ホロコーストの否定とラインハルト作戦。MGKの偽りに対する批判(1)
ホロコースト否定というテーマに足を突っ込み始めた最初の頃は知識があまりなかったので、ネットでホロコースト否定について自分で何かを述べても否定派に突っ込まれて叩きのめされるんじゃないかと不安が拭えませんでした。しかしそのうちに色々知識がついてくると、そんなに不安を感じずに否定派に議論をふっかけにいくようになったのですが、私に絡まれたそれら否定派の多くは割とすぐに逃亡する事態になりました。Twitterではブロックされたり明らかに非表示にされたり、無応答になったりするわけです。最近ではあるところで、私に以前に絡まれたネット否定派が、ホロコーストについて馬鹿なことを言っていたのを見つけたので、少し絡むと何も返答せずにほんとに脱兎のごとく逃げ出しました(知恵袋で別の回答者をベストアンサーにしてさっさと閉じたのです)。
ホロコースト否定派ってそもそも、ホロコーストに関する議論を自由にしていいことを求めていたのではなかったのでしょうか? しかしその実態は、ほとんどそれは嘘って感じです。もちろん、逃げない人もいますし、私からやりとりを打ち切ることもありますが、それはあまりにやりとりが長くなりすぎて不毛だから、以外の理由はなかったと思います。某N内科医の場合、一ヶ月以上議論が続いたのに、全然話が先へ進まないので、私から切りました。極めて単純な、どーでもいいような誤りを絶対に認めないので私がブチ切れたのですけど、最大の理由は長過ぎたからです。
閑話休題。
えー、さてそんな前置きはともかく、とても長いヴァンペルト・レポートを翻訳した後にこれを翻訳し始める私は自分自身で気が狂ったのかと思うわけです。これまたとんでもなく長いので、翻訳を諦めていた案件でした。(そのごく一部は以前に翻訳しています)
アウシュヴィッツだけでも大概知らないことだらけなのに、ラインハルト作戦なんて無知も甚だしくて、翻訳なんかしてほんとに意味わかるのだろうか?と不安も大きいのですが、やっぱりどーしても気になって、ヴァンペルト・レポートの翻訳を終えた勢いでこれもやっつけてしまおうと思うに至りました(だったらヘウムノシリーズとか完結してないシリーズを終わらせろよ、と自分に言いたい(笑))。
ネットでホロコースト否定を主張する人の大半は、多分、ラインハルト作戦なんて眼中にないでしょう。大体が「600万人がアウシュヴィッツのガス室で殺されただなんてウソだ!」みたいな主張をする人が珍しくない世界です。しかし実際には、ラインハルト作戦で殺されたユダヤ人の数は、ソ連で殺されたユダヤ人の数に次いで多いか同じくらいであり、アウシュヴィッツはそれらより低いのです。これを書いている時点で、私もラインハルト作戦収容所で亡くなった犠牲者数を知らないんですけど、大体でいいのなら大雑把に言って150万人くらいだとされているようです。アウシュヴィッツは110万人ですからそれより多いことになります。しかも、アウシュヴィッツなら移送者はまだ登録囚人になる道もありましたが、ラインハルト作戦収容所に送られたら、収容所での仕事をする囚人となる少数の人以外は全員死が待っているだけです。アウシュヴィッツでは25%程度が囚人になりましたが、ラインハルト作戦収容所では多分1%を大きく下回ると思います。
さて、この今回翻訳を始める対象はなんなのかというと、カルロ・マットーニョ、ユルゲン・グラーフ、トーマス・クエスという三名の修正主義者によって書かれた、ラインハルト作戦に関する否定論本があったのです。元々はラインハルト収容所三つで別々だったのですけど、この三部作をまとめたものが以下で買えるようです。しかし、なんと75€、日本円で約一万円!もします。ぼったくりだとしか思えないのですが・・・無料で読みたい方は、こちらにPDFで上がってます。探せばどっかに普通のwebで読める、つまり翻訳しやすいのがあるかもしれません。
で、Holocaust Controversiesの執筆者がこれに対抗する反論文書を出したのですね。それが今回の翻訳対象です。
今回翻訳しようと決めたのは、ヴァンペルト・レポートはあまりに長いので、脚注訳すのを例外を除き全部諦めたのです。何せ、脚注だけで1000個を軽く超えてましたので。それでリンクだけ入れておいて、気になる読者の方にはご自身で翻訳していただけばいいのではないかと思ったのです。noteでは現在も脚注参照機能がないので、脚注を訳したところでその参照が不便なんですよね。
