『西岡論文「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」』を反論してみる。
ラインハルト作戦MGK論文への批判の翻訳をちょっと中断。
1995年(平成7年)と言えば、阪神・淡路大震災のあった年であり、またオウム真理教によるサリン事件のあった年でもあります。この年の日本のマスメディアはこの二つの大事件で一色だったと言っても言い過ぎではないと思いますが、この年の1月17日に発売された、文芸春秋社の月刊誌『マルコポーロ』にセンセーショナルな見出しとともに掲載されたのが、今回の表題タイトルの記事でした。
日本のホロコースト否定の歴史なんて別に研究もしてませんけど、西岡論文以前にも細々とはあったようです。例えば、西岡と仲間だった木村愛二は、その前年に雑誌『噂の真相』で「『シンドラーのリスト』が訴えたホロコースト神話への大疑惑」なる記事を寄稿していたりします。木村の記事が当時話題になったのかどうか知りませんけど、『噂の真相』自体が怪しげなB級雑誌っぽい雰囲気だったのに対し、『マルコポーロ』は出版社老舗大手の文藝春秋社の雑誌でしたし、電車にデカデカと中吊り広告まで出していたようです。
詳しい経緯はWikipediaでも見てもらうとして、あまりにも大々的に目立ったせいで、また超大手出版社とも言える文藝春秋社の雑誌に、ホロコースト否定論なんか載せたものですから、サイモン・ウィーゼンタール・センターに即刻見つかって、雑誌は即刻廃刊、編集長と社長が辞任する事態にまで発展しました。私、実はその雑誌、当時見たことがあります。読んだところまでは行かなかったと思いますが、ホロコーストやその否定論自体に対する知識もほとんどなかったし大して興味もなかったので、「へー、そうなんだ。じゃぁ私生徒会行くね」レベルにしか思ってなかったような気がします。年齢をあまりばらしたくはありませんが、その頃は私も非常に若かった(笑)
さて、当時のことはともかく、西岡は、雑誌が廃刊になった翌年だと思いますが、マルコポーロ記事よりも遥かに情報量の多い、また雑誌記事の後に批判された箇所を少しだけ訂正して、『アウシュウィッツ「ガス室の真実」』を出版します。
余談ですけど「アウシュウィッツ」でググると、その大半はこの西岡本についてのサイトがヒットします。個人的には、最近ですけど、別に「アウシュウィッツ」でもいいんじゃね? と思っていたりもしますが、なぜか日本人の多くはドイツ語の発音にうるさいらしく、「W」は「ヴ」でなければならないらしいです。ところが、英語読みでは「ウ」なのです。嘘じゃありません、英単語を発音してくれるネットサービス(Google翻訳など)に「Auschwitz」を読ませてみて下さい。英語圏の人が「ウ」と発音するのに、どうして日本人が「ヴ」と読まねばならないのでしょう? でも日本人は律儀なことに「アウシュヴィッツ」か「アウシュビッツ」と表記するのがほとんどのようです。しかしながら、日本語では外国語を表記する場合可能な限り、当該の言葉の発生した現地での発音に近く表記しなければならないのなら、あのイタリアンスーパーカー、ランボルギーニ「カウンタック」なんてイタリア語発音と全く違うとしか言いようがないし、BMWも昔の人が言ったように「ベンベ」でなければ……余談が過ぎました。
さて今回は、そのマルコポーロの西岡論文記事を反論してみたいと思います。当時も反論はそこそこあったようですが、私はそれらの大半を読んでもいないので、それなら自分でやってみようかと、今回は、現在私が持っている知識でどこまで反論できるかを具体的に自分で確認してみたいと思ったのです。具体的に細かく反論するのは非常に面倒なのですが、ともかくやってみましょう。西岡論文は以下に全文載ってます。
註:これがあった日本のネオナチのサイトが2024年4月現在、plalaから消えてしまっているようなので、以下webアーカイブを参照してください。
早速適当に引用して、反論していきましょう。
戦後史最大のタブー?
この「タブー」という言い方が姑息ですね。タブーとはこんな意味ですが、「戦後史最大」と修飾を加えることで、なにやらホロコーストの否定を語るととんでもない目に遭う、或いは、ホロコーストには実際にはものすごい秘密が隠されている、のような印象を与えているように思われます。
確かに、こちらなどを見ると、概ね西岡論文の出た時代当時から、欧州では明示的にホロコースト否定を主張する行為に刑事罰を課す法律が制定されるようになっていきます。有名なのはフランスのゲソ法で、これが1990年7月13日に採決されたとあります。ベストセラー作家・有名歴史家だったディヴィッド・アーヴィングがホロコースト否定論者に明確に転じたのも概ねその頃です。
ところが、私の翻訳記事や、最近話題になってる武井彩佳氏による『歴史修正主義』(中公新書)を読まれてきたのならわかるかと思いますが、「今、大きな疑問が投げかけられ始め」たのではありません。西岡氏が同論文で言ってるように、ポール・ラッシニエを代表として、戦後からずっと疑問を投げかける、どころか否定してきた人は欧米にはそこそこ存在したわけです。要するに、西岡は1990年頃にアメリカはカリフォルニア州のオレンジ郡まで、仲間の木村と歴史評論研究会(IHR)まで出かけて、仲間の木村が歴史評論研究会(IHR)まで出掛けて西岡に頼まれた分を含めて「リュックサックいっぱい」に否定論本を買ってきた、つまりは西岡や木村達が盛り上がったのがちょうどその頃だった、ってだけの話なのです。
私は当時の欧米にいたわけではないので、推測するしかありませんが、タブーだったと言えるのかどうかも疑問です。ホロコースト否定論なんて当時。割と普通に語られていたのではないでしょうか? 実際には法律で規制せざるを得ないほどに事態が悪化していた、と言えると思います。それに、そもそも明示的に法律で規制することをタブーとは普通言いません。
こんな風に、論文冒頭から、西岡は事実に反することを言っているのです。ところが、「戦後史最大のタブー」と書くことによって、こうした表現に弱い読者層にとって、非常に効果的な印象操作になったと思われます。なんとなれば、当時の私のようにホロコーストや否定論には全くの無知だからです。西岡は読者を騙すつもりで事実に反する表現をしたとは思いませんので悪意があったわけではないのでしょうが、自分たちの発見を「戦後史最大のタブー」とまで表現して、ものすごい大発見であることを知って欲しいとでも考えたのだと思われます。でも実際には、欧米では普通に知られていたことであり、日本では珍しいかもしれないけど、特に大したことではなかったのです。
証拠が少ないって、あるにはあるってこと?
