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才能があっても障害に阻まれる発達障害人。


何かが間違っているという感覚がある


この世界にフィットしない特性により
毎日、日々を生きる疲労感と、

何かが間違っているような気がするズレのようなものを感じながら

生活している。

最近の記事で、

「発達障害人は才能を活かしきれていないと適応障害になりやすい」

みたいなことを書いたが、

日本で生活しているASD、ADHD、発達グレーゾーンのひと、

皆も同じように、生きづらさを疲労感を抱えながら生きているのだろうか。


今日は、久しぶりにまともな休みで。

「どこかに出かけなければならない」
「充実した休暇を過ごさなければならない」という強迫観念がうっすらと
自分のなかに存在するのを感じながら、
意識するとかえってそれができず、

結局家にいる。

息子が、電車でおばあちゃんの家に行くといい、
午後に出かけて行ったので、
ひさしぶりに、猫と私だけ。

静かで落ち着いていて、
心が凪いでいる。

「ああ、わたしは一人の時間が欲しかったんだなあ」
そんな気持ちにもなるし、
一方で、
疲れがたまっているから、それを静かに癒す時間が必要だったのかも、
とも思う。

今あげた2点は、ニュアンスが微妙に違うのだけれども、
休みが必要だというのは、あると思う。

なんだか、ここ最近は、
回りすぎる頭のせいで、
自分で自分を振り回してしまい、疲れた。

こういうのが、なんやかんやいって、
障害なんだよなあと思う。

定型発達の人は、
思考を突き詰めて、
心身が疲れるまでになる前に、
それを自然にストップするという事ができるようだ。

わたしは今まで、
人間だれもが、
色々なことを思考して、
止まらなくなってしまうものだと思っていた。

それは勝手に起きる現象で、
アイデアや考えで頭が埋め尽くされて、
また、ある一定の結論を導き出すまで 『止まるということが無い』 のは
普通だと思っていた。

しかし、
この世には
「まあ、いっか」という便利な言葉が存在し、
定型発達の人は、

そこまで深く思考するということは特別なことがない限りは
そんなに無いらしい。

定型発達のひと、
多くの生徒さんや
知人、同僚、
患者さん。
多数の人と話す中で、浮かび上がってきたこと。

発達障害の思考の量と質は、どうやら
思った以上に「違っている」
らしい。

なるほど。

思考することに多くの時間とエネルギーを割いている自分には、
羨ましいような事実だった。


才能があっても障害に阻まれる


さて、またまた前置きが長くなったが、
「才能があっても障害に阻まれる発達障害人」
これがどういうことなのかというと言葉の通りなのだが、

ASDやADHDの気質があるとか、あるいは高IQの人間。

それらは、経済的に恵まれている環境がある場合、
高確率で成功する。

なぜなら、
まず第一に、自分の特性に合った進路選択に幅を持たせることができる。
つまり、選択肢が広がる。

これは何も、発達障害のあるなし云々のお話ではない。
けれど、そこまで伸ばせる環境が整っていない場合、
たいてい途中でつぶれてしまいやすいのがこの国の構造だと個人的には感じている。

会社というもののなかでも、
大手の外資系の企業や上場している有名企業に入りたい場合に、
学歴があることは必要で、

そしてその学歴を得るためには、
日本ではテクニックを持って勉強をすすめることができる
進学塾だったり予備校だったりに入り、基礎学力なりを高めていくことが必要になる。

まず、「入試」というものにパスするポテンシャルが無いと、
いくら頭が良かろうが、そこを発揮できる土俵に立つ前に門前払いされてしまう。

書きながら、「くだらない」
と反吐が出てくるようなことだが、
狭い偏った常識=成功モデルとされている日本という閉塞的な国のカルチャーはいまだに健在で、まだまだ学歴社会は強いのが現実だと思っている。

ちなみに、探求心が強く、好きなことに過集中する特性を持っているASD、ADHD人は、学歴とは別で、勉強自体ができる人間がけっこういる。

『学歴とは別で結構いる』というのは、

学習内容に興味が持てなかったり、多動の傾向が強いADHDの人の中には、知能のレベルがたとえ高くとも、

1.好きではない内容を勉強するエネルギーが全く湧いてこない、あるいは
じっとしていると眠くなってしまうか、嫌なことから逃避するための行動にエネルギーを注いでしまう。
2.   アイデアが斬新すぎて、一般の人たちの価値観の中では理解されない。
3.忙しい思考のせいで、結論がまとまる前に次から次へと先に進んでしまう。

といったことがあるので、ポテンシャルはあっても発揮されないことがあるからだ。

まあ…発達障害と一言で言っても、一人一人の好きなものは違うし、ADHDといっても、行動が多動な場合と、頭の中の思考が多動という場合でまた行動パターンも違うのだから、ひとくくりにするのは難しい。

