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中動態 - 「する」「される」を超えた世界


私たちの日常生活での経験は、しばしば「する側」と「される側」の二元論で考えられがちです。しかし、この考え方は時に、非常に生きづらさや息苦しさを感じさせることがあります。


一直線の関係からの脱却


人間の行動や関係は一直線ではなく、中動態という観点が必要だと感じています。私たちが何か「過ち」を犯してしまった場合、それがその行動をした人の全面的な責任となってしまうとは限らないのです。中動態の視点を持つことで、重圧や息苦しさから逃れ、自分自身をより客観的に見ることができます。


教師としての私の経験


私が学校で子供たちを教える中で、この考え方はとても役立っています。私自身、何度も過ちを犯してしまう人間です。しかし、それは単なる個人的な失敗ではなく、本質は個人を含んだもっと大きな関連性の中で起きていると気づけるようになってきました。すなわち、自分が体験してきたことを全体像で捉え、自他を超えた様々な要素のダイナミックな関係性を見出す姿勢でいると、責任論を超えたシステムが浮かび上がってくるのです。


仏教の教えとの共通点


この考え方は、仏教の縁起の考え方にも似ています。私たちの存在は無数の縁起の影響によって生じるものであり、単独で何かを成し遂げるわけではありません。この謙虚な認識が、人生を豊かにする鍵となるのではないでしょうか?


最後に


私自身がどれだけこの考え方に助けられたことか。あなたも自分の責任に苦しんでいらっしゃるのでしたら、この考え方にアプローチされることをお勧めします。責任の重圧が外れると、真の解決への道が見えてくることがあるかもしれません。

オーストラリアより愛と感謝を込めて
野中恒宏

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