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励ましが相手を追い詰める話

今日、総合病院で肝臓と胆嚢の精密検査を受けてきました。その結果、肝臓に陰が見つかり、再度の精密検査を10日後に受けることに。「肝臓に陰」…その言葉に震えながら、家族や知人に報告した際の反応から考えたことについてお話します。

「肝臓に陰があるらしいから、再度精密検査だって。腫瘍かもしれない…」

と、親しい人から打ち明けられたらあなたはどうリアクションしますか。

①「まだ腫瘍と決まった訳じゃないんだから考えすぎでしょ。」

②「きっと腫瘍じゃないから大丈夫だよ!元気出して!」

③「腫瘍かもしれないって思っちゃったんだね。それは不安だね。」

あなたならどれを選びますか。

今日のえびちゃん先生は、①も②も受け入れられない気分でした

報告した人の多くが、私を元気づけようと、まず①や②の反応をしてくれました。そりゃそうだ。落ち込んでいる人を見たら元気づけたくなりますもんね。

でも、①や②の言葉をもらった時、私は「私の不安を否定しないでほしい」と思ったのです。

肝臓に陰、位で大げさにおびえていることは自分でもよく分かっています。でも、38年生きてきて初めて「内臓に陰がある」と言われたのです。なんだか分からないものが自分の中にある。不安で仕方ない。

もし、悪性の腫瘍だったら?

もし、手術をすることになったら?

たくさんの「もし」で押しつぶされそうな気持ちの私にとっては、①も②も全く不要な励ましでした。

人と人との関係において、まず大切なのは共感を示すこと

こんな場面は見たことありませんか??

幼い子がお母さんめがけて走っています。
すると、勢い余って転んでしまいました。幸いケガは膝を軽く擦りむいた程度。でも、その子はびっくりして泣き始めます。するとお母さんは言うのです。

大丈夫だから!そんなに泣かなくてもいいよ!

実際ケガはたいしたことは無いのかもしれませんが、子どもにとっては「急に転んだ恥ずかしさ」「予期せぬタイミングで転んだことによる身体的な痛み」など、泣くに十分値する理由があります。それを、他人の判断で「大丈夫だから!」ということは、子どものもっている感受性を否定しているのと同義ではないでしょうか。

だから私は我が子が泣いているとき、「たいしたことないから大丈夫だよ」とは言いません。

「急に転んで驚いちゃったかな?」

「お膝のケガは血が出てはいないけど、他に痛いところがあるのかな?」

と、我が子が何を理由に泣いているのか、フレーミングする(定義づけ)ことを心がけています。子どもは語彙が未発達で、自分の気持ちを表現することになれていないので、大人が想像して言葉にしてあげることが助けになると考えているからです。

すると、

「急に転んで驚いたの。」とか、「お友達が転んだのを見てたのがいやだったの。」など、子どもの方から理由を示してくれるのです。そしたら今度はそれを受け止める。

「そうだよね、急に転んだからビックリしたよね。涙も出ちゃうよね。」
「転んだのを見られたのが恥ずかしくなっちゃったかな。」

そうこうしている内に、ケガの程度がひどくなければ涙は引っ込みます。そして気持ちを切り替えて次の活動に進んでいくことができるのです。

まとめ

・良かれと思って励ましていても、それが「相手の気持ちを否定している」と捉えられているかもしれません。
・落ち込んでいる人を励ましたい気持ちは分かりますが、まずは目の前の人の気持ちをしっかり受け止め、理解して、寄り添う事で、その人との関係は良好になるでしょう。

とりあえず、今日は「肝臓に陰」という不安要素を見付けた上に、誰からも①や②の反応をされて、自分を否定され続けたような気がして苦しい1日でした。誰に伝えてもこんな気持ちになるのであれば、しばらく自分の身体のことは他人に話さないと決めました。

2本目の記事はあまり面白くなかったですね。また元気になって面白い記事をあげたいな。お読みいただいてありがとうございました。

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