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7月のHerBEST(2020_07)
8月中も、ミャンマーへの飛行機は飛ばないことが決まった。というと、少し語弊があるのでちゃんと説明すると、現在ミャンマーへは政府の手配した臨時便のみ飛んでいて、ODA関係の人を中心に少しずつミャンマーへの入り口は開きつつある。
6月のHerBEST(2020_06)
私がヤンゴンから離れて、2か月が過ぎようとしている。
「むーこさんが現場にいなくて、大丈夫なんですか?」
この2ヶ月幾度となく聞かれた質問。私は、苦笑いしながら答える。
「うーん、大丈夫かは、わからないんですけど、まぁそうなっていくしかない、ということでしょうね」
青梅のなる頃に、思い出すこと
その古びた小瓶が、キッチンの棚、奥底から発見されたのは、祖母が亡くなって7日目のこと。そこには忘れようもない、7日前まで息をしていた祖母のなつかしい文字があった。
「1987年10月14日」
おそるおそる、小瓶を取り出して蓋をあける。
ふわっと、どこか懐かしい、梅の香りが広がる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は、死んだ祖母が大好きだった。彼女はお世辞にも美人とはいえなかったが(ごめんなさい、
忘れたくない気持ち:今ほど「社長であってよかった」と思う時はない
毎日テレビで見かける安倍総理を見つめる私は気が気じゃない。
ああ、そこでこう答えちゃう?お、そこはそう言うのね。ん?マスク?いやぁ...それは。と。
私は特に政治に詳しい人ではない。取り立てて関心がある方かといえば、そうでもないだろう。私が気が気じゃないのは、それをついつい自分に置き換えるからだ。
私の会社はスタッフたったの9人の小さな会社だ。ちなみにミャンマーにある。よくわからないこの親近
Twitterの使い方を見直します。私はあなたと仲良くなりたい。
twitterのフォロワーさんが気がつけば3000人になっていた朝。3000!?!?
今や、twitter戦国時代。フォロワー1万だとか3万だとか、そんなプチインフルエンサーがざらにいるこの世。それに比べれば、3000という数字は遠く及ばない、むしろ「およぼう」と考えようもんなら私は、目眩がするくらい。
くらーり。
でも考えても見てほしい。私は職業ツイッタラーではもちろんないし、世に言うインフル
2月のHerBEST(2020)
あっという間に2月が過ぎ去った。
お正月を終えて、ミャンマーに帰ってきたのが1月半ば。
その頃から比べて少し会社に変化があったように思う。
ある朝のこと、日経新聞の記者さんからご連絡をいただいた。
「HerBESTさんを取材してもいいですか?というか村上さんを」
私を?なぜ...と思ったが、せっかくいただいたお話。恐縮ながらもお引き受けすることにした。取材を受けると言うのは実に不思議な感情に
歩みをとめてもよいことはない
私は時々メンヘラになるので、なにもかもいやになっちゃう時ってあるんですね。例えば不安な時とか。恋愛がうまくいかない時とか。仕事で嫌なことがあったときとかね。
人生ってなかなか不条理なもので、頑張ったってどうにもならない時がある。そのたびに私は「ああ、いい感じに人生やってるなぁ」って思うようにしてるのだけど、必ず呪文のように唱えるのがこれ。
「歩みを止めても良いことはない」
自暴自棄になりそう
結局「感情」には勝てない。
ヤンゴンは夜中の11時半。こんな時間までオフィスにいることは珍しいのだけど、少し何かを忘れたくて仕事に没頭していた。そして多分今も、そう思って文章を書いている。
目の前には飲みかけのオレンジジュースがあって、そこに羽蟻がたかっている。ミャンマーは油断するといつもこうだ。家のどこかに巣があるのかなんなのか知らないが、どこからともなく彼らは現れて、そして自らジュースという液体の中に、自分の身を投げて
HerBESTの365 #2019
2019年12月31日。今年も年の瀬。
この日にやると決めていることがあるとすれば、たったひとつ。
2019年の振り返りnoteを書くこと。
そう思って、大崎のスタバにやってきた。
何かがいつもと違う。なんだこの漂う年末年始感は。
そう何が違うって、今年は日本にいる。
思えばここ3年ずっと、私の年末年始はミャンマーだった。
ミャンマーの年末年始は、「ほぼない」に等しい。その代わり4月に「テ
タイムマシンとカルボナーラ
気がつけば今年もこの時期がやってきていた。HerBEST Family Dayである。
ミャンマーの会社はどこもかしこも、社員旅行をやる風潮があるようで、起業して2年目(去年)からだろうか。その風潮は私たちHerBESTにも当然のように押し寄せたのだった。
でも、はい、みなさん。大変残念な報告です。弊社にはそのようなお金がありません(まだ。)そして、お客様をほっぽり出してみんなでビーチ(片道バ
ウニより尊くて、トロより甘い
2019年11月。私は銀座で寿司を食べていた。
私はミャンマー在住である。銀座でお寿司を食べる日が自分の人生の中でやってくるなんて、想像だにもしていない。カウンター席の目の前で握られる寿司は艶やかで、思わず大将の繊細な指先に視線がいく。
ああ、やっぱり日本だなぁ。と思う。日本はいい。何がいいって、魚が美味しい。寿司屋にいるから思ってるわけじゃなくて、いや本当に。本当だってば。
せっかく帰って
この会社は私のことを理解してくれないから、こちらから願い下げよ。
いつもは穏やかで温厚な彼女が、部屋に入ってくるなり、怒鳴り散らしている。私は必死に彼女のミャンマー語に耳を傾けてみた。全部わかる、とまではいかなくても大抵は部分的にわかるのに、興奮に任せて喋る彼女の言葉は早口言葉どころではなく、全く理解出来ない。
給料日にはいつもなにかが起こる。だから私はこの日があまり得意ではない。とりあえず目の前で怒鳴り散らす彼女の目を覗き込んで、ゆっくりと喋る。
話を聞け