本を「演奏」してみる
荒木博行さんの「自分の頭で考える読書」を読んで、読書に対する見方がかなり変わってきたと思うので、シェアさせていただきたいと思います。
私はこの本で非常に秀逸に感じたのは、その比喩でした。すなわち、本は「演奏待っている楽譜」であり、読者は「演奏する人」と言う位置づけなのです。
いきなりこの例えだけでは何のことかわからないと思いますが、すなわち、楽器の演奏において、共通の楽譜をどのように演奏するかによって、その音楽の価値が全く変わってくると言うことを聞いたことがありますでしょうか。
普通、楽譜を演奏すれば、誰でも同じような音楽を奏でることができると思っている人もいらっしゃるかもしれませんが、実際には、演奏する人間の能力や、傾向などが演奏に反映されて、実は微妙に一人一人異なった「演奏」になっているわけです。
読書について言えば、同じ一冊の本を読んだとしても、人によって目のつけどころも違うでしょうし、感想の中身も違うでしょうし、その本をその後どのように活かすのか(活かさないのか)も変わってくるわけですが、それを演奏として捉えるのです。
つまり、Aさんにとっての読み方と、その後のアウトプット、Bさんにとっての読み方とその後のアウトプット、私にとっての読み方とその後のアウトプットは、同じ本であっても変わってくるわけです。
例えば、私にとってのアウトプット作品は、こうしたブログなどの文章になったり、以下で紹介するような川柳になったり、動画になったりするわけです。言い方を変えれば、同じ本であっても、何か新しい自分独自のものを創造することができるわけです。
つまり、なぜこういうことができるかと言うと、それは、読書と言う活動の中に、様々な余白を発見することができるからです(下図参照)。
すなわち、1冊の本に書かれてある内容は、森羅万象全てをカバーしているわけではなく、私についても全てをカバーしているわけではなく、常に無数の余白が存在しているのです。
言い方を変えれば、読書とは、こうした余白を埋める、積極的なプロセスにもなり得ると言うことだと思います。
例えて言えば、あなたが1人で演奏し、歌っているように見えても、それは実際は本とのコラボで生まれた創造的なパフォーマンスであると言えるのかもしれません。
以上をまとめた動画も作成しましたので、もしよろしければご覧ください。
ありがとうございました。
野中恒宏
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