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アガサ・クリスティー『娘は娘』A Daughter's a Daughter(1952)紹介と再読感想

アガサ・クリスティー 中村妙子訳『娘は娘』早川書房, 1973

メアリ・ウェストマコット名義の第5作目にあたる作品になります。好きな長篇ですがしばらく再読していなかったので、久しぶりに読みました。


あらすじ

アンとセアラの母娘は、お互いを大切に思いながら暮らしていた。
ある時、セアラが3週間のスキー旅行へ出掛けた際に、アンはリチャードと出会い恋をした。
2人は幸せな時を過ごし結婚を考えるようになったが、セアラが帰ってきたことで全ては変わってしまった。
セアラとリチャードはお互いに嫌いあい、常に喧嘩が堪えなかった。
アンは、そんな状況に我慢がならず悲しい気持ちになるが、自分ではどうすることも出来なかった。
緊張感は高まっていき、アンは遂に決断を迫られる。
その決断を境に、アンとセアラの関係は大きく変わっていく……。


紹介と再読感想

母子家庭であり、性格が正反対のため共依存的に生きてきた母娘が、第3者が入ってくることによって今までの歪さが表面化し、お互いに傷をつけあいながら膿を出しきり関係性の再構築をするための、全3部にわたる物語です。

40代の母と20歳前後の娘、共に揺らぎの時期にある母娘の揉め事を通して、自分のことも他者のことも理解するのは難しいこと、知らないことを理解した上での干渉が大切なことを描いています。

第一部では、セアラもアンも、ついでにリチャードも、自分が相手のことを思っているのなら、相手からも見返りがあるべきだと思っています。
相手を思ってしたことには当然称賛がなくてはいけない。相手の幸せは自分が決めるけど、自分が幸せに思うことは一緒に喜んでくれないといけない。

全ては傲慢な気持ちでしかありませんが、「相手のためだから」という気持ちが壁となっているうちは気づくことが出来ません。
相手に対して話す内容を自分に当てはめられないために、言葉と行動が矛盾していることにも気づくことができません。

そして、破綻が訪れ物語は2年後へ向かいます。
第二部では、お互い極端に干渉を避け現実逃避に勤しむアンとセアラが描かれます。

セアラは、堕落した快楽に流れそうな直前に踏みとどまれるチャンスがありましたが、今の自分の行いと同じように2年前のことを直視してこなかったために、そのチャンスを得ることができませんでした。
アンもセアラも、押し付けがましい自己犠牲の虜になっていたのです。

結局、捻れた関係は更に1年後に本音をぶつけ合うことで、それぞれが内省をするための下地を作ることが出来ました。
ここで良かったのは、本音をぶつけ合うことが、そのまま解決に行かなかったことです。

この時点ではバッドエンドもありうるなかで、それぞれの内省と、内省に伴う行動があったことで、新たな距離感での関係性を再構築できたのだと思います。

そんな作品中で冷静に観察をしているデイム・ローラとイーディス。
厳しいことを言いながらも、常にアンとセアラに寄り添う姿があったことで、読者としても安心してページを繰ることが出来ました。

ローラとイーディス程ではないですが、ジェリーも重要な人物です。
まだ若い事もあり欠点も目立つジェリーですが、人として大切な部分は持っています。
特に外国で苦労をしたことで良い部分が鍛えられました。
それでも足りない部分はありますが、今後はセアラとお互いに補いあってくれると思います。

自分で驚いたことに、終盤で3か所ほど涙が場面がありました。
始まりが戯曲だったからか、メアリ・ウェストマコット作品でも物語によるリーダビリティが高めの作品であり、その中に自分も意識しておきたい言葉が随所にちりばめられている傑作です。

「自分を憐れんでもはじまらないわ、アン。自己憐憫は誰の役にも立たないのよ」

アガサ・クリスティー 中村妙子訳『娘は娘』早川書房, 1973, p.138
セアラとリチャードの喧嘩のせいで情けない気持ちになっていると訴えるアンへのローラの言葉

「いいこと、アン? わたしの我慢ならないことが二つあるの。一つはね、自分がどんなに高潔な人間か、自分の行為にはどんな道徳的な理由があるかを得意満面と述べたてること。もう一つは、自分は何と悪いことをしたのだろうと際限なく泣きごとを並べることよ。どっちの感情も正しいんでしょうがね──そりゃあ、あなたの行為についての真相を認めることはもちろん必要よ。でも、いったん認めたら、さっさと次のことに進むべきだわ。時計の針をもとにもどすことはできないし、やってしまったことをやらなかった状態に返すことはたいていの場合、できない相談よ。生き続けること、それが肝心なんだから」

アガサ・クリスティー 中村妙子訳『娘は娘』早川書房, 1973, p.328-329
セアラの一生をめちゃめちゃにしたと嘆いているアンへのローラの言葉

舞台

クリスティーの戯曲についての研究書『CURTAIN UP』によると、本原作は本来は1930年代に戯曲として執筆されていたとのことです。

エドモンド・コークのビジネスパートナーであったバーナード・メリヴェールが、俳優・プロデューサーであるバジル・ディーンに「この戯曲はポワロや犯罪解決とは何の関係もありません。この作家の紛れもない才能のもう一つの現れだと私は印象づけられました」と紹介し、ディーンから脚本の変更要求を貰うなど、実際に動きだしていたようです。

しかし、戦争など様々な要因によって上演の実現まではいかず、1952年にメアリ・ウェストマコットの小説として出版されたのち、1956年の7月9日に遂に戯曲として初演が行われました。

参考文献
01)JULIUS GREEN『CURTAIN UP Agatha Christie: A Life in the Theatre』HarperCollins, 2015, p.145-148
02)同上, p.428

メアリ・ウェストマコット名義・作品リスト

01『愛の旋律 Giant's Bread』(1930)
02『未完の肖像 Unfinished Portrait』(1934)
03『春にして君を離れ Absent in the Spring』(1944)
04『暗い抱擁 The Rose and the Yew Tree』(1947)
05『娘は娘 A Daughter's a Daughter』(1952)
06『愛の重さ The Burden』(1956)


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