今回の翻訳対象も、まだ確認してませんがかなり脚注が多いことはわかっていて、それが翻訳を躊躇っていた理由の一つでもありました、従いまして、ヴァンペルト・レポート同様に、リンクだけ入れておいて脚注の翻訳は今回もしません。リンク入れるだけでも何気にちょっと面倒なのですけど、そこは最低限として入れておきます。
ヴァンペルト・レポートは裁判所への提出資料のためか、結構わかりやすかったのですが、今回の翻訳対象はどうなんでしょうね? HCブログサイトの記事は、翻訳してもわかりにくい記事も結構多いので不安です。ともかく訳していきましょう。
ちなみに、トーマス・クエスって修正主義者はほとんど知りませんが、カルロ・マットーニョやユルゲン・グラーフは1990年代後半か2000年代に入ってから名前が知られるようになった修正主義者で、ある意味、アーヴィングvsリップシュタット裁判以降のホロコースト否定論者だと言えます。マットーニョはあるところで、ヴァンペルト・レポートに自分のことが書いてないことに不満を持ち「修正主義者は「何があったのかについて対案を示さない」とヴァンペルトはいうが私は書いている!ヴァンペルトは私を無視しているだけだ!」のように怒ってましたが、単にヴァンペルトはその頃、まだ新人のマットーニョを相手にしてなかった、だけだと思われます(笑)。
▼翻訳開始▼
ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ。ホロコーストの否定とラインハルト作戦 はじめに (1)
はじめに。
ホロコーストを否定する人々は、その運動の初期段階から、主にアウシュヴィッツ死の収容所にその主張を集中させてきた。いわゆるホロコースト修正主義[1]を構成する文献を調べてみると、アウシュヴィッツへの執着がその特徴の一つであることは間違いない。1990年代初頭、ワールドワイド・ウェブが登場して以来、ホロコースト否定派はインターネット上で自分たちの主張を展開してきた。最近まで、ホロコースト否定論者とその批判者との間のオンライン・ディベートは、同様に、アウシュヴィッツに焦点を当てていた。2005年には、「Real Open Debate on the Holocaust」(RODOH)というフォーラムで、著名な修正主義者とその批判者との間でアウシュヴィッツに関する正式な討論が行われたこともある[2]。
しかし、同じ頃、修正主義者の言説に顕著な変化が見られるようになった。アウシュヴィッツをめぐって長い間議論し、2000年のアーヴィング対リップシュタットの名誉毀損裁判で公開法廷で敗訴した後、否定派は、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカのいわゆるラインハルト作戦収容所に注目し始めたのである。これらの収容所については、修正主義者の古い著作の多くで議論されていたが、2000年代半ばになってから、ホロコースト否定派が真面目に議論するようになったのである。2005年、全米同盟の活動家だったグレッグ・ゲルデスは、ラインハルトの3つの収容所に大量の墓があることを証明する「証拠」に報奨金を出すという、架空の「全米法医学犯罪者・歴史家協会」を宣伝するウェブサイトを作成した。 何をもって「証拠」とするかは、言うまでもなくゲルデスの判断に委ねられていた。翌年、9.11事件の陰謀ビデオ「Loose Change」の成功に触発されたのか、同じくアメリカの修正主義者である「denierbud」(カリフォルニア出身の「マイク・スミス」)が、修正主義者による初の本格的なユーチューブ・ドキュメンタリーの試みとして、30部からなる「One Third of the Holocaust(ホロコーストの3分の1)」ビデオを発表した。反否定派は、相手がアウシュビッツへの関心を失い、トレブリンカに夢中になっていることに気づいた。
