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歓待の力 - 信念対立を乗り越えるために


はじめに

私の関心事の一つは、人間関係における信念の対立や衝突をどのように縮小していくかです。私たちはそれぞれ異なる信念や価値観を持っており、同じ空間や時間を共有する際に理解し合えないことで対立が生じることがあります。これがエスカレートすると、身体的な暴力へと発展する恐れがあるため、この問題に取り組みたいと思っています。

クラスの中でも、単なる意見交換が言い争いになることがあります。意見が出ること自体は良いことだという見方もありますが、世界的な複雑で深刻な対立を見ると、子どもたちにも対立を克服し、合意に至る方法を学ばせることが重要だと考えています。


「聴くこと」とは?


この点については、鷲田清一さんの「聴くことの力」という本が参考になります。この本では、これまで「話すこと」に焦点を当てた哲学に対して「聴くこと」に焦点を当て、新たな領域を開拓しています。鷲田さんはこの領域を臨床哲学と呼んでいます。

私たちが信念の対立を克服するためには、自分の帰属する同一性にこだわり過ぎないことが重要です。現代社会では、国籍や文化、信念体系、役割、職業などの属性に囚われ過ぎると、個人としての対話ができなくなり、同一性同士の対立が起きやすくなります。



「聴くことの力」では、中東の戦争や日本の震災の被災者の例が紹介されています。これらの人々が、固定された同一性を失った結果、他者と名前のある交流ができるようになったことが示されています。鷲田さん自身のボランティア体験も、同一性や役割から離れた人間としての対話の重要性を示しています。

こうした事例で展開しているのは「歓待」だということでした。ここで話されている「歓待」は、通常多くの人が思ってるようなパーティーのようなわざとらしさを持ったものではなく、「何のため」とか「誰のため」などの目的を一切脇において、「ただ共にいる」と言うことを主眼においた無条件の相互交流であると言うことを確認しておきたいと思います。


個別具体的な〈間〉


しかし、一個人としての対話は常に「歓待」がうまくいくわけではありません。人はそれぞれ異なる「間」を持っており、その距離感は状況によって変わります。名前のある個人として相手に向き合っても、その間が相手にとって不愉快であれば意味がないのです。

これは、個別具体的で臨機応変な適応力を必要とする点で、人間関係の難しさが凝縮されています。

私自身の例で言えば、教師としてではなく、一個人(NONAKA Tsunehiro)として生徒に向き合うことの重要性が示唆されています。しかし、教師としての距離感と、一個人としての距離感の両方を、言語的非言語的なシグナルを感じ取りながら調整する必要があります。

したがって、信念の対立を克服し、合意に至る関係を構築するためには、相互の間を意識しながら、名前のあるコミュニケーションを行うことが重要です。

このようなコミュニケーションを通じて、私たちはお互いを個人として尊重し合い、互いの違いを認めながら対話を深めることができます。特に教育の現場では、教師が生徒との間にある距離感を適切に調整することが、生徒たちが対話の技術を学ぶ上で重要な役割を果たします。

このプロセスは、単に知識を伝えるだけではなく、生徒たちが自分たちの意見を表現し、他者の意見を理解し、尊重する能力を育むことにつながります。つまり、教師と生徒の間のコミュニケーションは、単なる情報伝達の場ではなく、お互いの個性や価値観を認識し合う機会となるのです。

最終的に、教師と生徒、または人々同士が信念の対立を超えて理解し合うためには、各個人の「間」を尊重し、その上で建設的なコミュニケーションを図ることが不可欠です。これは教育においてだけでなく、広い社会における人間関係の構築においても同様に重要な原則です。


おわりに


以上のように、私たちの対立を最小限に抑えるためには、互いの個性や背景を理解し、対話を通じて共感し合うことが鍵となるでしょう。そして、このプロセスは教育の場で特に重要な役割を果たし、未来を担う子どもたちにとって価値ある学びになるはずです。

遅ればせながら、もっと役割を超えて一人ひとりの名前をもった彼ら彼女らを「歓待」していきたいと思います。



野中恒宏

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