ガス室の証拠が少ないかどうかは、評価する人によって異なるので、少なくとも客観的な評価ではありません。例えば嫌というほど証言が存在するのは、私が翻訳したこれなどでもわかります。その存在を確実に証明できる程度には証拠はあります。しかし、ここで重要なのは西岡の表現ミスです。否定派は「証拠が少ない」のではなく、「証拠が全くない」のではないのでしょうか? 「少ない」ならば「あるにはある」ことになってしまいます。西岡は、この同じ論文中の違う場所では、証拠は全くないと述べているのです。西岡は、要するに言葉の使い方が杜撰なのです。これは、本論文どころか、著書でもネットでの私とのやり取りでも、どこででも貫かれている彼の姿勢のようですので、細かい話ですが敢えて述べました。
なお、後に修正したかどうか知りませんけど、「西側に属した収容所にはすべてガス室が存在しなかったことが証明」などされていません。
西側に無かったのは、ユダヤ人絶滅を目的としたガス室のある絶滅収容所だったのです。
驚天動地……その気持ちはわかるが。
私自身、これ系の詐欺にあったことがあります。別に金を騙し取られたわけではありませんが、怪しげなトンデモ本にまんまと引っかかった経験は忘れられません。その本を読んだときには、驚天動地とは言わないまでも確かに、「これが真実なのか」のようには驚いたものです。今にして思えばアホとしか言いようがありません。騙されていた期間はほんの数ヶ月なので、大したことはありませんが、それに騙されていた当時、何人かの人には、そのことを話してしまったので、後で大変恥ずかしい思いをしました。だから、お気持ちは理解できる部分はあります。それは誰もが知ってるであろう、二十世紀の大発見である「相対性理論」が間違っている、という本でした。
そして西岡はこう述べます。
私と西岡の違いは何なのでしょうね? 私がやったのは、改めて相対性理論を自分で勉強することでした。ホロコーストで言えば、否定論を学ぶのでなく、定説側をしっかり学ぶようなものです。西岡が、どんな文献を読み漁ったのか知りませんが、西岡がIHRで本を買い漁ったと自分で自慢げに言っていたので、否定論の本ばかり読んでいたのではないでしょうか?
クレマトリウム1の捏造説を今でも捨てない西岡氏
プレサックの『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』という本は、西岡論文を遡ること6年前の1989年に出版されていますが、ホロコースト否定議論にかなりの破壊力を示した本ですから、否定論者がプレサック本を知らないのはちょっと考え難いものがあります。西岡がこの論文発表時にたとえ、プレサック本のことを知らなかったとしても、実際、2021年現在でもクレマトリウム1のガス室捏造説を捨てていないことを確認しており(もちろん、捏造説を捨てない否定論者ばかりだが)、当然現在はプレサック本も知ってらっしゃるので、おかしな話ではあります。
マットーニョレベルになると、私が確認した限りでは、クレマトリウム1のガス室にある天井のチクロン投入のための穴だけを問題にしているようであり、それならば私はまだ話はわかるのですが、西岡は煙突の捏造説まで、1995年当時の認識のままであり、この議論を西岡とした時には「いったい何を今更言ってるの?」と思うばかりでした。この件に関しては複数、記事を上げていますが、例えば以下を参考に。
兎にも角にも、事実はきちんとプレサック本に書いてあるのです。まだ翻訳技術が今よりもっとひどい時代の私の翻訳ですが、下記を参考にして下さい。
Twitter上で最も精力的にホロコースト否定論を拡散し続けるツイッタラーがいるのですが、その人もクレマトリウム1の煙突を「トマソン煙突(見せかけだけの煙突)」だとしょっちゅう言っており、長年否定派をやりながら、事実を全然知らない有様です。だーかーらー、あの煙突は、戦後の復元物であり不正確な再現物ではあるけれど、元々あの位置に煙突は立っていたんだってばさ(笑)
何度もあちこちで言ってるけど、火葬場はあったんだから、煙突がなかったらその方がおかしいでしょ。煙突が直接的にはガス室とは無関係だと言うことすら理解していないのです。
西岡が頻繁に使う枕詞
例えば、これは「私は君たちのことを憎んでいるわけでも嫌っているわけでもない。単に君たちの将来を願っているだけなのだ」と前置きして、思いっきり部下を聞くに耐えない酷い言葉で叱り飛ばすパワハラ上司、に似てないでしょうか?
こうした、卑劣な自己正当化は、その行為の罪を免ずるわけではありません。パワハラはパワハラであり、それ自体が問題なのは当たり前です。しかし、西岡はこれに類する論法を使いまくります。後で出てきますが、例えばユダヤ人ですらホロコーストに疑問を呈している、のようなことを西岡は述べるわけです。しかし、問題にしているのはホロコーストに疑問を持つ(否定する)ことそれ自体なのであり、それを主張する個人の属性は関係がありません。
西岡は本当にこの枕詞(末尾であることもある)を繰り返し何度も使っています。自分を悪い人だと思って欲しくない表れなのか、あるいは自分の主張を正しいと思わせるための印象操作目的なのか、よくわかりませんが、この幼稚な自己正当化には本当に呆れます。彼は、ホロコーストを否定することそれ自体がユダヤ人差別に繋がる危険な言論行為であることを全く理解していません。
アーノ・メイヤーとデヴィッド・コール
アーノ・メイヤーについては、こちらのヴァンペルト・レポートに詳しいです。西岡は単に、欧米の否定派の主張を輸入しただけです。西岡は、メイヤーがゴールドハーゲンに猛反論されたことは決して言いません(そもそも知らないのでしょう)。デヴィッド・コールについては、ニコニコ動画のどこかにその有名なビデオが上がっていたのですが、どこにあったのかリンクを忘れたので示せません(自分のnote記事のどっかで紹介したのですけどね)。内容については以下を参考にして下さい。
繰り返しますが、その人がユダヤ人であろうが、著名な歴史家であろうが、そんなことは関係ないのです。人間は中身が肝心なのです(笑)。
『シンドラーのリスト』を否定?
