Shōgunと利他と訂正の力
今、全世界で話題沸騰中のドラマ「Shōgun」で、イギリス人の夫を守るために侍たちに銃を向ける藤の姿に涙が出た。
少し前に夫と子の命を奪われ、自害も許されぬまま、毛嫌いする異国の男と再婚させられた藤。
しかし、自分の運命を受け入れた藤の弾丸は封建性をもぶち抜き、世界中の視聴者のハートも一瞬でぶち抜いてしまった。
運命を受け入れると、人間は利他の心が生まれ、強くなれるのかもしれない。
そこで一句。
「Shōgun」で大地震に巻き込まれて刀を失った殿様にジョンが自らの刀を献上したシーン。
実はこの刀は主君に謀反を起こした侍の刀。それを受け取ることは当時の時代の常識からするとあり得なかった。
しかし、この殿様は瞬時にそうした過去の物語と決別し、その家臣との新たな絆の証にした。
これは、訂正の力ではないかと思った。
そこで一句。
「Shōgun」で、調理に備えて庭先に長い間吊るされ腐敗したキジを、主君であるジョンの命に背いて取り外した植次郎は自ら死を選ぶ。
そうした彼の死を、村人の想いに応えた名誉ある死と解釈したり、他の仲間を救うための囮の死と解釈したり、様々な「訂正の物語」が生まれた。
歴史は訂正しながら進むのだ
そこで一句。
「Shōgun」では、時代劇ゆえか言葉が重く、身体に深く結びつく。
封建時代ゆえ言葉の多様性や自由はないが、その分、言葉が現実の一部として緊張感と共に身体に結びついて実際の力を示している。
ありふれた常套句が現実の影のように流れていくネット社会において、身体につながった言葉の復権を願う。
そこで一句。
お読みいただきありがとうございました。
野中恒宏