久生十蘭 読書記録(黒い手帳/湖畔/海豹島/墓地展望亭/昆虫図)
興味はあったけど読めていなかった多くの作家の一人、久生十蘭を初読みです。
黒い手帳(1937)
巴里にある安下宿の4階にはパトロンからの支援を打ち切られた夫婦、6階には人生を賭けてルーレットの法則を解き明かそうとしている男、そして研究のために巴里に来ていた私は5階に住んでいた。これは私が書き記した一冊の黒い手帳を巡る奇妙な人間模様。
夫婦や男は浅ましい人間に見えながらも、自分達では思いもつかなかった感情に襲われることになります。
それでは、私はどうなのか。私の手記で展開されるこの話では、私自身については他の二組ほど踏み込んで書かれていません。
彼のためを思ってのみ窓から落とすことはしないのではないかと思ってしまいました。
物語終盤の行動へ私を動かしたものとはなにか、手帳は燃えたのだろうか。気になる要素を残しまま物語は終わりを迎えます。
湖畔(1937)
拠所ない事情で妻を殺した男が、情人と失踪する前に置いていく息子へ一切の経緯を記録へ残すことにした。様々な事情から偏屈に生きる事しかできない男が、ただ一人惹かれた少女。素直に愛を伝えることができないながらも結婚までこぎつけるが、体面を取り繕うあまり夫婦間にはズレが生まれてしまう。そして、二人が出会った湖面にて破局が訪れる。
破局へ向かうサスペンスかと思いきや、最終的には悪党共の犯罪記録を描いた予想とは別の破局へ向かったサスペンスでした。
一つ一つの要素は良くあるものですが、その組み方が絶妙で物語の先が読み切れず最後まで楽しめました。
主人公の屈折した性格に対して、前半部で自ら説得力のある言を積み重ねているのも興味深かったです。
海豹島(1939)
オホーツク海に浮かぶ海豹島。膃肭獣を猟獲するための施設を建設していたが、ある日、乾燥室から火が上がり剥皮夫の狭山以外が死んだ。膃肭獣猟獲事業の主任である私は、海豹島へ視察へ行った。天気が悪く島に残ることになった私は、一匹の膃肭獣と生きる狭山の他にも、女性が一名いるのではと疑問を抱く。謎を追ううちに私は島で起こった出来事の裏側を知ることになる。
島に閉じ込められながら謎を追うサスペンス小説です。
私の一人称で描かれる物語は空気感の作り方が上手く、島で起こった事件の真相を気になり先へ先へと読んでしまいます。
途中からは私が二十数年後にも生きてることを忘れて私の命の心配までしてしまいました。
真相は島の非現実性に沿うような、不思議な味わいの悲劇となっていました。
墓地展望亭(1939)
巴里にあるペール・ラシェーズという墓地と、その傍にある喫茶店Belle-vue de Tombeau。
ここの常連の中に私の興味を引いた一組の若い夫婦づれ。
彼らは毎月八日の午後四時頃にリストリア国の女王エレアーナ皇女殿下の墓碑に花束を置き、喫茶店の土壇で休んでいくのだった。
場面は変わり、巴里にあるホテルに志村竜太郎という一人の日本人が居た。
竜太郎は明日自殺をする決意を固めていつもの揺椅子へと向かうと、ふくよかな香気を漂わした若い婦人が座っていた。
この婦人との出会いをきっかけとして、竜太郎の人生は予想外の方向へと展開していく。
人を信じ切れず、生きる事にも意味を見いだせない男が、一夜を共にした女性を求めるなかで自分の心や他者からの愛情と向き合い、新たな人生を手に入れるまでを描いたラブストーリーでした。
中編分量と比較的長い物語なので、女性を探す巴里パートに始まり、不穏な空気の中リストリアへと向かう列車パート、国の反乱に巻き込まれるリストリア国パートと目まぐるしく展開が変わります。
意外な展開と言える程の物語ではないですが、それでも先が気になる良質な物語でした。
昆虫図(1939)
青木と同じく貧乏画かきをしている伴団六は、夫婦そろって変わった人間だった。
細君が郷里に帰ったと言う日から、団六の家には虫がひっきりなしに現れるようになったのだった……。
掌編程度の分量で展開される不気味な話ですが、ページ数が少ないのもあり面白さに繋がる前に終わってしまった印象の物語です。