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推し皇帝、ウェスパシアヌスに関する素描
古代ローマ皇帝の中でわりかし好きなのが、ウェスパシアヌス(9-79年)なんである。
もちろん、他にも魅力的な皇帝は数多いる。
例えば、ガリアを制し、政敵ポンペイウスをファルサロスの戦いで打倒し、共和制から帝政への政体改革をドラスティックかつドラマティックにこなした初代皇帝(とでもいうべき)ユリウス・カエサル。
例えば、カエサルの跡を継ぎ、競争相手のアントニウスをアクティウムの海戦で破った後、最高実力者として約40年君臨し、帝政ローマを確立。後の「パクス・ロマーナ」の原型を築いたアウグストゥス。
その他、ローマの最大の版図を築いた五賢帝の一人トラヤヌスや、四分統治(テトラルキア)を導入し蛮族の脅威に対応したディオクレティアヌス、ローマのキリスト教化に舵を切ったコンスタンティヌス大帝など諸々。
そんな中で、敢えてのウェスパシアヌス推しである。
ウェスパシアヌスは、両親の名前も定かではない、平民出身。ローマ軍団や政界でキャリアを積みつつ、ユダヤ方面の司令官に就任。悪名高いネロ帝(37-68年)が帝位を追われ自殺した後、ガルバ、次いでオト、そしてウイテリウスと、将軍たちが次々と皇帝を称しては廃された内乱を制して60歳で帝位につき、10年ほどの治政でローマを立て直し、死去した。
内乱を制したことからも軍事面での能力が高いことはもちろんだが、ウェスパシアヌスは、財政や経済運営においてのセンスも悪くなかった。
中でも有名なのは、公衆便所に関する税。当時、羊毛から油分を洗い流すために公衆便所の尿が使われていたが、その尿の利用に対して業者に税をかけたのだ。これについて息子のティトゥスから反対された際に、ウェスパシアヌスは、ティトゥスの眼前に金貨を示し、「臭うか?」と言ってのけたという。
公衆便所の税のように、ネロ帝以来の放漫財政や内乱で傷ついた国家財政の仕組みをあの手この手の増税と緊縮財政で立て直しつつ、一方では、今日まで残るローマ建築の代名詞とも言える、円形劇場コロッセウムの建設に着手した。
緊縮財政一本ではなく、内乱に伴い遠心分離しかねなかったローマの再統合についても、意識と認識は及んでいたのだろう。
このように、実務能力はもちろんだが、「臭うか?」のように、どこかしらユーモラスなふるまいが多いのは、ウェスパシアヌスの魅力である。
個人的に好きなのは、死ぬ間際に言ったとされる、「かわいそうなオレ、もうすぐ神になっちまうんだろ」。当時ローマ皇帝は死後神格化されるのが通例だったゆえのセリフだが、自嘲と自負のない交ぜが感じられてよい。
また、皇帝ネロの随行としてギリシアに赴いた際、ネロ主催の音楽会で、しかもよりによってネロの演奏中に居眠りするという失態でネロの寵愛を失ったというエピソードも、味わい深い。
加えて、団子鼻の中肉中背、決してイケメンとは言えない見た目も、悪くない。軍事や財政の能力はもちろんだが、こういうどことないユーモアや親しみやすさは、政権を獲得し、運営するうえで武器になったに違いない。
息子ティトゥスの仲介もあったとはいえ、貴族出身にしてシリア総督だった当時の有力者ムキアヌスの支持を得たのも、そのような人間的な魅力もあったのではなかろうか。
ちなみに、ウェスパシアヌス死後、帝位は子のティトゥス、そしてドミティアヌスが継ぐことになる。ウェスパシアヌスからドミティアヌスまでを、その家名をとり、ローマ帝国のフラウィウス朝と呼びならわす。ドミティアヌス死後、帝位は五賢帝の一番手、ネルヴァが継ぐことになる。
さて、ウェスパシアヌス、古代ローマの中興の祖というにはやや弱いかもしれない。カエサルやトラヤヌスに比べれば、確かに目立たない。
ただ、内乱で空中分解しそうだった古代ローマの軍事や財政を整理し直し、その後の五賢帝時代におけるローマの拡大と安定の準備をした存在としてはもちろん、エリートではない庶民出身で、どこか諧謔味のある言動を残した存在として、稀有な人物に違いない。
やはり、ウェスパシアヌスは、古代ローマ皇帝の中で推しておきたい一人だ。もっとも、ウェスパシアヌス本人が推されたがっているかは、また、別の話なんである。