【映画感想】#1「ザリガニの鳴くところ」に哲学を学ぶ
※この記事は映画「ザリガニの鳴くところ」のネタバレを含みます。
今回は 2022年に公開された映画「ザリガニの鳴くところ」を観た感想について書きます。
結論、余韻がある作品で個人的にはかなりハマりました。
題名や予告からは暗いミステリーのような印象を受けますが、牧歌的な要素もある、味わい深い作品だったと思います。
ただ、この作品には哲学的なテーマが含まれているのではないか?
そんなことも考えたので、この記事でしっかり言語化したいと思います。
まずはざっとあらすじから。
あらすじ 「ザリガニの鳴くところ 」
「ザリガニの鳴くところ 」 の感想
ナショナルジオグラフィック顔負けの雄大なノースカロライナの湿地帯が映されたかと思えば、青年の変死体が発見されるという不穏な場面から始まるこの作品。
思えば、 「ザリガニの鳴くところ 」 はいわば
この陰と陽の繰り返しであったと思う。
コインの表と裏を繰り返すように、広大な自然の美しさと人間の醜さ、人間の暖かさと自然の残酷さ が織りなす。
だが、一見ヒューマンドラマ寄りのミステリーに思えるこの作品には
「人間とは何か」
というテーマがあるのではないだろうか。
かなり哲学的なテーマかもしれないが、そんなことを考えた。
カイヤが触れる 人間の二面性
物語のメインは青年が変死体で発見された事件を発端に、青年を殺した罪にカイアが問われ、裁判を起こされる場面だ。
事件を通してカイヤが触れる人間は
ハッキリと2つに分けられる。
偏見を持たず正義に忠実な弁護士
偏見に満ちた大衆に迎合する検察官
カイヤを1人の女性として大切に寄り添う男性
カイヤを1つの所有物として己を満たすだけの男性
カイヤを見捨てた母親と支配しようとした父親
カイヤを子供のように見守り続けた雑貨屋の夫婦
という具合だ。
カイヤは湿地帯という彼女だけの世界(自然) に足を置きながら、ある種の二律背反するような人間との接点を持ってきたのだ。
ストーリーとしてはそんなカイヤが愚かな人間たちに負けず、暖かな人間たちの支えを持って無罪を勝ち取り、自分に一途に居続けてくれた男性と生涯を寄り添うというグッドエンディングを迎える。
しかし、ハートウォーミングに締めくくられるかと思いきやラストシーンで実はカイヤが 青年を殺していたという事実がわかるのだ。
このシーンは一体どういうことなのか。
簡単にいえば、
カイヤは最初から「人間であること」に
執着していなかったのではないだろうか---。
カイヤは自然に生まれ、一人で生きていく方法も知っていた。自然のような純粋さ大らかさを持つ一方で、厳しさも心得ていた。
カイヤは先中でこんな台詞を残している。
カイヤがホタルは 求愛のための光と オスを誘き寄せるための光 を使い分けると話す。
それに 「メスがオスを食べるなんて」「虫に道徳はないのか」と人が応えると
「自然に善悪はないのかも。生きるための知恵よ。懸命なの」
と話す。この台詞が全てかもしれない。
カイヤにとっては自分は自然の中の1つの生き物であって、それがたまたま人間である程度のことで、
自分が生きていくために同じカテゴリーの人間を愛し、脅かす存在は人間であろうと殺める。
そんなことを実は心で決めていたのではないだろうか。
裁判で印象的なシーンがある。
陪審員が差別感情でカイアを殺人罪に問おうとする場面で、正義感のある弁護士はカイアに
「今こそ自分の言葉で語るべきだ、自分のことを
自らの言葉で語り、彼らに無実であるべきことを訴えるべきだ」
と諭す。しかしカイアは
「 なぜ虐げられてきた私が彼らに懇願しなければならないのか。彼らが裁くのは私じゃない。彼ら自身だ」
と言い放つ。この言葉を受けて、結局は弁護士が彼女の代わりに陪審員に 熱弁を振る舞い、無罪を勝ち取ることになる。
このシーンでもわかるように、彼女は自分の本当の気持ちを誰かに話すシーンはこの作品にはほとんどないと思われる。
(愛に関するやりとりは別として)
「世を去るときは、ひそやかにすうっと消えたい」
この台詞も、結婚して老後を迎えたカイアが一人でボートに乗っている時に頭の中で回想する言葉である。
結局カイアは自然に生まれた自分と、人間にどこか1つ線を引いて生きてきたのではないだろうか。
人間であることを真に受け入れるならきっと
裁判の最後の証言でも、遺言にでも
「本当は私があの青年を殺した」
と残すのだろう。でもそれを選ばなかった。
「人間とは何か」
それはカイアが自然に生きながら愛も知ってしまったジレンマなのだろう。
だからこそ、子供も産まなかった。
答えのない問いだからこそ、誰にも言わずカイアは夫のいない場所で一人でそっと死を迎えたのかも知れない。
ラストシーンの言葉も印象的だ。
この言葉は彼女の遺書だったのかもわからないが、もし回想であるならば、彼女はジレンマを抱えてながらも、最後は自然として生きる自分を受け入れて静かに眠ったのではないだろうか。
こんなことを思わせてくれる余韻のある作品でした。余白のある映画は大好きです。
この作品は定期的に見返したくなると思います。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。