おそらくは、『シンドラーのリスト』は初めて大々的に真正面からホロコーストを映画化したもののようで、米国アカデミー賞を七部門で獲得したほどであり、今でもこの映画はホロコースト映画の代表作として一番目に上がることの多い映画です。ですから当然、否定派は『シンドラーのリスト』を毛嫌いするのです。映画はフィクションだっつってるのに、そこを無視して映画の中には間違い・嘘があるとか意味不明の難癖をつけたり。西岡も例外ではありません。
さて、この『シンドラーのリスト』について、西岡は後に、ニューヨークタイムズに載ったある記事を利用して、あたかも映画『シンドラーのリスト』それ自体が全くの出鱈目であるような印象を与えるブログ記事を書いています。
というか、元々はブログ記事ではなく、Amazonレビューでしたね。
西岡は、Amazonレビューを千投稿以上も行なっています(それが多いのかどうか知りませんが、私は百ちょっとですw)。
イスラエルというか、パレスチナ問題が話題にならなかった年ってそんなにないと思うのですが、それはさておき、1993年(日本は1994年)に公開された『シンドラーのリスト』が原作付きの、史実を元にしたフィクションであることは周知の事実ですから、残念に思う方が間違いです。史実との違いなど、日本語Wikipediaにすらいくつか載ってるくらいです。
しかし、問題は前段にあります。西岡は、あたかもオスカー・シンドラーが実際にはユダヤ人を救わなかったような印象を与えることを述べていることです。で、通常は有料でしか読めないニューヨークタイムズの過去記事を、まさか無料で簡単に読めるとは西岡も思わなかったのかもしれませんが、以下にあります。
もしかすると、サブスクにしないと読めないかもしれませんが、私の場合、Googleアカウントで無料で読むことができました。その記事の翻訳を以下に全文示します。
さて、この記事を読んで、オスカー・シンドラーはユダヤ人を救わなかった(のが史実であるとクロウ教授は述べた)と読めますか? 記事では映画がフィクションであると周知されていることを述べていないので、多少奇妙な記述になっていますが、少なくともオスカー・シンドラーが実際にはユダヤ人を救わなかった、などとは全く書いていません。
ホロコースト映画の大半はフィクションです。私が見たホロコースト映画で最も酷いフィクションは『ライフ・イズ・ビューティフル』ですが、あれほどの史実とはかけ離れたフィクション映画があったからと言って、映画の中で語られていたガス室が史実として存在しなかったことになるわけでありません。『サウルの息子』がフィクションだったからと言って、ユダヤ人犠牲者遺体を処理したゾンダーコマンドが存在しなくなるわけではないのです。
ニューヨークタイムズの記事は、きちんとシンドラーの逮捕勾留期間を書いていないのでわかりにくいですが、普通に読解すれば、単に映画の中にあったシンドラーとシュターンによるリスト作成はなかった、と言っているだけです。映画のように作成されたシンドラーのリストは実はなかった、ということです。リスト自体はあったのです。
西岡の文章は、読みようによっては嘘を書いているわけではないとも読めるだけに、悪意さえ感じさせますね。
否定論は本当に当時論破されなかったの?
あんまり細かくあれもこれも反論してると、あっという間に十万字を越えそうな勢いになってきたので、ちょっと間を飛ばします。
当時の状況など全く知らないのですが、それから約10年後の2000年前後くらいに、西岡説が当時流行り始めていたインターネットで論破されまくってた事実はあります。多分、想像するに1980年代くらいまでは単にホロコースト否定論なんか相手にされなかっただけだと思います。
が、このマルコポーロに載った西岡論文が、全く相手にしないというわけにもいかなくなった状況を作った、とは言えます。木村愛二の『噂の真相』レベルならまだしも、『マルコポーロ』は日本を代表するくらいのレベルにある文藝春秋社の雑誌でもあり、全国規模で電車の中吊り広告に『戦後史最大のタブー』と銘打ったわけですから、その影響力は半端ではありません。
で、無視出来なくなったので、私が確認する限り、日本では同時期に以下の二冊(『真実』は上下巻なので計三冊)が翻訳出版されたのです。これらの本にはホロコースト否定論への反論が載ってました。
後者の、リップシュタットについても、その本の冒頭で、この本を著すことになった経緯が書いてありますが、元々はリップシュタットも否定論を相手にする気などさらさらなかったようですし、メジャーな歴史学会的に、否定論は議論に値する学術レベルには全く達していないことなど明白だったということなのでしょう。
ともかく、西岡はその「複数の大学教授」からどんな反応があったのかを具体的に書かないので、「全く論破出来ない」がどういう意味なのかよくわかりません。私は単に、手紙を送ったのは事実だろうけど、返事が全然来なかっただけのように思います。或いは、特にまともに相手にしないような返事しかなかった、とか。
実際には、西岡氏は徹底論破される災難にあって、西岡氏自身がそれを論破し返せなかったのが事実として今もネットに残っているわけです。
ラッシニエがなんだって言うのでしょうか?
アーの・メイヤー教授同様に、ここでも西岡は必死の印象操作です。こうした印象操作的な議論は、定説側もやらないわけではありません。例えばあのロイヒターは、定説側から「ロイヒターは工学の学位を持っていなかった」等、よく言われます。そうしたロイヒターへの批判を見て、「印象操作だ」と主張する否定派さんもいますが、しかしながら、定説側のロイヒターへの批判は決してそれだけに止まりません。ロイヒターの主張への批判もちゃんとなされています。
西岡は、ホロコーストを否定する人はいわゆるネオナチだと世間では思われているだろうが、のように言って、そのネオナチの印象の悪さを逆手に取って、ラッシニエはそれと反対の共産主義者であるから決してネオナチのような主義主張だけからホロコースト否定論が出てきているわけではない、のようなことを言ってますが、ラッシニエが具体的に何を言っていたのかについては一言も書いていません。
ラッシニエについては、これもまたアーノ・メイヤー同様、先日翻訳したばかりのヴァンペルトレポートに詳しいです。
ヴァンペルト教授曰く「私は、学者としてのラッシニエが、よく言えば不正確で、原則として知的に不誠実で、悪く言えば狂っていることを示す。」のだそうです。確かに、ラッシニエの狂いっぷりはなかなかすごいです。少しだけ引用しますが、詳細は上記リンクを読んでください。
ラファエル・レムキンは「ジェノサイド」と言う言葉を作った人物として有名です。そのレムキンが「ガス室でのユダヤ人の組織的な絶滅を行ったとして、初めて告発」したと言うのですから吃驚仰天の珍説です。ヴァンペルト曰く、レムキンはそんな告発はしていないそうですから、ラッシニエの妄想爆発には驚かされます。
西岡のラッシニエに関する説明には色々と間違いがあるのですが、多分、誰かの受け売り説明を西岡流にアレンジして垂れ流しているだけだと思うので、ここでは割愛します。知りたい方はヴァンペルトレポートを参照ください。私もそれ以上はあまり知りません。いずれにしても、西岡はただただ印象操作をしているだけで、内容は何もありません。
ホロコーストの「定説」って何?
