050.「自分のために作られた」という錯覚のこと
「大人になったらグッチとか身につける大人になるのかな」と思ってたけど、27歳3ヶ月の今、我が家のクローゼットやアクセサリーボックスはノーブランドばかりだ。
もちろん好きなブランドもある。ケイトスペードのぶっ飛んだバッグ欲しい。グランドセイコーの時計だって一本くらい欲しい。ルブタンのピンヒールをゲットしてかっこいい女になりたいし、ティファニーのピアスやディオールのロングジャケットも素敵で眺めているとクラっとする(値段的にも)。
ブランドはブランドで好きとして、普段は「誰が売っているか」よりも「どれだけ自分がときめいたか」で決めている。もちろん値段も見るけど、そんなのどうでもいい!ってなって買っちゃうのもしばしば。悪い癖だ。
ときめき、というよりは運命を感じた瞬間にそれは私のものになる。一緒に買い物をしたことある友人はよくご存知だと思うが、「これ、もりたのために作られたものだ…」と言いながら買い物をしている。しっくりきすぎて手放せなくなるやつ。試着をしたらなおさらわかる。他の人の手元では輝けない、ちょっと個性が強い子たち。そんなアイテムたちとの出会いをいつも探してしまう。
例えば、この赤いコート。しまむらで2,000円でゲット。
「待ち合わせ場所で困らないね」と言われる悪目立ちアイテム。
安いものでも安く見えないようなものが好きなのかもしれない。
会社のADさんに唐突にプレゼントされた緑の本毛皮コートは冬場に着ている。
謎のマッチ感があって赤コートを着ている時よりも待ち人たちに渋い顔されるけど、晴れ着にはよく合う。
岡本太郎記念館へプロジェクションマッピングを観に行ったら出会ってしまった。
「いやこれは派手すぎるよね〜」と言ってた友人も、試着後の姿を見たら「似合う、絶対買うべき」と爆笑した一品。
限定コラボだったので、実はシリアルナンバーが入ってます。めちゃめちゃ履き倒している。二足買うべきだったかな…
ちなみに手帳カバーも岡本太郎。クライアントの前で出すとギョッとされる。たまに会話のネタになる子。
普段の服はルミネやマルイでふらっと買ったり、しまむらだったりユニクロだったりと、特にこだわりがないのだけど、自分へのご褒美にちょっといいものを買ってしまうことがある。最近だと、yaecaとほぼ日がコラボしたアパレルブランド「LDKWARE」だ。
コンセプトは「ホームのユニフォーム」。外着じゃなくて、家事をしたりする時の家の服。毎日洗っても大丈夫な頑丈さとシンプルデザインに特化している。言わずもがなめちゃめちゃ良い。値段はとっても可愛くない。ついでに数量がいつも少ないので当日に買えた試しがない(だってサーバーが落ちるし15分くらいで完売する、再販があることを祈るばかりなのつらい)
昨年は木苺のロングスモッグドレスを、今年は胡桃のアトリエコートを買った。ガンガン外着としてオフィスでもプライベートでも着ている。
言い訳は「自分への誕生日プレゼント」にした。向こう5年先くらいまでは着倒す予定。
(画像はLDKWARE公式サイトより引用)
普段はトータルで1万円もいかない、もっと言えば5,000円もいかないことも多い。
値段がいいものを身につけると背筋が伸びる感じがするのはどうしてだろうね。
コンセプトのことを思えば、いつもの家事にだって晴れ着があってもいいのかもしれない。
好きなものをいっぱい見つけて自分だけのときめきにしたい。
まだ出会っていない、自分だけのために作られたものとの出会いを今日も待っている。
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