「引き寄せの法則」の裏にある欲望•関心は何ですか?
いわゆる、スピリチュアルや、自己啓発の世界で、夢を実現させるためには「引き寄せの法則」があり、この法則に従うことが重要であるとか、「思考は現実化する(願えば叶う)」ということがよく言われています。
もちろん、こうした内容を全面否定するつもりはありません。私も昔は全面的に信じていましたから(苦笑)。
しかし、最近思うのですが、「引き寄せの法則」を信じる人も、信じない人も、社会の中で生きていかなければならないわけで、対立が生まれやすいこのトピックにおいても、社会の中で共存していかなければならないので、どのように共生していけるかを考える事は意味のあることだと思います。
そもそも私たちは、法的にも「内心の自由」が保障されており、他者の人権や自由を侵害しない限り、どんな思いを持っても良いわけです。
また、原理的に言っても、その人がそう信じちゃったことは事実であり、その人の中では確信していることであり偽りのないところです。
だから、相手がそう思ってしまった信念を否定したり、変えようとするのではなく、相手がそう思ってしまったことを前提にして、共に生きる社会においては、どういう共通了解や合意を共に作り上げられるかを話あった方が賢明だと思います。
例えば、そこにある「夢を叶えたい」と言う思いや情動は誰でも理解できることであり、そこでは共通了解や合意が得られるかもしれません。そして、それを実現するための方法は人様々であり、何が唯一の方法かを決めつけることはできないし、強制もできないということでも共通了解や合意を得られるかもしれません。
しかし、それぞれの確信や想いを思考の始発点にして深めていくのではなく、「引き寄せの法則が存在するかどうか」という「客観性」「真理性」を思考の始発点にすると信念対立が生まれることになってしまい、無限ループのような堂々巡りの罠にハマってしまうかもしれません。
私が思うに、「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」が正しいかどうかよりも、そういうことを主張する人たちの欲望、関心、目的がどこにあるのかを問う方が、私には関心があります。なぜなら、私たちの意識は無色透明構成中立な真空状態ではなく、常になんらかに情動があり、私たちの確信と情動は切り離せないからです。
つまり、「引き寄せの法則」を信じる人たちと共に生きていくためには、信じている人たちの確信と情動をしっかり見つめながら共に検証していくことが重要なんだと思うのです。
一つ具体的に考えると、自分の現実に対する不自由さや息苦しさから抜け出したい欲望•関心があるように思えるが、どうでしょうか?
uその欲望関心のレベルでは共通了解を作り上げることは可能ですし、そこを足がかりにして、彼ら彼女らと人間関係を作っていけるかもしれません。
以上は、私の個人的な確信であり、絶対的な真理ではありません。あなたはどう考えますか。
オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