ホロコースト:600万人説に「物的証拠」はない、という話。
Xで、参加者の多いスレッド(主としては慰安婦問題を扱うスレッド)にホロコーストの話題が出ているのを通知で知り、自分の得意分野だと「驕った」のが不味かったのか、あるアカウントの人を「君はホロコースト否定派だ」とそう呼ばれたくない人を決めつけたために、おそらくそのアカウントのお仲間連中からも複数の通報を浴びたのしょう、アカウントが凍結(実際にはロックのようですが、迂闊にアカウントを開いてしまうとログアウトすらできないような操作困難になる場合があり、アクセス自体してないのでよくわかりません)されてしまいました。
私も血の気の多い方ですが、相手の方が血の気が多いことが明らかで、数も多いし、Xの仕組み上、凍結リスクを考えるべきでした。Xが凍結やロック等の処理を人手に頼らずに自動的にやっているのは自明なのですから、複数の通報で割とあっさりロック〜凍結されるようなのです。イーロン・マスクが買収する前のTwitterでは、もっと人手に頼っていた気がするけれど、その時に多数の人員をリストラしており、またイーロンはスパム・ボット対策に熱心だったことも明らかにされていたのですから、凍結処理の自動化でやられてしまうことを頭に入れておくべきでした。
一応、異議申し立てはしてあるですが、十日以上経ってもX社から返信はなく、復活しないのではないかという気がしています。正直言って、今回のこと以前から、Xになって以降、Xが相変わらず情報拡散装置としては他のSNSよりは遥かに有用ではあるものの、デマを見ることがあまりにも多くなったので、Xにはかなり嫌気がさしており、もういいかなという気もしています。BuleskyやThreadsなどをもっと活用しようかな、と。
「証拠」とは何か?
ここで、「証拠」という言葉の意味するところについて述べておきたいと思います。ホロコースト否定論のような歴史修正主義的な議論においては、頻繁に「証拠がない」という主張が否定派・修正主義者側から言われます。大抵の場合、かなりそう断定的に言われるので、ボケっとしてるとそうなのかなぁ?と思い込んでしまう人も多いかと思われます。
しかし、ここで言われている「証拠がない」とは、それら否定派・修正主義者側が認める証拠がない、と言っているだけなのです。ホロコースト否定の場合、例えば否定派は肯定的な証言証拠を全て拒否するので、証言の全てが証拠にならないと勘違いする人がいるかもしれませんが、証言も証拠になり得ます。当たり前です、刑事裁判で証言は証拠にならないから、証人申請は全て却下される、なんてことはありません。
では、何が証拠で何が証拠でないのかを決める基準はあるのでしょうか? 実は、原則的には何が証拠で、何が証拠でないのかを決める明確な基準はありません。「何をバカなことを……」と思う人がいるかもしれませんが、実際にそうなのです。日本の民事訴訟法では、
とあり、また刑事訴訟法では、
とあります。これを、自由心証主義と呼びます。こうした考え方を採用するようになったのは理由があります。というのは、以前に採用されていた、これと対になる考え方である法定証拠主義には「画一的な証拠法則は社会関係の複雑化に対応しえず、真実発見が妨げられる(おそれがある)こと」(https://eu-info.jp/CPL/finding.html)や、あるいは法定証拠主義が採用されていた時期には自白を必須要件とすることが多く、しばしば自白の強要・拷問などが実施されていたからだとされます。
また、ホロコーストを裁いたとされるニュルンベルク裁判では、国際軍事裁判所規約に以下のような条文があったので、それを問題とする人もいました。
ここで言われる証拠に関する法技術規則とは、各国が定める法体系の大きな枠組みの一つである、いわゆるコモン・ロー系の法体系を持つ国では、裁判所が認める証拠について、非常に細かく複雑な証拠規則を採用しているからです。例えば、以下に米国の証拠規則が書いてあります。
一覧するだけでもわかるかと思いますが、恐ろしく複雑で細かく、膨大な量の定義や技術規則が書かれています。しかし、こんな難解な証拠規則を、法体系の異なる国も参加する軍事裁判で採用するのはナンセンスでした。ただし、米国が裁判主体となったニュルンベルク継続裁判では、独自に証拠規則を設けたようです。
いずれにしても、証拠規則のように証拠を厳密に定義しようとすると、極めて難解な定義になりかねないことが示しているように、何が証拠であるかは、事実上具体的に定義することができないのです。
「物的証拠」とは?