報道操作ってなんなのか、具体的な内容が全く書かれておらず、内容がさっぱりわかりません。私も、戦後すぐぐらいの状況などほとんど知らないので、どのような報道があったのかもよくわかってません。以前、Netflixにあった『ナチスの強制収容所』というプロパガンダ映画を見たことはありますが、知っていると言えばその程度です(註:プロパガンダだから嘘だ説は、私は取っていませんが、誤った解説は含まれていたように記憶します)
まぁ、西岡の主張とは異なり、ドイツにもガス室はあったとされているわけですが、ここではそのことより、西岡は「定説が変わっているではないか!」としょっちゅう主張するので、そのことについて考えたいと思います。私、これ何度聞いても意味不明です。西岡がよく主張するのは、この論文にもある通り、ダッハウ収容所のガス室の話です。ダッハウ収容所博物館の現在の説明は以下です。
私も過去に何度かダッハウに関する記事を翻訳してきております。例えば以下。
ざっくり言えば、戦後、連合軍が占領したナチスの各収容所では、死体がゴロゴロしていた収容所が沢山あって、ダッハウも例外ではなかったわけです。連合軍も戦時中から、ナチスの収容所では大量虐殺をやっているらしいとの情報には沢山接していましたし、占領してみたら死体でいっぱいだったのですから、ダッハウには明らかに殺人ガス室としか思えない部屋もあったわけですし、そこで大量虐殺が行われていたと誤解しても無理はなかったと思います。
しかし私が知る限り、ダッハウのガス室に関する目撃者・証言者は一人しかおらず、証拠に恵まれたアウシュビッツとは違い、ほんの僅かしかありません。もしダッハウのガス室が連合国による捏造ならば、何故これほどまでに証拠が少ないのか、要するに否定派の言い分としての「証拠が捏造」されていないのか、あるいは「偽証」が極端に少ないのか、理解に苦しみます。
で、西岡は、戦後のある日突然にマルティン・ブローシャートという後にミュンヘン現代史研究所の所長になる、当時は一介の研究者に過ぎなかった人物が、「ドイツ本国の収容所における「ガス室」の存在を否定した」と言うのですが、実はこれ、新聞紙上で行われた投書による議論でのことであり、突然と言うわけではありませんでした。以下にその投稿の内容が載ってますので読んでください。
西岡は必死で、現代史研究所が「定説」発表機関であるかの如くに印象操作を行なって、「西ドイツ政府の歴史に関する見解を《代弁する団体》とみなされている」などと述べていますが、そんな話は聞いたことがありません。それはともかくとして、確か、否定派の論文のどこかに書いてあったと思うのですが、ダッハウのガス室についてはそれ以前から大量虐殺は無かったのではないかと疑われていたそうです。述べた通り、あまりに証拠が少なすぎます。
そんな話はここではどうでもよくて、「定説が変わってるではないか!」の話ですが、これは明らかに、最初からホロコーストは捏造された作り話であるとの結論が前提されているから言える台詞です。要するに「話がコロコロ二転三転するから嘘だ」と西岡は言いたいわけです。でも、その話を作ってる主体は一体誰なのでしょう? ミュンヘンの現代史研究所でないことは確かです。ブローシャートは一介の研究員に過ぎず、その時ただ新聞紙上で議論していただけでした。もちろん現代史研究所が公式声明を出したわけでもありません。
話をコロコロ変えるのは実は、否定派の方なのです。ラッシニエはラファエル・レムキンが告発の最初だったといい、フォーリソンは話を捏造したのはシオニストだといい、ある人は連合国のでっち上げだと言い、否定派は思いつく限りの陰謀者を創造するだけです。二転三転どころではなく、無茶苦茶です。サミュエル・クロウェルに至っては、噂話でホロコーストは出来上がった、のようなことまで言ってます。
しかしながら、西岡が言っている「定説」とやらは、実際には多くの研究者などが様々な資料などを元にして研究し、主張した説の、いわば大きな集合のようなものでしかありません。前述したブローシャートによる新聞上での議論のように、こうではないか、ああではないかと多くの人の試行錯誤や、徹底した調査研究、厳しい議論などを経て、漠然と「定説」のようなものを私たちは色々な媒体を通じて知るだけなのです。だからこそ、「定説」が変わることだって頻繁にあったのです。ホロコーストで代表的なものは、意図派と機能派の議論でしょう。昔はヒトラーの意図によって計画的に絶滅政策が実施されたと言われていましたが、そうではなく複雑で構造的な問題がホロコーストを引き起こしたと言う説が今では「定説」になっています。これは、ホロコースト研究がどんどん進化していったからです。アウシュヴィッツやマイダネクの犠牲者数の「定説」が激減したのも、研究成果の賜物であるだけなのです。多くの歴史説が研究の進展によって頻繁に変更されるのは常識の話です。
それらの「定説」の変化は、きちんと調べればほぼすべて公に明らかにされていることなので、陰謀による変化でないことは誰にでもわかります。ところが西岡は、何故「定説」が変わったのか?について、こうした常識的な考え方は絶対に述べません。ただただ、疑惑を積み上げて行っているだけなのです。馬鹿げた疑惑ばかりですが。何故、こんな与太話に付き合う人たちが沢山いるのか、……実際、色々な多方面で沢山いるので、与太話を信じてしまう人が生じてしまう現象自体は仕方ないですけども。
証言に本物はない?
西岡は言葉の使い方が杜撰だと前述しましたが、「本物の証言」って何なのでしょう? 意味はわかりますが、「本物の証言」などという表現は普通はしないと思われます。嘘であろうが間違っていようが、証言は証言でありそれ以上でもそれ以下でもありません。「あれは偽物の証言だ」などと普通は言わないのであって、「あの証言は偽証だ」などと表現すると思います、細かい話ですが。
ダッハウについては、推測になりますが、1960年当時にはダッハウ裁判やニュルンベルク裁判でのフランツ・ブラーハの証言など、僅かな証拠すらも知られていなかったのではないかと思われます。しかし現在では前述した通り、ダッハウ収容所博物館のサイトに記される通りです。少なくともガス殺がなかったとは言ってません。ブーヘンヴァルトについては私はガス室はなかったと言うことくらいしか知識がないので、それ以上は言及できません。過去にあったと言われていたかどうかも知りません。
しかし、西岡の述べる最後の作家が、ノーベル賞作家のエリー・ヴィーゼルであることはわかります。これも、元ネタは欧米の否定論からきていると推測できます。過去に以下の通り翻訳してるからです。
そこに書いてあるとおり、単なる否定派の卑劣な嘘です。西岡は、否定説を一切確かめもしていないことが露骨なほどわかるという話です。ヴィーゼルの本を読めば済む話なのですから。
で、その続きで西岡はこんなことを言っています。
生きたまま子供を火の中に投げ入れて殺していたという証言
逆に聞きたい気もするけど、どうして歴史家がそんな主張をしなければならないのか意味不明です。それに、西岡はいったいどうやって「主張する歴史家はいない」と知ったのでしょうか? 1995年当時ですら、ホロコースト関連書籍は世界に膨大にあったはずです。全部読んだわけはないのに、何故それを知っているのでしょう?
で、実際には、ヴィーゼルだけでなく、これに類する証言は私だっていくつか見つけてます。例えばこんなのとか。
このポーランドの証言集には類例は他にも探せばいくつかあります。このポーランドの証言集自体、否定派は読むに耐えないと思いますので、全否定するとは思いますが、ホロコーストでは残虐な話は事欠かないほどあるので、別に珍しい話でも何でもありません。
でも、それって犯罪を疑われると思うのですけど?
靴や髪の毛が何人分もあったら流石にその異常性が問われるのではないでしょうか?
