23-67. 子育てが終わったら「誰がわたしを愛してくれるのか」
人生のステージというのは気づかぬうちにじわじわと変わっているものだと思います。ここ!この瞬間に変わったねん!という区切りはなく、それでも確実に自分の価値観やステージが変わっていることがあります。
「以前のわたしなら、こうは思えなかった」
「以前のわたしなら、これはできなかった」
「今思えばあれはなかった」と後悔するとき、あれ、私変わった?って気づいたりします。
このようなジワジワした変化もあれば、この日を境に私は変わった、というより、変わらざるを得なかった、という瞬間もあります。それは人それぞれだと思いますが、わたしにとっては子どもが産まれたときでした。
子どもが産まれた瞬間から、たとえ子どもが眠っていたとしても、意識が100%自分に向くことはなくなり、そんな状況にヒーヒー、ブーブー言いながら早6年。まだまだ手がかかるものの、着々とできることが増え手が離れてくると同時に、わたしはいつか母親という役割を終える日がくるのだなぁという事実を、受け入れられるようになりました。
母親という役割はわたしにとって、一刻も早く終えたいものだったのに。「早く成長してくれないかな〜」というのはどのお母さんも一度は思ったことがあるでしょう。そしたら楽になれるのに、と。
なのに、ほんのすこし前まで、母親という役割を卒業する日が自分にもくるということ、にわかに信じ難かったのですよね。
子どもは自分を傷つける鏡のような存在だったりします。「お母さんはきょうは機嫌が悪いので何もかも全部をお休みしたいです」というムードになったとしても、子どもはそういうときほど容赦なく、粘着力たっぷりにからみついてきて「わたしのことを愛していマスカ?」という不安げな表情と共にわたしの目の奥を覗き込み、わたしの中に愛があるかどうかを確かめにくる生き物なのです。たぶん。
元気の出ないときはそれがほんと〜に辛くって。自分がいま子どもを、というか、自分すら愛することができない状態であり、それに対する罪悪感に勝手に傷つき、それをどうしようもできない自分の無力さに勝手に傷つくんです。その鏡があるおかげで、わたしは傷つきまくりのズタボロとなります。
でも、そのおかげであらためて「きちんと自分を見つめ直さなければ」と思うもんなんだと思います。それが母親になって一番よかったことかな。
子どもに与えているようで、子どもが与えてくれている。子どもを抱きしめているようで、子どもに抱きしめられている。子どもを愛しているようで、無償で愛してもらってるのは私のほう。
でも、その役割もいつか終わりがきます。産まれた瞬間からどんどん終わりに向かっています。
母親という役割を終えたら、わたしはなにを鏡にして自分のコンディションを測るのか?いつか我が子を愛してくれる他者が現れ、お役御免となったら、誰が自分を愛してくれるのか?
そうして子どもに依存する自分を想像したらゾッとします。
だから、自分で自分をしっかりと愛せるようになっておかないと本当にあかんわと思うのです。自分を知ることは自分を愛すること。今のうちにしっかりと自分を見つめ直し、わたしの方が自立しておかないとな、と思います。
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