【エッセイ】 #7 夏の夜の"ととのい"
もう、うんざりだ。
22時。ギュウギュウに詰め込まれた、からっぽの頭を抱えて地下鉄の出口を這い出る。
顔に一瞬、少し冷えた風を感じる。それも束の間。
東京の気怠い空気を溜め込んだアスファルトが熱気を吐き出し、体にまとわりつく。
暑い。東京の夏の夜は風情もないし、何もない。自分の頭と同じ空っぽだ。うんざりする。
そんなうんざりを抱えながら、家路に向かう。
家には350mlのクラフトビールがある。コンビニで買える、少し高めのクラフトビール。
"普通よりも少し良いもの"が自分を家に導く引力だ。250円の引力。
ちっぽけな人生だな、と思いながら歩みを進めていると、ふと足が止まる。
---銭湯だ。
こんな熱帯夜に足を止めるはずがない場所。それでもからっぽな夜と自分が、足をとめた。なぜか。
銭湯の看板にある3つの文字。
「サウナに入ろう」
蒸し暑さはもう沢山なはずなのに、なぜそんなことを思うのか。からっぽの頭の中で呼び起こされる感覚。ギュウギュウの頭が欲している感覚。
"ととのい"
中目黒かどこかの銭湯で友達に連れられたあの日。サウナに行ったあの日。
頭の中のギュウギュウが綺麗な空っぽになった。
あの感覚が今、蒸し暑さが飽和する熱帯夜に自分の足をとめたのだ。
「サウナに入ろう」
空っぽの夜と頭を変えてくれる。
そんな淡い期待と汗ばんだ体を抱えて暖簾をくぐり、下駄箱に靴を入れる。
ここには800円の引力がある。
夏の夜の"ととのい" という引力。
ちっぽけな人生を変えてくれはしないけど、
東京の夏の夜にはまだ風情があったみたいだ。