アウシュヴィッツ収容所の展示物についての難癖ですが、あれは別に「ガス室」の証拠だと主張されているわけではありません。誰もそんなことを言っていないのですから、典型的なストローマン論法です。靴や鞄、髪の毛や義足、日常生活備品を大量展示しているのは、そもそもそれらはアウシュヴィッツ・ビルケナウにあったからです。それらを見て何を想像しどう考えるかは、見た人の自由意思です。
多くの人はおそらく、犠牲者が本当にアウシュヴィッツに沢山いたのだと実感するでしょう。観察力の多少ある人は、例えば靴には子供のサイズのものが沢山あって、多くの子供の犠牲者もいたのだなと判断するでしょう。あるいは鞄を見て、あそこには一体何が入っていたのだろう?とか、書いてある名前の人にはどれだけ家族がいたのだろうとか、様々に想像する人だっているに違いありません。あるいはまた、それらの物品をどうしてナチス親衛隊は奪い取ったのかについて思考を巡らせるかもしれません。
ところが、哀れな西岡のようなホロコースト否定派は、「証拠」と言う言葉にだけ囚われて、「あんなものはなんの証拠でもない」などと貧相な見解を抱いて、意味不明の満足感を得るのです。これは私の記憶ですが、どっかの否定派があの大量の靴や鞄などを、「ソ連がアウシュヴィッツに持ち込んだものである」などと何の根拠も示さずに主張していたこともあったようです。このようにして、どんな場合でも否定派は単にホロコーストを否定したいという思考に囚われているだけであることがわかります。
確かにクレマトリウム1の「ガス室」には換気装置はなかったと仰るが。
確かに、クレマトリウム1のガス室に関する限り、文書証拠はなく、証拠は証言以外にはありません。ただし、クラクフ法医学研究所の分析結果はあります。しかしながら、証言は多数とは言いませんが複数存在します。
アウシュヴィッツ基幹収容所に現在も公開展示されている、クレマトリウム1のガス室自体には換気装置は、「現在」はありません。しかしながら、この件は、論文発表後に即刻反論し返されています。
この換気装置の設置場所に関しては、私はその図面を見ていないので推測になりますが、以下のような換気口の埋められた跡が現在も見られるようです。(写真はこちらから)
鉄筋が穴を横切っている理由については不明とされていますが、おそらく、鉄筋の切断は手間がかかるので、通気だけ出来れば事足りるため放置されたのではないかと考えられます。
確かに、西岡の言うとおり「一回処刑が終わるたびに換気をしなければならない」です。でも、ガスマスクはあるものの、換気しないことはあり得ない、だって少なくとも扉は開けるわけですからね。天井のチクロン投入用の穴だって開放したでしょう。しかし続く西岡の解説は誤りです。「次の犠牲者たちを「シャワーだ」とだまして「ガス室」に入れることは出来ない」と書いて、引用箇所最後で「一日に一回しか「ガス室」での処刑は行なえなかった筈」と書いてらっしゃいますが、その通りで、それどころか一日一回でも無理で、次のガス処理までには何日か開ける必要がありました。
これは、ほとんどの人、特に否定論者に多い勘違いです。勘違いには二つありますが、一つはクレマトリム1のガス室は絶滅用ではなかった、というものです。絶滅用に全く使用されなかったわけではないようですが、ユダヤ人絶滅はビルケナウ収容所で行われました。もう一つは、ビルケナウの火葬場でもそうですが、ガス室一つに付き、一日一回以上のガス処理はほとんど無理でした。処理人数が少なければできたかもしれませんが、遺体を火葬処理しなければならないので、その火葬に時間がかかるので、連続使用など到底不可能だったのです。だから、特にビルケナウの火葬場・ガス室での一回あたりの処理人数が2000人だったりする場合があるなど、非常に多いのです。ルドルフ・ヘスも次のように語っています。
しかしながら、ほんとにこの件、否定派はバカとしか言いようがありません。なぜなら、否定派は一方で火葬能力を極端に低く見積もっているからです。ロイヒターなどは全火葬場で一日あたり200体未満しか火葬できないと主張したくらいです。ならばなぜ、ガス室の連続稼働のようなあり得ない主張をするのでしょう? 否定派は否定することしか頭にないからだとしか思えません。
なお、西岡が言っている「殺虫作業後の換気に二十時間前後を要した」は、これはチクロンの製造元であるディケシュ社の取扱説明書にそうあるからです。
製造メーカーが自社の責任を問われないように、可能な限り安全側の主張をするのは当然です。アウシュヴィッツでは、極端な話が別にいつ死んでも構わない使い捨てでしかなかったユダヤ人ゾンダーコマンドが遺体処理をするのですから、そんな極端な安全策を取る必要はなかったでしょう。証言によれば、ガスマスクを使用していたそうですけどね。
なお、この続きで延々と西岡はチクロンに関する誤った知識を披露していますが、西岡はその後に若干見解を変えていることもあり、スルーします(笑)。どう間違っているかは、私の過去に翻訳してきた記事を色々とご自身で調べるとわかってくるかと思います。西岡説は、ほぼ完全にフォーリソン説の受け売りです。
追記:
マルコポーロ論文以降の、西岡によるチクロンの毒性に関する訂正は、マルコポーロ事件のWikipediaに引用されていました。何やらだらだらと述べていますが、西岡は要するに、チクロンBは青酸ガスを長時間放出し続けるので、その間、ガス室には入れず、遺体搬出作業は何時間も後でないと出来ないから、不合理だと主張しています。しかし、西岡はこの件に関して基本的に2点の重要な観点を無視しています。一つは、遺体搬送作業にあたるゾンダーコマンドはガスマスクを使用していたということです。これは私の過去のnote記事について「from:@ms2400 ガスマスク」として検索するといっぱい出てきますので、探して読んでみて下さい。もう一つは、西岡は何の計算もしていないと言う点です。問題になるのは、チクロンBの取扱説明書ではなく、青酸ガスの濃度です。青酸ガスの致死濃度はよく270ppmや、300ppmで即死すると言われていますが、個人的に調べた結果、実際にはもうちょっとややこしくて、個人差があるので、100人中50人が死亡する濃度としてLC50などの値が使用されるのが業界標準らしく、またガスの平均濃度ではなく、人体への曝露濃度が重要らしいです。国際シアン化物協会というのがあって、そこを調べた時に2000ppmで1分程度暴露すると、LC50としての致死量に達する、と記述されていたように記憶しています。ともかく、こうした数字上の確認もせずに、危ないから作業ができなかったはずだと主張するのはナンセンスです。さらに、換気を考慮すればもっとややこしくて、例えば以下のグラフのように濃度が変化するのです。以下は、クレマトリウム2のガス室で、チクロン投入後、10分後に金網投下装置を通じてチクロンをガス室内から撤去し、換気装置を作動させた場合の濃度変化の計算値です。