この変化の理由の一つは、否定派のベテラン作家であるカルロ・マットーニョとユルゲン・グラーフがトレブリンカとベウジェツに関する修正主義者の新しい著作を出版したことである。イタリア人作家のマットーニョは、1980年代半ばから修正主義者として活動していたが、2000年代初頭にゲルマー・ルドルフが編集した『ホロコースト・ハンドブック』シリーズの一部としてイタリア語から英語に翻訳されるまでは、比較的無名の人物であった。スイス系ドイツ人のグラーフは、1995年に国民投票で可決された反人種主義法に基づいて起訴された最初のスイス人否定派の一人として、1990年代初頭から否定派のシーンで名を馳せていた。修正主義者にしては珍しく、二人の著者は共に公文書館を訪れ、1990年代半ば以降、ナチスの様々な収容所に関する一連の共著および単著の研究を開始した。他の多くのベテラン修正主義者の著者が死に、2002年に歴史評論ジャーナルが休刊になったことで、マットーニョとグラフは今世紀のホロコースト否定の「真剣な」顔となった。次の著作の動機は、2005年に行われたアウシュヴィッツに関するRODOH討論会の再現として、ラインハルト作戦収容所をテーマに、修正主義者と非修正主義者との間で正式な討論会を設けようとする以前の取り組みから生じたものである。2006年には、本作の著者の何人かが、Holocaust Controversiesブログで「One 3rd of the Holocaust」ビデオへの反論に関わっていたが、この反論は修正主義者側からは回答が得られなかった[3]。正式な討論会は、ラインハルト収容所についての否定派の主張を検証する最も公平な方法であり、ラインハルト収容所についての否定派の主張に対して蓄積されてきたかなりの数の批判に修正主義者側が答える機会を与えるものであると考えられた。また、いくつものインターネット・フォーラムで延々と続いてきた議論にけじめをつけ、オープンにするには最適な方法だと思われた。
このイベントには何人かの非修正主義者がボランティアとして参加し、修正主義者側も当初は多くのボランティアを集めることができたが、修正主義者は結局ディベートチームを設立することができず、最初の合意から数週間のうちに定足数に達しないことを宣言しなければならなかった。修正主義者チームへの招待者の中には、トーマス・クエス、フリードリッヒ・ベルグ、「denierbud」などの著名な否定論者や、ヴィルフリート・ハインクなどのあまり知られていない人物も含まれていたが、これらの否定論者の著名人は、この申し出を受け入れなかった。このような失敗は、修正主義者がよく口にする、ホロコーストについての開かれた議論を求めるという要求が嘘であることを裏付けるものであり、CODOH修正主義者フォーラムで採用された検閲戦術によって、この事実は補強されている。
修正主義者が討論チームを結成できなかったにもかかわらず、非修正主義者たちは、ラインハルト収容所に関する否定派の議論に対する回答を進めていくことにした。同時に、ホロコースト文学には、ラインハルト作戦の新しい完全な歴史というギャップも存在する。1987年にイツァク・アラド氏が収容所に関する研究論文を発表して以来、20年の間に多くの研究がなされた。この評論は、そのような新しい歴史としての役割を果たすものではなかったが、収容所に関する最近の研究の多くを統合し、また証拠に基づいていくつかの新しい関係を作っているが、その中にはこれまで利用可能な文献で議論されていなかったものもある。
さらに、リビジョニズムへの反論は、ホロコーストに関する私たちの歴史的研究を、ブログ形式では不可能なほど大きなテキストに展開する機会となったが、同時に、それらの記事にすでに存在していたいくつかのアイデアを統合し、発展させることもできた。それはまた、粗雑で欺瞞に満ちた歴史を暴くという満足感を味わえる機会でもあった。ホロコースト否定に反論するのは労力の無駄だという意見もあるが、似非学者の成果を否定する機会はそれなりにあると考えている。それは、否定派を知的・倫理的に対等な議論の相手とみなすということではなく、否定派が無知と悪意をもって活動していることを知った上で進めるということである。
このようなプロジェクトの最も明白なターゲットは、カルロ・マットーニョとユルゲン・グラーフの『トレブリンカ』とマットーニョの『ベウジェツ』であった。他の否定派の作品もいくつか分析・研究の対象としたが、我々の努力の第一の焦点は、修正主義者の研究者たちにとどめるべきであると判断した。また、「Akte Sobibor」という長文の記事が、マットーニョ、グラフ、修正主義者の作家トーマス・クエス(以下MGK)によるソビボル収容所に関する新しい作品の基礎となることも、関係者の一人が私的に認めたことで判明した[4]。この作品はプロジェクトの途中で登場したが、クエスからは「Akte Sobibor」は無視して、完成した長期にわたる収容所の研究に力を注ぐようにとのアドバイスを受けていた[5]。
