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未来世界でも宇宙人でも戦争をやめないのはなぜか?
「宇宙戦艦ヤマト」が今年で50周年を迎えたと聞き、時の流れの速さに驚かされます。この作品は半世紀を経た今でも続編やリメイク版が制作され、新シリーズも始まろうとしています。これほど長く愛され続ける理由は何でしょうか。
「ヤマト」の物語は、基本的に地球人と宇宙人の戦争を描いています。100年、200年先の未来を舞台にしているにもかかわらず、人類がいまだに戦争を続けているという設定は、精神面での進化の遅れを示唆しているようにも思えます。これは、同じくSF作品として長年愛されている「スタートレック」にも共通する特徴です。
はるかに進化した宇宙人でさえ戦争を止めないという設定を見ると、生命には「戦う」ということが本質的に備わっているのではないかと考えてしまいます。しかし、これは本当に人間の本質なのでしょうか。
哲学者のルソーとヘーゲルは、人間の本質を「自由に生きること」と捉えました。彼らの考えによれば、人間は自由に生きたいという思いを常に持っており、それゆえに他者とぶつかり合うのだといいます。そこで彼らは、「自由の相互承認」の原則を確立すべきだと主張しました。
しかし、歴史や文化、価値観の異なる国や集団、個人の間でこの原則を実現するのは容易ではありません。様々なレベルでの対話を通じて一般意志を形成する必要があり、これには多大な時間と努力を要します。
では、なぜ遠い未来や進化した宇宙人の間でも、この「自由の相互承認」の原則が確立されていないのでしょうか。私見では、それは各々が自身の意識の枠内にとどまり、過去の経験や固定観念に縛られているからではないかと考えます。
哲学者カントが指摘したように、人間は自分の意識の外に出ることができません。つまり、自分の「OS」でしか物事を認識できないのです。そのため、特に過去の出来事や経験に支配されやすくなります。言い換えれば、過去にとらわれず、まっさらな心で目の前の状況を見ることが難しくなっているのかもしれません。
結論として、地球人類や宇宙人が戦争を止められないのは、目の前にある新しい情報、特に未来につながる情報に気づかず、過去の残像に囚われているからだと考えられます。
この状況を改善するためには、一時的に過去の情報を保留し、現象学でいう「エポケー(判断停止)」の姿勢を身につけることが重要ではないでしょうか。この中途半端な状態は不安定で不快かもしれませんが、それを味わいながら外部に意識を向け続けることで、新たな発見や洞察を得られる可能性があります。
そして、そこで得られた新鮮な視点こそが、未来につながる重要な情報となるのではないでしょうか。「宇宙戦艦ヤマト」のような作品は、そうした新たな視点を獲得するための原動力となり得るのです。
つまり、宇宙人との出会いが必ずしも戦争に結びつくわけではないと思います。これは過去のスティーブン・スピルバーグの作品などを通じて見ても言えるのではないでしょうか。
全く新しい存在と出会うことは、これまでの経験や考え方が当てはまらない状況を生み出します。それはまさに、過去の経験値や固定観念を一時停止させる体験になり得るのではないでしょうか。言い換えれば、自分がこれまでデフォルトとして抱いていた価値観や信念を一旦脇に置いて、保留にする姿勢を促すものだと考えられます。
「宇宙戦艦ヤマト」という作品は、先程述べたように宇宙人との戦争を描いていますが、これを自分に置き換えて考えてみましょう。宇宙人でなくても構いません。全く知らない存在や、出会ったこともない国の人と接する機会があれば、それまでしがみついていたものを一旦保留にして、何か新しいものを生み出せる瞬間になる可能性が高いのです。
私たちは、日々の生活の中で過去の経験値や固定観念を一時停止させるような新しい存在や出会い、きっかけが実はたくさん転がっているのではないか、ということを考えるべきではないでしょうか。このようなことを、「宇宙戦艦ヤマト」の50周年にちなんで思った次第です。
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野中恒宏