ガス室の場所にもよって状況が異なりますが、たとえいわゆるブンカーやクレマ4や5のように自然換気でも、クレマトリウム2や3のガス室のようにはガス室からチクロンを金網投下装置を通じて撤去しなくとも、外気が入ることにより急激に青酸ガス濃度は低下しますし、述べた通りガスマスクを使用していることも考慮しなければなりません。これらのことを仔細に検討しない限り、西岡の理屈は意味はありません。
ヒトラーの命令書がない説。
私は個人的な意見として、ヒトラーの命令書がないのは、否定説にとってこそ実に奇妙な話だとしか思えません。だって、否定説は基本的にホロコーストは陰謀による捏造だと言う主張なのですから、ならばなぜヒトラーの命令書を捏造しないのか、話がおかしいと思いますけどね。ホロコーストの実行者であったヒムラーも死んでおり、あるいはヴァンゼー会議の議長だったハイドリヒもとっくに暗殺されているわけです。もちろん、ヒトラーも自殺してます。他にもラインハルト作戦の指揮官だったオディロ・グロボクニクも自殺していたり、主要な人物の多くが死んでるんですから、ヒトラーの命令書一枚偽造したって、バレないですよ(笑)
「定説」側は、ヒトラーの命令書がないことについて、特におかしいと主張したりはしていません。安楽死作戦(T4作戦)ではヒトラーの命令書(承諾書)が存在していますが、T4作戦はヒトラーの命令だったとバレていたので、ヒトラーはそのために非難され、作戦中止を余儀なくされたのです。「定説」側は、その失敗を繰り返さないためにユダヤ人絶滅計画の秘匿に努め、徹底的に秘密にするために、ヒトラーの命令書などのヒトラーの関与を示すものを完全に隠匿した、あるいは命令書自体を作らなかった、のではないかと見ています。他の各種作戦でも、必ずしもヒトラーの命令書のような書類があったわけではないそうですが、これについては私は調べていません。ですが、ヒトラーの命令書がない説が根拠となるならば、ヒトラーはどんな場合でも命令書を出していたことを否定派が示す必要があります。
しかし私は思うのですが、もし仮にヒトラーの命令書が存在したとしたら、否定派はきっとその捏造を主張したに違いないと思います。否定派はきっと「ユダヤ人絶滅計画の命令書が存在することなど、計画の極秘性を考えればあり得ないことなど猿でもわかる話だ」のように主張したに違いありません。実際に、絶滅計画が存在した証拠とみなされている文書は、例えばヴァンゼー議定書は否定派による偽造説が存在します(偽造説を取らない否定派もいますが、その場合は解釈によって証拠とはならないと主張します)。否定派は、証拠となるものがあったらあったで、偽造主張をするか、解釈によって証拠性を否定するなど、結局は否定するだけであり、その上で「証拠などない」とほざくのです。
ハンス・レマース(ハンス・ラマース)の件は、前述の『アウシュヴィッツと《アウシュヴィッツの嘘》』でこれも石田氏によって詳述されていますが、内容はここで紹介されているので、全文引用します。引用内では石田氏の記述は「「日本版<アウシュヴィッツの嘘>――ナチ『ガス室』はなかったか?」という論稿」にあると説明されていますが、これは『《アウシュヴィッツの嘘》』にあるものと同じです。
加藤教授は丁寧に反論されているように見えますが、石田氏が述べたのは、西岡の記述に対応してその内容を説明しただけであり、「ニュルンベルク裁判でのハンス・ラマース証言を、ユダヤ人問題の最終解決がユダヤ人の絶滅であることの証拠と考え」ているような記述は石田氏は何もしていません。つまり、端的に言えば加藤教授の捏造です。
ちなみに、ハンス・ラマースとは、ハンス・ハインリヒ・ラマース(Hans Heinrich Lammers)の事であり、マルティン・ボルマン同様にヒトラーの側近でした。ところで、ニュルンベルク裁判の議事録はイェール大学のサイトで読めるのですが、何故か、このラマースの証言がある日(1946.4.8)の議事録の部分が欠落しています。アーカイブサイトにはありますので確認はできますが、ラマースはユダヤ人問題の最終解決がユダヤ人の絶滅を意味するとは当時は誰からも説明されず、知らなかったとは述べています。しかしこれは、ニュルンベルク裁判での被告の多くが「ユダヤ人の絶滅なんて知らなかった」と弁明しているのと印象は変わりません。が、ラマースの証言にあるヒムラーやヒトラーから説明を受けたと言う『疎開』などの言葉を、加藤教授の言う「正史派固有の奇怪な「コード言語説」」を採ると、たちどころに、ユダヤ人絶滅政策があったことの証拠に変容し、ヒトラーもきっちり認識していた証拠にもなります。「コード言語説」は散々、私の翻訳記事の多数で説明していますので、奇怪でもなんでもないことはお分かりいただけるかと思います。
続いて、ヒムラーの話は「筆記録」ではありません。これは過去に翻訳し、西岡本人にぶつけていますが、呆れたことに旧来の主張をするだけでした。それについては後述します。
読めばわかるとおり、ヒムラーの肉声で録音記録が存在しているのです。今の今までこれを、ヒムラーの肉声ではなかったと証明した人はいません。ヒムラーの肉声記録は他にもあるようであり、今なら簡単に音声分析可能です。この音声記録の中で、はっきりヒムラーは「ユダヤ人の疎開とはユダヤ人の絶滅だ」と述べているのです。
ところが西岡は私との議論で、ドイツ語の「Ausrottung」と言う単語は「絶滅」とは訳さないと、上の引用リンクにもある否定派の解釈を繰り返し、上の引用リンクを示しても真面目に読まず、見解を変えませんでした。見解を変えることが出来ないのはわかっていますが、私は翻訳ではなく解釈によって肉体的絶滅とはみなさない方法もあると教示までして差し上げたのですが、彼は頑固でした(笑)。辞書に「絶滅」の意味があるのだから、翻訳そのものは絶滅に訳して問題ないのです。