この新作は、MGKのメンバーにも自信を与えたようだ。『Sobibór』の登場以来、ブログに関して1年間沈黙を守っていたマットーニョは新たな回答を掲載し[6]、クエスは初めて『不都合な歴史』のブログやジャーナリズムに対するいくつかの批判に公然と回答した[7]。グラーフは、「ソビボルの著者たち」[8]の名で、昨年2回にわたり、「Holocaust Controversies」ブログのクルーに、彼らの作品の一つについて包括的で詳細な批評を書くように要求し、いずれの場合もソビボルを候補に挙げている[9]。グラーフとその仲間たちにとっては残念なことに、現在の作家たちは彼の招待をわざわざ待つこともなく、また1冊の本に限定することもない。その代わりに、MGKが制作したラインハルト収容所に関する否定派の「三部作:トレブリンカ、ベウジェツ、ソビボル」と思われるものを批判することにした。。必要に応じて、ラインハルトの3冊の本以外に、彼らや他の否定派が書いた記事、ブログ記事、その他の出版物への回答も掲載した。
MGKの三部作をはじめとした作品を徹底的に読み込んでいくことは、読者としては決して楽しい経験ではなかった。まず明らかになったのは、引用の数と長さが不当に多いということだ。例えば、ベウジェツでは、本文と脚注を合わせて46,636語に過ぎないが、そのうち少なくとも18,494語はブロック・クォート(引用符)によるものである。そのため、マットーニョの作品の40%は単なる引用であり、分析やコメントはもちろん、なぜそのような長い引用が含まれているのかの説明もないまま制作されることが多い[10]。このような引用の中毒性は『ソビボル』でも継続しており、何百語もの引用が読者に提示されることが多い。この作品の序文に続いて、すぐに『ホロコースト百科事典』(三次資料に過ぎない)からの約2,196語に及ぶ膨大な引用が出てくる[11]。『ソビボル』の本文と脚注を合わせると約15万語になるので、最初の引用文はすでに全体の1.5%近くを占めていることになる。本編の引用率は読み進めていくとどんどん上がっていき、考古学者のアンドリュー・コラは合わせて3328語(2.2%)、戦時中の人口統計学者のユージン・クリッシャーは3298語(2. 2%)ソビボルの生存者で歴史家のジュール・シェルビスが1445語(1%)、歴史家のクリストファー・ブラウニングが1388語(1%)、歴史家のイツァーク・アラッドが899語(0.5%)、歴史家のピーター・ウィッテとスティーブン・タイアスが661語(0.5%)、考古学者のヨラム・ハイミのチームが発行したソビボルの出版物が561語(0.4%)である。 これらの引用はすべて他人の研究を含んでおり、その長さは「フェアユース」に違反し、著作権を侵害する可能性がある。これらの資料だけでも、脚注を含めた本文の文字数は、MGKの10分の1近くになる。そのような本の原稿を、主流の出版社が受け入れることはない。MGKが引用した証言や文書の数は、この数字を大幅に増加させ、MGKが実際に行った独自の作業や解釈の量を減少させることは間違いない。また、通常の学術論文では全く見られないことであるが、ポイントを強調するためにエクスクラメーションマークを多用する。
引用の多さはともかく、MGKの作品における実際の主張の多くは、まだ判断がつかない。彼らの方法論は散漫で断片的であり、ラインハルト収容所ごとに1冊の本を出版することで強調されているが、そのアプローチは主に否定主義的である。三部作の圧倒的多数は、ラインハルトの各収容所で起こったことではなく、起こらなかったことを論じることに費やされている。このようなことは、当然ながら正しい歴史学の方法とは正反対である。しかし、彼らの否定主義的な議論においても、包括的で一貫した歴史を作り上げることは困難である。多くの証言が引用され、その信頼性や一般的な状況についての適切な説明なしに、単に手のひらを返したり、嘲笑したり、矛盾したりしている。目撃者は収容所にいたが、その証言は嘘だったのか? 彼らは全くいなかったのか? 尋問の際には台本を渡されて、それを繰り返すのすか? 彼らの証言はすべて無価値なのか? これらの重要な問題について、MGKは一切触れていない。彼らはまた、さまざまな形の証拠を通して適切な収束を確立することができず、「トランジットキャンプ」説を唱える際に肯定的な歴史を提示しようとする彼らの限られた試みは、証拠を読み解くための否定主義的な努力に大きく基づいており、この論文を完全に支離滅裂なものにしてしまっている。
