60代母と、90代祖母との暮らし_vol.1
実家では、母親と90を超える歳の祖母と暮らしてる。
祖母と同じ歳の祖父は、入院中。
家で健康に過ごしている祖母も、
脳は歳相応に働いているけど、体力は落ちていくし、身体機能も鈍くなっていく。
年々とかじゃなく、日に日に。
母は毎食、祖母が食べやすいように
すべての食材を柔らかく煮たり、皮を削ぎ落としたりして料理している。
お米も、水を多めに炊いた柔らかご飯。
基本和食で、中華もイタリアンもほとんど食卓には並ばない。
今日は、祖母の健康に残っていた数少ない歯が、寿命がきて抜けてしまった。
その歯に挿す形で入れていた差し歯がぐらついて、
柔らかくつくったお粥もおかずも食べ辛い。
祖母にとっては、
そもそもお粥じゃなく普通に炊いた白飯が食べたいのに、
自分の身体が言うことを聞かないからしかたなく割り切って家族と会話しながら楽しく食事しようとしているのに、
その上に更に不便がたたみかけてきて、身体の不快感と痛み、心のやるせなさで
なんとも言葉に出来ない表情をしていた。
一方で母は、
いつも祖母のことを考えて、工夫してつくった料理が、これまた祖母には食べ辛い状況になってしまった。
どうしたって、祖母の感じる不快感や痛みは、母には(私にも)100%同じようには感じられない。
それでも精一杯、理解しようとして、創意工夫、実践しているものが、
隣でまた受け付けられなくなってしまう落胆。
食事に限った話しじゃない。
洗濯、掃除、畑仕事、
これまで生きてきた生活習慣の至るところにに
”寿命にともないせまられる変化“が現れ、
祖母にも母にも、それぞれの繊細な感情が湧き出て、ぶつかる。
“これまで通り”を諦めるしかないのか。
そうして、家の隅から隅まで、生活習慣まで一新していくしかないのか。
(その場合、ヒトらしい/その人らしい生活ってなんなんだろう? )
”これまで通り“を愛でながら、以前よりも余計にかかる時間や、身体的なしんどさ不便さをまるっと受け入れて生きるのか。
(その場合、まわりの家族の生活や自己実現は成り立てるのだろうか? )
少なくとも我が家にとっては、悩ましい状況にある。