米国とは、もう何十年も喧嘩してきた訳ですから、犬猿の仲でありながらも、ある意味「気心が知れた仲」でもあります。お互いにどこまでの緊張状態までなら大丈夫か、分かってやってる部分はあると思います。
敢えて、ウクライナ侵攻があるように見せている(或いは、米側が危機感を煽っている)のは、本当に戦争になると思わせないと、交渉事が進まないからです。
そのことは、米国の強い口調とは裏腹に、実際に米国が欧州方面に差し向けた兵力の規模からも読み取ることが出来ます。もし米国が「ロシアは本気でNATOと戦争するつもりでいる」と分析していたら、この程度の兵力規模では済まないと思います。
4 NATOの対応
仮にロシアがウクライナに軍を進めたとしても、NATOとしては、未だ同盟国としての地位を得られていないウクライナに部隊を派遣することはないでしょう。
したがって、ドイツとのノルド・ストリーム(Nord Stream)計画の中止も含め、最大限の経済制裁を課すという対応を取ることになります。
ノルド・ストリーム計画は、ロシアからドイツまで走るバルト海の海底に天然ガスのパイプラインを敷設する計画で、1号線は2011年11月に開通しています。2号線は2021年9月に完成し、ドイツ政府による承認待ちとなっていました。
ドイツは、欧州の中でも特に脱炭素エネルギーへの転換に力を入れており、この計画はロシアの影響力を強める懸念があるとして、米国やウクライナ、その他の中・東欧諸国から反対を受けていたことから、対露政策における欧州内での足並みの乱れが懸念されてきましたが、今般のウクライナ情勢の悪化を受け、2月22日、ドイツ政府が2号線の開通を承認しない決定を下したことで、この懸念は一旦、解消されました。
また、ロシア側の要求については、今後も米国は譲歩しないでしょう。譲歩すれば、それは米国が重視するアジア太平洋地域、特に台湾問題にも波及する恐れがあるからです。
他方、「ウクライナの米欧離れ」は避けたい米国としては、いつまでもウクライナ側の要求を放置する訳にはいかず、しばらくは難しい舵取りが迫られそうです。
5 アジア太平洋地域への影響
欧州のイメージが強いNATOですが、加盟国にはアメリカやカナダ等、北米大陸に所在する国が含まれていることを忘れてはいけません。
欧州方面でのロシアとNATOの衝突は米露2大国の衝突であり、すなわち、アジア太平洋地域においても米露が衝突することを意味します。
具体的には、日本海や北方領土方面が戦場になることや、中国がロシアに肩入れして東シナ海や西太平洋でも緊張が高まる可能性があるということです。
実際に、ロシアは2月に欧州方面で軍事演習を行う中、極東方面でも20隻以上の艦船を日本海とオホーツク海南部の海域に展開しました。
以前から指摘されているような、オホーツク海の弾道ミサイル潜水艦を防護する訓練を実施したものとみられます。
米国との核戦争が勃発しても、潜水艦から発射する弾道ミサイルで反撃する力を隠し持っておくことが狙いで、万一に備えて手順等を確認したものと考えられます。
そういう意味では、極東ロシア軍の動きにも注目していれば、ロシアが対米戦の準備に着手したかを見極める、ひとつの手掛かりになると思います。
また、杞憂かもしれませんが、アジア太平洋地域で米軍の力の空白が生じれば、中国が台湾侵攻を実行に移すという「ウクライナ・台湾同時侵攻説」まで浮上しています。
6 今後の推移
米国が譲歩しない以上、先述した「① 米欧からウクライナがNATOに加盟しないという保証を得る」ことは難しいと思います。
しかしながら、保証が得られそうにないので、ロシアとしては代案として「② ウクライナ国内の親ロシア派の地域を独立させる」ことで、更に揺さぶりをかけて出方をうかがっている段階にあるとみられます。
その過程において、NATOによる軍事介入はないと踏んで、ウクライナとの紛争はある程度、想定している可能性はあります。
しかし、これによる経済制裁の痛手は大きく、また将来的なウクライナ侵攻の口実は失うことになりますので、そのうち「③ 問題を先送りにして、NATOとのボーダーについては現状維持を約束させる」ことで落としどころを探ることになるでしょう。
いずれにせよ、ロシアは既に国際社会にロシアの意思を明確に伝え、米欧を交渉のテーブルにつかせ、NATOの足並みを乱し、ウクライナ国内に米欧離れの種をまき、米中二極化に向かう潮流に一石を投じたという点で、一定の成果を収めたように見受けられます。
ただ、このような、いわゆる「瀬戸際外交」で気を付けなければならないことは、安保関係者がよく口にする "Miscalculation" 、つまり米露双方の「誤算」によって、偶発的な戦争に突入することです。
誤算を起こさないためには、双方が軍や民兵の統制を確実にしておくことが必要不可欠だと思います。
米露双方にとり最悪のシナリオは、お互いが疲弊して「中国が独り勝ちすること」ですので、今後も米露が戦うことにならないように注意しながら、慎重に駆け引きを続けていくことになるでしょう。
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冒頭で、オリンピック憲章についてふれましたが、国際社会は、今季オリンピックを機に「勝敗だけではなく、ルールを遵守し正々堂々と全力を尽くす」というフェアプレーの精神に込められた理念を、今一度、思い出す必要があるのではないでしょうか。