また、MGKは非常に繰り返しの多い作品であることも痛感した。様々な言語で書かれた複数の文章の中には、同じ主張やポイントが多く含まれている。このことは、MGKの主張を示す複数の場所が脚注に記されていることから、批評の中で明らかになっていく。
グラーフが私たちに挑戦しているにもかかわらず、またマットーニョとクエスが過去の批判に対して限定的な対応をしているにもかかわらず、批判の規模に直面すると、MGKは私たちへの対応を避けるために言い訳を考えたいという衝動に駆られるかもしれない。マットーニョは以前、Holocaust Controversiesは「ホロコーストの歴史家からは何の説明もされていない」し、その執筆者は「印刷された形では何も発表していない」と非難していた[12]。このような言い訳は、マットーニョがすでに我々のブログ記事のいくつかに反応した後に行われたものであり、かなり必死な感じがする[13]。当ブログは、ホロコースト否定に関する主要なオンラインリソースの1つであるエモリー大学のHolocaust Denial on Trialウェブサイト[14]や、パベル・ポリアンとアルフレッド・コッホがまとめた学術的なホロコーストコレクション[15]で、実際に何度も引用されている。学者からもらったブログを賞賛するメールや対面での発言を自慢する必要はない。感謝の意を表した歴史家の名前を挙げるまでもなく、我々はマットーニョ自身がこれまでに学者から受けたどんな賞賛よりも数が多いことを確信している[16]。また、マットーニョは、ブログのメンバーの誰もがアーカイブや図書館を訪れたことがなく、オリジナルの文書を見たこともなく、収容所の証拠書類を知っているわけでもないと主張している。 次のページで紹介するように、これは全くの誤りである。最後に、マットーニョは我々が「ペンネームの後ろに隠れるのが好きだ」と言っているが、現在の5人の作家のうちペンネームを使っているのは1人だけである。さらに、マットーニョ自身の共著者である「トーマス・クエス」と彼の元編集者であるゲルマール・ルドルフが使用している偽名を考えると、マットーニョが偽名について呻吟するのは非常に皮肉なことである[17]。このブログは、MGKのように偉大さや重要性を主張するのではなく、ホロコースト否定派の活動に対して、より一般的な(つまり学術的ではない)反応を提供するために設立されたものである[18]。この第一の目的に関して、私たちのブログは非常に成功していると考えている。
仮にMGKがそのようなごまかしをして返答を拒否したとしたら、彼らは明らかに自らの剣を負うことになるだろう。なぜなら、3人とも査読付きの雑誌に何も投稿していないし(否定派の作品は査読されていない。なぜなら、彼らには査読者がいないからである)、大学の資格も持っていないからである。したがって、学者が彼らを自動的に真剣に受け止めなければならないような正当性はないのである。実際、この批判は、修正主義者の議論がなぜそうではないかを示している。
また、現在の作家たちがMGKの主張をわざわざ取り上げる必要もあまりなかった。また、MGKの作品がメインストリームの反応を必要とするほど素晴らしいものだとも思っていない。リビジョニズムの一般的な状況を調査するだけでも、否定主義的な議論は学術的に検討するに値しないことを学者に再確認させるには十分である。最も認められているホロコースト否定論者であるデイヴィッド・アーヴィングは、数年前に以前のガス室否定論を撤回し[19]、ラインハルトの収容所が大量殺人の現場であったとの信念を明示している[20]。MGKの新しい作品は、否定派の仲間には読まれていないようで、議論の場や他の修正主義者の記事の中で彼らの作品が参照されることはほとんどない。インターネットのトラフィックカウンターも、実際にMGKの作品を読んでいるのはごく少数の人々であるという単純な事実を裏付けている[21]。MGKの応援団が自分の複雑な仕事を気にも留めないのであれば、プロの歴史家が気にする理由はない。この批評の真の原動力は、ホロコーストへの歴史的興味と、粗雑で欺瞞に満ちた歴史を暴くという楽しい経験にあった。