余談ですが、西岡との議論で問題になったのは最初は「Ausrottung」ではなく、「Affidavit」でした。これはルドルフ・ヘスの証言をめぐる議論で、ルドルフ・ヘスの証言にはいくつか種類があるのです。逮捕された時にイギリス軍によって作られた尋問調書、ニュルンベルグ裁判にカルテンブルンナーの弁護側証人として呼ばれた時にヘスの供述として筆記された宣誓供述書(これが「Affidavit」です)、心理学者のグスタフ・ギルバートのメモの中にあるヘスの証言、そしてヘス自身による自叙伝などです。私は、西岡が「ヘスの自白調書を読んだことはあるか?」というので、宣誓供述書なら知ってるが、自白調書は見たことがないと答えたのです。ところがその後、西岡が言う自白調書とは宣誓供述書のことであることがわかりました。だから単に私は、言葉の使い方が間違っているとだけ、指摘したのです。ところが、西岡は「Affidavit」は自白調書と訳すのだと言って聞き入れようとしなかったのです。もちろん、誰に聞いても辞書で調べてもそんな訳はありません(私はたったそれだけのために図書館まで行って超分厚い&クソ重い高級辞書を何冊も調べましたし、ネットでも質問しました)。西岡は要するに、「強要されたものだから自白調書と呼ぶべきで、自発的に宣誓の上で書かれたものであるはずがないから、宣誓供述書と呼ぶべきではないのだ」と主張していたのです。アホか、と。私は単にどれのことだかわからなくなるので、言葉をきちんと使って下さいという趣旨だけだったのです。で、それなら「Ausrottung」はどうなるの? と尋ねたら、前述の通り……なぜ、修正主義者はダブルスタンダードを平気で使えるのか、未だに理解できません。本当に修正主義者は平然とダブルスタンダードを使うのです。一方では「Ausrottungは「絶滅」の意味が辞書にあろうと「絶滅」とは訳さない」と主張し、一方では「Affidavitは「自白調書」の意味など辞書にはなくとも「自白調書」と訳して良い」と主張するのですからね。
ヴァンゼー議定書は調べるのは簡単なので、単に解釈の問題というのはお分かりいただけると思います。議定書には直接的な表現はありませんでしたが、はっきり明示的には言わないのがナチスの方針でした。ゲーリングの手紙とは、「ユダヤ人問題の最終解決」をハイドリヒに全面委託すると言う趣旨が書いてある有名な文書です。もちろんこれにも直接的な絶滅記述はありませんが、ゲーリングの手紙の時期を考慮すると、この時期、ヨーロッパ・ユダヤ人を絶滅させる意図はまだはっきりしたものではなかった、と考えられています。ベッカーの手紙とは以下で翻訳しています。
えー、これを非常に不味い手紙だと考えない否定論者はいないと思います。だから私はその翻訳の後に、否定派は偽造とする以外に方法はないと書いたのです。西岡はちゃんと読んだのでしょうか? 「これらの文書は、しばしばそれらの反論者たちによって「ユダヤ人絶滅を命令、記録したドイツ文書」として引用されるものの、よく読むと、全くそんな文書ではない」って、大丈夫なんでしょうか? 絶対にちゃんと読んでないと思います。
なお、ヒトラーがユダヤ人を絶滅させることを具体的に命令した文書証拠は確かにありませんし、デイヴィッド・アーヴィングがヒトラーをホロコーストから切り離せたのも、そこが明確ではないからです。この問題については、今のところ私は不勉強ですので、それを示唆する証拠についてはいずれまとめたいと思っています。しかし私もいわゆる機能派の端くれですので、ヒトラーの意図はそんなに重要とは考えていません。ヒトラーの命令・指示がなかったわけはないとは思ってますけどね。誰か既にまとめていてくれてたらいいのになぁ(笑)
ユダヤ人は絶滅されず強制移送させられただけ?
だったら、その実際に移送され殺されていないユダヤ人をさっさと出してよ(笑)
「定説」側は、結局「再定住」「疎開」「東方移送」などの言葉は、否定派が定説側を揶揄するために言っている「コードワード」に過ぎないと考えており、それらの言葉が記述された文書があったからと言って、「ユダヤ人絶滅」がなかった証拠にはならない、と考えます。マダガスカル計画も、ルブリン移住計画も、東方移送計画も全部不可能となり、結局、皆殺しする以外になくなったというのが定説側の主張であり、証拠は腐るほどあります。例えば、なぜ否定派によれば通過収容所である筈のトレブリンカに耐え難い死臭がするほど死体が埋まっているのでしょうか?
都合の良いことは言うが、都合の悪いことは隠す、のは西岡さん、あなたでしょう?
このトロント裁判が、いわゆるツンデル裁判であるという事実はここではどうでも良いのですが、このヘルワーデンの証言は、これもまた欧米人が否定論の一部として使用するもののようです。だから、ネットにあるのですね。否定派のサイトらしいですが以下です。
前述のニューヨークタイムズ記事同様、ちょっと長いけど全文引用してみましょう。西岡が何を隠したかはすぐわかります。
そう、ヘルワーデンはドイツ人であってアーリア人であり、非アーリア人と見做されたポーランド人と性交渉したのでアウシュヴィッツに送られた囚人だったのです。西岡はそこを見事なまでに隠しました。アウシュヴィッツ収容所内でアーリア人とユダヤ人の扱いが全く違うのは当たり前のことです。しかも、ビルケナウは広大な面積を持つ収容所であり、ヘルワーデン自身の見解によれば、自分のいた場所から火葬場は5kmも離れたところにあるほど、遠くて火葬場を直接見てもいません。従って、彼女がガス室についての証言など、いわゆる不味い証言をしていなくとも不自然さは全くないのです。
シャワーですが、収容所内には普通に囚人用シャワー室はあったので、別に不思議はありません。アウシュヴィッツのシャワー室については写真は以下のものしかないようですが、ビルケナウには何箇所かシャワー室は設置されていました。以下の写真はセントラルサウナと呼ばれた場所のものですが、ビルケナウの操車場近くには輸送されてきたばかりの人を対象とした害虫駆除棟がありヘルワーデンはそこのシャワー室のことを言っているのだと思われます。
また、シャワーヘッドから毒ガスが出てくると言う噂は当時普通に流れていました。以下は、AmazonプライムビデオにあるBBC制作の『アウシュヴィッツ ナチスとホロコースト』からのスクリーンショットです。一応、わかりやすく、こうした噂が普通にあった証拠です。
この人は、有名なカストナー列車で絶滅を免れたハンガリー系ユダヤ人の一人ですが、彼女がシャワーを浴びたのはアウシュヴィッツではなく、途中の通過収容所でした。ちなみに、ある欧米の否定者はこのシーンを用いて、ハンガリーのユダヤ人はみんな殺されると思っていた証拠にしようと考えましたが、実際にはユダヤ人の大半は殺されるとまでは思っていなかったようです。噂は知っている人もいれば知らない人もいる、ってだけの当たり前の話ですね。
ヘルワーデンがアーリア人だったと言う事実は、西岡が隠したのではなく、欧米の否定派から教えてもらわなかっただけとも考えられますが、それならそれで元々の証言を確認していないということにもなります。西岡は偉そうに「定説」側は検証もせずに証言を利用しているなどと言っていますが、何のことはない、それは西岡自身の話なのです。
それに、いわゆる本物の偽証言者については、否定派は何も検証していません。それらを検証したのは、否定派でない人たちばかりです。
特に西岡のような杜撰な日本の否定派は、欧米の否定論を丸ごと鵜呑みにしているだけであり、検証なんか一切してないと思います。歴史学者の多くは査読を受けた論文をいくつも発表していると思いますが、否定派が査読を受けた話など皆目聞いたこともありません。せいぜいが、否定派同士で喧嘩してるだけです。
ホロコーストは戦時中のプロパガンダが起源?
