24-80. たまに違う世界に
天気予報を見て「この日から冷え込むぞ〜!」と意気込んで過ごしていました。
長女のシーツをモコモコのものに替えたり、2人のパジャマやら洋服やらを冬用にしていたけど、自分のことはわりとそっちのけで、ずっと半袖の薄いパジャマを着ていたので、体が冷えてることに気づいておらず。
子どもが小さいとそうなりがちで、お世話してると自分のことなんて後回しになってしまう。すっごく子どもに集中してしまう。
最近は次女が寝返りを始めて、寝返りするものの戻れなくて泣く、戻してはまた寝返りする、の繰り返し。
起きてるときは目が離せなくなり、そうそう!こんな感じだったよね!と思いながらも、『ずっと見てる』って地味にたいへん。
ごはんを作っていても「戻してくれぇ」と泣いてる声が聞こえてくる。笑
長女が年少さんくらいからだろうか。すっかり赤ちゃんらしさが消え、ずっと見ていなくても平気になり、母娘蜜月のひとときが終わりを迎えていることに気づいたときに、すごく寂しかった…のだと思う。
「思う」というのは、そのときは仕事で穴埋めをしていたから気づかなかった。今思えばとっても寂しかった。
いま、次女との蜜月のひとときにしあわせを感じている。(元気なときは笑)
それでも、旦那さんが帰ってきて「ちょっと1人になりたいからゴミ出してくるわ!!」と家を飛び出した日。
まだ19時だけど外は真っ暗で、だけど大きな子どもたちはまだ外にいるくらいの時間で、わたしはもう赤ちゃんと一日を終えようとしているのに、世界はまだ動いていて不思議な感じがした。
そして、動いている世界を感じて、少しホッとした。外に出るってそういうことだ。
「虎に翼」と「光る君へ」を一気見していた日々が終わって、なにも見なくなったときに、エンタメって息抜きになっているんだなぁ〜と気づいた。
家にずっといる生活なので、意識的にちがう世界に行かないといけないんだな、と悟った。
赤ちゃんも赤ちゃんで、わたしが注目しすぎると眠れなくて、わたしが目を逸らしていた方が勝手に寝ていたりもする。
そんなにベッタリじゃなくてもいいのよね。
なので、今朝は赤ちゃんから目をそらすために、赤ちゃんの横で「北欧暮らしの道具店のモーニングルーティン」を見ていた。
ご高齢の一人暮らしのモーニングルーティン。わたしが今喉から手が出るほどほしい、ありあまる自由な時間。
自分だけのご飯をつくって、自分のためだけに着替えて、ひとりで散歩して…とても素敵なのに、わたしがいまこの暮らしを手に入れたら、寂しくて寂しくて仕方ないだろうな、と思ってしまった。
いま自分の管理はなおざりになりがちだけど、守るものがあるのは幸せなことなんだなあ。
あの日、ゴミを出して、お風呂につかって、赤ちゃんを連れてきてもらったときに、たった10分離れていただけで、赤ちゃんに「久しぶり!」と言った。それくらいずっと一緒にいる。
長女(小2)は、甲斐甲斐しく世話を焼くタイプではないのだけど、「ちょっと近くのコンビニ行ってくるから見てて」とか、「ちょっと台所にいるから見てて」とかできるから大変助かる。(言ったのに全然見てなかったりもするけど笑)
しっかり会話ができるのも嬉しく、長女がスイミングの日は退屈で、帰ってくるのを心待ちにしてる。
次女も、長女も、わたしの大切な宝もの。
ほんとうに、ほんとうに、大好き。
ちゃんと今のこのしあわせを噛み締めておかないと!と思う毎日です。
去年のいまごろ妊娠がわかり、去年の秋はずっと寝込んでた。1年ってあっという間!