しかし、学歴や学校の成績で評価がされていなくとも、

興味がある分野について異常に詳しいとか、
同じ年代の人間とは話が合わず、
専門書を丸暗記してしまうようなタイプの人間が一定数いることは確かだ。

残念ながら、「みんなが同じ」とか、「こうするのが正解」という平凡な価値観が評価される環境の日本では
そういう専門的な、狭く深く追求するタイプの才能が 日の目を見にくい。

いわゆる「成功」を手に入れるための3つの要素

大まかに言うと、3つの要素
才能を伸ばせるだけの、お金と、やる気があると、発達障害人でも成功に結び付きやすい。


成功のために必要な要素

残酷な真実かもしれない。

不幸なことに貧乏な家庭に生まれてしまったら・・・

アイデアはあってもそれを実現するだけのリソース、余裕がない。
才能とやる気だけで勝負しても、そのすべてを生まれた時から持っている人たちに比べると、成功までに時間がかかるという点は覚悟が必要だ。
(「お金」の部分を自分で確保する必要がある。)

才能があって、お金があっても、やる気がなければ成功しないし、
才能だけあっても成功するやる気と行動、それをするための資金がなければ宝の持ち腐れ、という状態になってしまう。

お金があるという事は、運だ。

お金があって、やる気があれば、才能なんてものは育てていける。
凡人として生まれても、家がお金があるおかげで成功へ導かれるパターンは多い。
金の力で塾・予備校に通い、習い事をして優秀な生徒のレールを敷いてもらい、学校で権力や地位を確保し、教師からも一目置かれ、トントンと、
医学部成功者の職業、医者になるという人間は見たことがあるだろう。

そんな輩を見ていて、思わないだろうか?
「こいつよりも、私のほうが絶対に頭はいいのに」
「金持ちの家に生まれていれば、私の方がぜったいにもっと上手くできるはずなのに」

そこは運だから、「まあしょうがない」と思うほかないのだが・・・。

ADHDという特性がくれるスパイス

私のADHDの値は、定型発達の基準値の3倍も高いのだが、
私の場合はその場にじっとしていられないということはなく、
座っていることはできるが思考がとにかく忙しい。目まぐるしい。

空想の世界にトリップしてしまっていることもあるし、
「あ、そういえば…」と、
アイデアが湧いてくるとそれをせずにはいられない。

バランス的には
体感的に、

衝動性が 8
体の多動 2
思考の多動 9

という感じだろうか。

(あなた自身のバランスについても考えてみてほしい。自分の特性を知りたい発達障害人は多いと思うが、自分の特徴を立ち止まって考えてみることで、向いていないことにムダに時間を割くことを回避できたりする。)

そして、すでに広く知られていることだが、ADHDとASDを併せ持っている人はかなり多い。

ASDの約30%にADHDが併存しており、遺伝子研究においても、脳の画像上の変化(ネットワークのパターン)をみても、ADHDとASDにはそれぞれ共通した特徴が認められると言われている。

さらに、精神科などの臨床でも、ASDと診断された人の約30~50%がADHDの症状をもつといわれている。

そして、きっとわかってくれる人もいると思うが、
どんな場面で自分のASDの側面が強く出るか、ADHDの側面が強く出るのかは、予想がつかない。

衝動性高く 行動的になれるのか。
はたまた 異常に細かいことが気になり、先に進めなくなってしまうのか。

ADHDのスパイスがどのくらいたくさん入っているのかが、性格として表れてくるうえでのカギになってくる。
※ただし、成長の過程で、周囲の環境の影響も少なからず受けていくことは頭に入れておく必要がある。


いつまでたっても感じる、「こんなはずじゃない」の先にあるもの

突然だが、今まで生きてきて、「こんなはずじゃない」と思ったことはないだろうか?

「もっと○○していれば、もっと○○だっだのに」
とか。

自分の能力のムラに、

「もっと自分は、できるはずだ」と思うようなところもあるのにも関わらず、
モチベーションが上がらなかったり、
変な強迫観念がブレーキとなったり、
妙な完璧主義の高すぎる理想が自分自身の道を邪魔することも、あるだろう。

この、「出し切れない感」が、なんとも悔しいような、もったいないような。

でも、この不完全感があるからこそ、
発達障害のある人は、定型発達のひとにはたどり着けない境地に、
たどり着けるのかもしれない。

自分を慰めているかのような終わりだが、
こんな風に物事を考える動物というのは、人間くらいだろうから、
「ユニークだなぁ」と 思って
「神様は、面白い動物を創ったものだ」
と、思って

止まらない思考に、自分なりのゴールを作ってみる。

そして、納得がいくところに収まれないからこそ、

「理想となるものの答えが、きっとどこかにあるはず」
と、彷徨う中で結果を出したり
新しい事に果敢に挑戦していけたりする。

不完全だから、完璧を目指すのかもしれないなぁ。








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Mina Sato IQ130 ASDの心理士/脳外科ナース/Nativecamp日本語講師
本当にありがとうございます!応援してくださる気持ちが本当に嬉しいです。「サポートをいただきました」の通知が、わたしの人生のうちの今日一日という日を幸せにしてくださいました。色々ありますが、あなたの一日も素敵なものになりますように。