人生を自動運転していませんか?
飲茶さんの「体験の哲学」を読んで考えました。どんどん大人になってくると日々の生活に新鮮さを失い、「知っている」と決めつけ多くのことを素通りしてしまっているなあと。
「あの時何をしていたんだっけ?」「何を考えていたんだっけ?」と思い出せず、ぼんやりと時間だけが過ぎていき、それが加速していきます。
つまり、意識の中に何かが生じることを「体験する」の本質契機とするならば、何も意識せず学ばないことは、体験しているとは言えないのではないでしょうか。悲しいことにこの「未体験」状態は日々のデフォルトとなってしまうのです。
これはもはや生きているとは言えず、半分死んでいる状態と言えるかも。
もっと日常生活の中で「無知の知」を自覚して、日々の「当たり前」を素通りせずに、死ぬ前にもっともっと体験して、学びたいと思いました。
道端の花であっても、知っていると決めつけず、その背景にあるストーリーを想像する余裕を持ちたい。
野中恒宏