浪費ではなく自己投資をしろ!と言う人へ

有料エリアを設定してますが、たいしたことは書いていません。買わなくても良いです。これを読んで、あなたの考えが、より深まってくれればそれだけでうれしいです。

お金に関する、ビジネス本とかでよく比較されるものであるが、お金は自分の将来のための投資に使った方がよく、余計なものにお金を割く浪費に使うのは悪いことだといわれたりする。

もちろんそこには、いろいろな根拠をもとに書かれていて、納得したはず。だけど、なんか心が窮屈な気がするな。苦しい気がするな。そんなふうに感じる人もいるはずだ。

例えば、自分の親が競馬や宝くじなどのギャンブルや、外食などにお金を費やしているのをみると、なんだかイライラしてしまったり、悲しい気持ちになったりする。また、毎日毎日、お菓子ばかり食べているのをみたりすると、健康に悪いだけだ!と思って、やめさせたくなる。でも、そうやっていっても、やめさせることはできない。その人たちは自分でやめたいと思っていないからだ。

じゃあ、諦めるしかないのか…。と思うと、なんだか、もの寂しい思いをする。

自己投資すれば、将来、何倍にもなって自分に返ってくるはずなのに、自分の身近な人がそうやって、変にお金を使う、浪費するところを見てしまうから、余計にストレスに感じてしまう。

こうやって、お金を使うことに対して、抵抗感が生まれてしまうわけだ。

でも、そこにはある価値観が根底に潜んでいるのではないか?

投資が良いこと、浪費が悪いことと決めつけているのはどういった価値観からだろうか?

また、自分は本当にそれに従えているのだろうか?つまり、自分は浪費はしていないと断言できるだろうか?

結局は無駄遣いをしてはならないという考えの根拠として、自己投資をしなさいと言っているのかもしれないが、あなたが本当の意味で自己投資をしてもいないのに、周りの人は自己投資するはずがない。

自己投資は正義なのか。正義なのかもしれない。しかし、浪費ではなく自己投資をしろと言う人は、相手に無駄遣いさせるのをやめさせたいことを目的にしているだけで、別に相手がやりたくもないことを押し付けている状態になっているといえる。浪費はラクで、自己投資はハードなのだ。長い目でみれば、もちろんその逆になる可能性はある。しかし、今を生きているからこそ、今ラクにしたいという気持ち、今のうちに味わっておきたいなどという思いがあるはずだ。

もっと深く言えば、あなたは自己投資をしたくなくて、浪費がしたいと言っている。あなたは今、自己投資をしてラクになり、浪費している自分の将来像を想像しているのだ。結局、あなたは今味わえない代わりに将来浪費ざんまいを考えているではないか!浪費をするなといったのにも関わらず。そんかあなたは他人に自己投資をしなさいと言う資格はない。

将来の自分に期待しすぎて、今の自分との乖離が大きくなりすぎてしまっている人がやはり多い。大学受験で、東大医学部を志望してしまうようなものだ。もちろん、志望することは悪くないが、その乖離したところをどうやって埋めていくのかというプランは今のあなたにあるのか?

将来の自分も、今の自分に勝手に期待されて図々しく思っているはずだ。今のあなたも、将来のあなたも、どちらも浪費がしたいのだ。

あなたがもし何かに成功したという経験があるなら、それはこれまでがんばってきたからで、過去の自分が支えになってくれているのだ。支えになってくれるのは過去の自分しかいないのだ。唯一、浪費がしたいなんて思わないのは過去の自分だ。未来の自分に勝手に期待してもらわないで欲しい。だからこそ、一番過去に近い今を大事にしなければならないのだ。今を大事にしたいというのは、あなたが、浪費をしているように見えている周りの人と同じなのだ。今を楽しみたいから、浪費するのだ。人生は結局は浪費して楽しむためにあるのだ。自己投資しろと言っている人は、極端な言い方をすると、自己投資へ浪費しているのだ。結局、何にお金を使いたいのか、人それぞれなんだから、文句を言う資格はない。それが親だろうとも。

浪費をするな!自己投資をしろ!と言って、特に自己投資を自分で実行に移せていない人は、自分が『何にお金を使いたいのか、使えば良いのか』分かっていないのだ。そんな自分にイライラして、自分が正しい使い道をしていると思えない身近な人に対して当たってしまうのではないか?これが根底に隠されている価値観である。

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