第四章 完全フリーランスへ(1)
激震
2014年はあまりにも一度にいろいろなことが起こり、ガムシャラに突っ走ったせいか、翌15年は結構おとなしくしていた感じの一年でした。ただ、プライベートで一生の記念になる出来事が起こりました。仕事には直接関係ない、しかも自慢話になってしまうのですが、後々、かなりつらい時期の心の支えになることなので、触れておきます。
9月にいくつか用事があって上京した私は、ちょうど用事がない時間帯に行なわれた映画の撮影にエキストラで参加しました。それが『シン・ゴジラ』(2016)だったのです。撮影現場は、私がこの時宿泊していた西新宿のホテルから徒歩10分の場所―――東京都庁。本当の災害対策本部を借りての撮影です。割り当てられた小道具のIDカードによると、私は「東京都主税局の主任」だったようです。今回は逃げ惑わず、何となく演技もしつつの“出演”。お昼前から始まった撮影は夜までかかりましたが、とても楽しい体験でした。撮影の詳細はもちろん、参加したことも口外禁止。自分の姿はちゃんと映っているのかも楽しみだし、もし映ってなくても撮影に参加したことを早く自慢したい!翌年7月末の公開がいろんな意味で待ち遠しく、それまでの10ヶ月がとても長く感じました。
しかし、それから7ヶ月経とうとしていた翌2016年4月14日の夜、すべてが引っくり返されるような出来事が起こりました。熊本地震です。翌日未明の本震で我が家は半壊状態に陥り、避難所生活を送ることになりました。本震の時、寝ていた娘の腕の上に本棚が倒れて来て抜けなくなり、揺れが続く中で助け出そうとしながら、一家全滅も覚悟しました。幸い、何とか助け出すことができ、その時の打撲はありましたが、それ以外は家族に人的被害はありませんでした。
昼間の勤め先は営業していましたが、我が家がこんな状態で片付けなければいけなかった上、公共交通機関は運休や部分運行が大半で、私が通勤するにはかなりきつい状況でした。1週間ほど休んで翌週には復帰しましたが、トータルで片道1時間ぐらいは歩かなければならない区間がありました。
熊本県の映画館の大半は熊本市と隣接する町に集中していました。当然、それらのほぼすべてが被災して休業に追い込まれました。つまり、県内で新作映画がほとんど上映できない状態に陥っていたのです。当然、地元の新聞やタウン誌の映画コーナーも休止せざるを得なくなりました。また、当時の私は久しぶりにテレビのセミレギュラーも務めるようになっていて、RKKの夕方の情報番組に不定期に出演して新作映画を紹介していたのですが、当然これもお休み。これは痛かったです。
幸運なことに、前年から他県のタウン誌の映画コーナーも担当するようになっていたし、東京からの臨時のお仕事もありました。また、仕事ではありませんが、この体験をきちんと書き留めておきたいという欲求に突き動かされていました。
私は、商売道具であるノートパソコンを避難所に持ち込んでこれらの作業を進めましたが、私たちがお世話になっていた避難所である税務大学校には、自由に使えるWi-Fiなどのネット環境がありません。避難所で出来ることを早朝や夜間にやっておき、メールのやり取りなどネット環境が必要な作業は、昼間に家に行って家の片付けの合間に進めました。
地震から約3週間、熊本市の方針で市内の大半の避難所が閉鎖されることになり、私たち家族も家に戻りました。かなり治まったとは言え、まだまだ強めの余震が続いていたので、そのたびに私たちは、家が倒壊するかも知れないという不安に襲われていました。一方、実家の店を廃業した後、母と伯母は二人でアパート暮らしをしていましたが、そこは我が家以上に激しい損壊を受けました。二人は、当時通っていたルーテル教会にしばらくお世話になった後、自立型のケアハウスに入居しました。
この3週間のことは、3年後に『熊本地震で微妙に被災した家族の日記』という本にまとめてKindleとオンデマンドで上梓しました。これも、その後の私の身の振り方に大きな影響を及ぼすことになるのですが、後ほど改めて。
実は、この3週間の後からが本当にキツい日々でした。まさしく、先が見えない毎日。いろいろやって、いろいろあったのですが、仕事にはあまり関係ないことばかりだったし、何より思い出しただけでイヤな気分になるので、書くのは止めておきます。
ゴールデンウィーク頃を皮切りに、映画館も徐々に営業を再開し始めました。6月に入る頃には、熊本市からしばらく南に行ったところにあるシネコンが営業していたことから、新聞やテレビなどの新作映画紹介も再開されるようになりました。少しずつ、以前の生活が戻り始めました。
そして7月末、ついに『シン・ゴジラ』が公開されました。上映する映画館が、県内ではその南の方のシネコンだけだったので、初日に昼間の勤めを休んで(笑)、2時間かけて電車とバスを乗り継いでそのシネコンへ行きました。都庁のシーンは全体で数分間でしたが、いきなり室内の最初のカットで画面のど真ん中に映っていて、その後も意外に目立つポジションも含めて合計5カット映っていました。映画自体も良く出来ていたし面白かったし、最後は復興へのメッセージが込められていたため、観終わった時にはいろいろな意味で元気になりました。本当にあの頃は、あの映画が私の心の支えになっていました。
(つづく)
<これまでのお話>
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