MGKの作品群やネット上のコメントを読むと、自分たちが中途半端に提案している歴史とは異なる歴史を語る人たちに対して、3人が高度な憤りと軽蔑を抱いていることがよくわかる。多くの場合、ホロコースト生存者はあからさまに嘘つき[22]や愚か者と表現されている[23]。また、ガス処刑への参加を認めたドイツ人は、裏切り者と評されている[24]。このような軽蔑は、ホロコーストに関する他の研究者や歴史家に対しても見られ、彼らの名誉が繰り返し問われ[25]、時には彼らのモラルさえも問われる[26]。この批評の著者もまた、3人組からの個人攻撃にさらされており、マットーニョからは「アームチェア・クリティック(註:ある事について自分に経験がないにも関わらず批評する人;大した経験や知識もないのに批判する人)」「臆病者」「ソフィスト」[27]、クエスからは「嘘つき」「ディスインフォーマー」「中傷者」「チャーラタン(註:(専門知識をもっているように見せかける)山師; )」[28]と呼ばれている。私たちとしては、MGKの分析にはパンチを入れていない。というのも、自ら進んで査読から外れた人には、学者が仲間に与えるような礼節は期待できないからである。しかし、彼らのように空虚な罵り合いをするのではなく、この分析では彼らの誤りを明らかにすることに重点を置き、適切な表現を決めるのは読者に委ねることにした。また、MGKの動機については、結論まで多くを語らないようにした。
先に進む前に、著者はラインハルト作戦についての一般的な理解、この問題に関する現在の文献の真剣なレビュー、本評論の構成に関する説明、そして著者の個人的な謝辞など、いくつかの基本的な問題に取り組む必要がある。この評論とMGKの作品との間には、2つの大きな文体の違いがあることに読者は注意すべきである。作品の構成と文献調査について MGKの主要な著作では、一般的に、歴史学や戦時中の知識、収容所内での絶滅に関する技術的な事柄、戦争犯罪裁判、ナチスの政策といった奇妙な道筋をたどり、議論された収容所の想定される「本当の」目的を主張して締めくくられている[29]。私たちの構造については、この序章の後半で詳しく述べる。しかし、この後に続くのは、ラインハルト作戦収容所に関する従来の学術的な文献レビューである。グラーフは、収容所についての回顧録や歴史家に対するポットショットや皮肉なコメントを書くことが適切な文献レビューにあたると思い込んでいるが、それは悲しい間違いである[30]。
@2011 ジョナサン・ハリソン、ロベルト・ミューレンカンプ、ジェイソン・マイヤーズ、セルゲイ・ロマノフ、ニコラス・テリー
▲翻訳終了▲
この「はじめに」の内容は、ほとんど具体的内容はありませんが、途中で「MGKの著作は引用が長すぎて著作権法違反、フェアユースに違反する可能性がある」のような記述が出てきます。それを言われたら、私のやっていることは全面翻訳引用ですから、うーむ・・・と考え込まないといけませんが、一応は海外の文献の日本人への紹介目的なのでフェアユースを満たすかなと考えています。お金も一円も取ってませんし、著作権者から要請があれば即刻削除するつもりです。当然、今のところはないとは言え、公式に日本語版が出たらその場合も削除する予定です。考え方としては、私のやっていることはGoogleが提供しているウェブ翻訳サービスのようなものであり、翻訳対象をウェブにある無料で読める文献に限定しています。一部『死の軍団』についての記事のように例外もありますが、あれの場合は翻訳部分より私による独自部分を多くしていますので引用の要件を満たすはずです。
以上のように一応は、著作権を全く気にしないでやっているわけではないのですけど、本来は翻訳許可を取るのがベターなのかなという気がしなくもありません。でもそれをやり始めると、あっちもこっちもいちいち許可を取りに行く必要が出来てしまい、あまり現実的ではないと思って、どこにも翻訳許可申請などしていません。述べた通り、一円のお金も取ってないし、私には何の広告収入もありませんので、営利目的でないことと、翻訳元に不利益を与えるわけでもないので、許されるかなと考えております。
本心を言えば、投げ銭してもらってお金欲しいんですけどね。ほぼ機械翻訳だけと言ってもこれ、そこそこ手間がかかってるんだぞ、と(笑)。