さて、タイトルの話。まず、「物的証拠」とは何かという話ですが、ネット辞典サイトであるコトバンクによると
とあります。最近では、ダウンタウンの松本人志が裁判を取り下げた時に吉本興業から発表された松本人志側の内容が話題になりました。
ここで述べられている物的証拠とはおそらく、録音や映像記録のことを指しているのでしょう。物的証拠の他には、証言証拠や状況証拠、など(区別の仕方によって様々な証拠がある)があります。
ただ、松本人志のコメントで述べられてる物的証拠とは、「より確実で否定し難い」というような意味で言われていると思います、いわば、「決定的で確実な証拠」のような意味なのでしょう。そうした表現では、何が決定的で確実なのかは曖昧になることから、それを物的証拠としたのではないかと思われます。
さて、ホロコーストには物的証拠がないというのは、否定派によってしばしば言われることです。「ヒトラーの命令書」、「法医学的に検死されたガス処刑遺体」、「ユダヤ人絶滅の計画書」、などが代表的な例でしょうか。うち、「法医学的に検死されたガス処刑遺体」はないわけではありません。
また、ナチスドイツがガス処刑をやっていたことを示す記録映像もあります。
これらは物的証拠と呼んでいいと思いますが、否定派は一般にこれら物的証拠が示されると「捏造」、あるいは「捏造の疑いがある」と言い始めます。
信念を強要するわけにはいきませんから、それはそれで仕方ありません。
600万人説には物的証拠はないという事実。
冒頭でお話しした、Xでのアカウントロックか凍結の際、この話を確かしてたと思います。いきなり言われたのですよね、600万人に物的証拠はあるのか? とか物的証拠を出せ、とか。
その時の私の返事としては、600万人説は人口統計調査から導き出されるものだと返事したように思います。これは統計的証拠と呼べる可能性がないとは言えません。そんなものがあるのか? と問われれば一応あるようです。
但し、ここで言われている統計的証拠(statistical evidence)とは、科学的証拠(scientific evidence)の一つとみなされるものであり、例えば犯罪事実に関わる何某かの事象の起きる確率が科学的に平均的なものであるとみなされる、のような事柄を意味することだと思うので、600万人説のように、調査データから推計される数字を果たして正式に統計的証拠と言うのかどうかは、専門家でもない私には不明です。
しかし、幾つもの異なる研究者や調査機関による推計値が概ね500万人〜600万人であることは、概数として600万人説の正しさを統計的に証拠付けていると思われます。
では物的証拠は?
……、……、……、
そんなものあるわけありません。というより意味不明と言った方が正確に思えます。一体何が600万人説の物的証拠になるというのでしょうか? 600万人分の遺体でしょうか?
当然の前提として、アウシュヴィッツではその遺体はほんの一部を除き、埋葬すらされず、火葬されたのちに燃やされた遺体の残骸は細かく砕かれて、近くの川などに捨てられてしまいましたし、他の絶滅収容所でも同様ですし、またソ連領域の広い範囲では、全部とは言えないまでも1005作戦によって同様の処置がなされており、そもそも数百万の遺体は残存し得ませんでした。
もちろん、素人的ないい加減なホロコースト否定派の人がしばしば主張する「ホロコーストには遺体が全くない」わけではありません。私の記事でも過去、何度か紹介してきましたが近年でさえも発掘されています。
他にも発掘事例もありますし、当時撮影された大量遺体の写真も、探せばネットでいくらでも見ることもできます。決して「ベルゲン・ベルゼン収容所の大量の遺体は疫病か餓死によるものだった」の写真だけではないことがわかります。
無論、600万人分の遺体写真など望むべくもありませんが、そんなの非現実的であることは言うまでもありません。
例えば、毛沢東の大躍進政策では3000万人以上の犠牲者が出たと言われていますが、その犠牲者数に物的証拠は何かあるのでしょうか? カンボジアのポルポト政権は、当時のカンボジア人口の1/4となる180万人くらいを虐殺したと言われていますが、その犠牲者数に物的証拠はあるのでしょうか? スターリンは大粛清で、ある説によると800万人から1000万人を処刑したとも言われているようですが、物的証拠は? ……あげれば他にもいくらでもあると思いますが、それらの物的証拠の有無を私は知りませんが、もし仮に、過去に起きた大量の犠牲者数が生じた事例に関し、それらの犠牲者数に関して物的証拠がないとした場合、私たちはその犠牲者数を主張してはならないとでも言うのでしょうか?
もちろん、そんな馬鹿げた話はあり得ません。犠牲者数規模の推定を行うことは可能であり、ホロコーストでは特に、戦前・戦後のユダヤ人人口がある程度はわかっていたのですから、それを元に推計を行うことは可能です。あるいは、収容所等の個別の犠牲者数の推計から、トータルの犠牲者数を推計することも可能でしょう。いずれの場合も、当然、誤差範囲を含むものとなりますが、それで何か問題があるのでしょうか?
その時のX上での別の議論で、ある人がアウシュヴィッツの犠牲者数の推計値が「110万人〜150万人」とされていることに対し、「40万人もの推計幅があることはおかしいと思わないのか?」などと言う人もいました。しかし、推計に用いた細かなデータ自体に幅がある場合、その幅を含めて推計値を表示することに、一体何の問題があるのでしょうか? そのような推計幅があることは、それ以上正確性を詰めることができなかったことを、正直に示しているだけの話であって、それ以外ではありません。
これらの内容を伝えたところで、わかってもらえるような相手ではなかったことは明らかだったので、通報されてアカウントロックがかけられる前にとっととブロックでも何でもして退散すればよかったのですけれど、血の気の多い自分、という点への自覚の足りなさは如何ともしようがありませんでした。どーしても、相手を言い負かしたい感情が生じてしまって、引き下がることに納得できないんですよね。こういう自分の性分は本当に反省しなくてはならないのですが……なかなか。