マーク・ウェーバーは確かに歴史家であるそうですが、ウェーバーは現在も歴史評論研究会(IHR)の会長であり、昔からバリバリの否定論者です。ご本人は「否定論者」と呼ぶのは悪意のレッテルだ!と仰っておられますが、IHRの会長をそう分類しないわけにもいきません。
このプロパガンダ説は、具体的な内容がまるでないので、話が全然わかりません。どんなビラが撒かれていたのか、ラジオで何を言っていたのか、いつ頃の話なのか、そうした事例は歴史的な観点からそこそこ興味深い話でもあるのに、そんなことは西岡はどうでも良いらしくて、ホロコーストがでっち上げであることだけを述べられたらそれで良いようです。
以前に翻訳した、ポーランドでの裁判での証言集を翻訳していたら、テレサ・ラソッカ・エストライヒャーという、ポーランドで当時、地下活動をしていた人物を発見しました。彼女はアウシュヴィッツの地下組織と繋がっていたそうで、そうしたところから外へ漏れ出た情報が、連合国側に伝わったのかもしれませんし、ポーランドの他の地下組織やヤン・カルスキのような著名な人物もいたわけですし、1944年中頃には例のヴルバ・ヴェッツラーの報告書なども出現するわけです。
鶏が先なのか卵が先なのか、鶏を連合国のプロパガンダだとするならば、その鶏が先だと言う証拠は何もありません。しかし否定派はそれにはめげず、卵である方の情報発信源になっている部分まで疑って、フォーリソンなどは「ユダヤ人が捏造したに違いない」などと主張しています。なんや?お前ら結局両方とも疑うんかい!ってな話に過ぎないわけです(笑)
何れに致しましても、「プロパガンダから嘘だ」説は、通用しません。否定派が大好きなカチンの森事件は、当初、ナチスの宣伝相ゲッベルスによって、連合国を分断させるべく、大々的なプロパガンダとして利用されましたが、内容はほんとでした。
囚人の健康を気遣ってたから絶滅はなかったはず?
ええ、両立するようにしたのです。まず、労働力にならない無駄飯食いの子供や老人、病人、それと子持ちの女性は労働力にならないとみなされたので、「選別」にて囚人登録もされず、ガス室に送られて真っ先に殺された、と「定説」側が主張していることは周知されている筈です。これがアウシュビッツ・ビルケナウでは、ユダヤ人輸送数の内75%を占めたとされます。
さて、そのリヒャルト・グリュックス強制収容所総監の書簡には確かにそう書いてあったそうですが、こちらのサイトの解説によると。
と書かれていました。この件で、ある否定派は80%も死亡率を下げたとまで主張するケースがありますが、調べましたが強制収容所全体ではそんな死亡率低減は見られませんでした。詳しいことも調べようとしましたが、その文書が写真コピーしかなくて、面倒すぎて諦めました。ニュルンベルク裁判資料のどこかにありましたが、文書番号は覚えてません。否定派さんなら知ってると思いますので、わかったら教えてください(笑)。ともあれ、否定派には人気の否定論の一つではあるようです。
ヒムラーは、ルドルフ・ヘスによれば無定見なんだそうです。
私は、ヒムラーはヒトラー政権内の各方面に気を配ったが故の、無定見なんだと考えますが、ある意味、これはヒムラーなりのバランス感覚の取り方なのだと思われます。労働力は確かに必要だったのです。アウシュヴィッツ収容所を建設し、そのそばにI.G.ファーベンの巨大工場を作らせたのも、アウシュビッツの囚人労働力を利用するためでした。一方で、「ユダヤ人問題の最終解決」もあるので、絶滅計画も推し進めた。上でヘスが述べている箇所は、絶滅計画以外の部分の話のようですが、ともかく、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所は強制収容所でありかつ絶滅収容所ではあったのです。
西岡は、1995年当時もホロコースト初心者とは決して言えないレベルの人である筈なのに、「定説」側がそのように理解していることを全く無視して、全くの初心者のように、「ナチスの強制収容所ではユダヤ人虐殺が行われていた(と考えられている)」みたいな大雑把な捉え方をしているだけなのは、西岡がホロコーストの正しい知識を得ようだなどとは全く思っておらず、これもまた否定論に取り憑かれてしまっただけであることがよくわかる例です。
囚人を殺すには殺人許可証が必要だった?
この許可の話は、どっかで反論的なものを見た記憶がうっすらある程度で、調べていないので言及できません。しかし、アーモン・ゲートが囚人を恣意的に殺していた話は、『シンドラーのリスト』の原作である『シンドラーズ・リスト』に出てくる話で、生存者50人からの聞き取り調査によるものだと思われます。なお、そのシーンは映画上の演出でバルコニーからの狙撃に変えてあるだけで、原作では違う場所からの狙撃になっています。前述したとおり、『シンドラーのリスト』がフィクションなのは周知されています。
でも、親衛隊員による囚人への恣意的な暴力や殺人は、こちらの証言集でも読めば頻繁に出てくる話であり、全く珍しいものではありません。西岡の主張通りであったとしても、殺人は日本の刑法で禁止されているから、行われるはずはないと言っているようなものであり、無意味な主張であるとも言えます。それに、ナチス親衛隊による強制収容所などでのユダヤ人殺しが処刑に繋がった話は、実際のところ、聞いたことがありません。
で、西岡が話している「中には、死刑に処せられたドイツ人すらいる」の話は、既に山崎カヲル氏によって暴かれているこの話です。
元々は、リチャード・ハーウッドの『600万人は本当に死んだのか?』にあるネタだそうです。西岡は、この議論の当時、ヒルバーグ本の初版にそう書いてあった、と言い訳しましたが、結局その初版のコピーが山崎氏に渡ることはありませんでした。
なお、ヴィルヘルム・シュテークリッヒもセオドア・オキーフも否定論者であることは言うまでもありません。シュテークリヒはその「法務官吏」を、極右に関わったとして職を解かれています。
600万人説に根拠はない?
四百万人説は寡黙にして存じておりませんけれども、ヴァンゼー議定書に添付された表では、欧州全体で1,100万人でした。現在では確か約950万人だとされています。600万人説の根拠は、アイヒマンが語っていたと親衛隊関係者がニュルンベルク裁判で証言したことや、人口調査によって判明したものであり、近年でもこちらの書籍などでの研究発表により確かめられている数字です。西岡はヒルバーグ本の初版を持っていた筈なのに、ヒルバーグが徹底した資料調査で510万人と犠牲者数をあげているのを知らないわけがありません。「全く根拠がない」は完全なデタラメです。
で、西岡はこの論文の最後で反吐が出るようなことを述べます。
よほど自分自身を善人だと思って欲しいようで、哀れですね。論文の出鱈目さを理解できたら、唾棄すべきセリフだとしか言いようがありません。人間のクズです。
というわけで、長くなりましたが、八割程度しか論駁できなかったと言うのが実感です。まだまだ修行が必要ですね(笑)