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相手を理解できないことは悪なのか?


はじめに:相互理解の神話


私たちの多くは、どんな場面でもお互いを理解し合い、協力しなければならないという考えに囚われているかもしれません。しかし、この考えは本当に正しいのでしょうか?実は、人間関係における「理解」というものは、私たちが思っているよりもずっと複雑なのです。


完全な理解の不可能性


実際には、個人の意識が他者に完全に届くことはなく、相手を100%理解することは不可能です。そのため、常に理解し合うことが善で、理解し合えないことが絶対的な悪だとは言えません。この認識は、私たちの人間関係に対する見方を大きく変える可能性があります。


行動の重要性:理解を超えた協力


人生には、互いの理解を超えて協力する場面があります。例えば、思想信条の違いを超えて人命救助に当たるなど、理解よりも行動が求められる状況もあります。また、相互理解を一時的に脇に置いて、共に問題解決に取り組むこともあるでしょう。これらの例は、必ずしも完全な理解がなくても、有意義な協力が可能であることを示しています。


理解を必要としないケース


さらに、理解を必要としない、あるいは理解が困難なケースも存在します。深刻なトラウマを抱えた人の中には、理解されることよりも、ただそばにいてもらうことを望む人もいます。また、心身の状態によってコミュニケーションが難しく、互いの理解が及ばない関係もあるでしょう。これらの状況では、理解しようとすることよりも、ただ存在することの方が重要な場合があります。


芸術と理解:価値は理解を超える


芸術の分野でも、完全には理解できない作品があります。しかし、理解できないからといって、その作品の価値が下がるわけではありません。それでも、理解しようと努力したいと思う人もいるでしょう。この例は、理解と価値が必ずしも一致しないことを示しています。


結論:二つの軸で考える


つまり、人と人との理解は、単純に「分かり合える」か「分かり合えない」かという二元論では捉えきれない複雑さを持っています。少なくとも、理解しようと努力する関係と、必ずしも理解を必要としない関係という二つの軸で考えることで、より深い洞察が得られるのではないでしょうか。

この新しい視点は、私たちの人間関係に対する考え方を豊かにし、より柔軟で深い関係性を築く助けとなるかもしれません。完全な理解を求めるのではなく、状況に応じて適切な関わり方を選択することが、妥当なのかもしれません。相手を理解できなくてもできることはたくさんあると思います。

野中恒宏

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