「星を掬う」町田そのこ 読書感想文
こんばんは、イラストレーターのマルオです。
今日は、読書感想文です。
「星を掬(すく)う」町田そのこさん
の本です。
本の帯には、「すれ違う母と娘の物語」
とありました。
町田そのこさんの本は、
「52ヘルツのクジラたち」を読んで
とてもとても感動して。
「52ヘルツのクジラたち」は
本屋大賞を取りましたね。
その次作だということで、
手に取ってみました。
ネタバレありで書きますので、
これから本を読みたい方はご注意くださいね^^
ざっくりとあらすじを書くと、
幼い頃母に捨てられた主人公「千鶴」が
DV夫から逃げた先に、
偶然にも母と再会し、同居する、という
話です。
そこには、実の娘でないけれど、
母と生活を共にしている
美しい女性がいて、
家事を担ってくれる女性もいてーー
この物語を通して私が感じたのは、
人間は普段主観でしか物事を見ていなくて
人が何を思って、どう違う目線で
見ていたかを知った時。
初めてわかることがある、ということです。
世界がいきなり広がる、ということです。
場合によっては、これまで見ていた世界が
反転してしまうことがある。
裏切りは愛だった。というような。
自分はほんの狭い隙間から、
物事の一部を見ていたに過ぎなかった、
そんなことも起こりうるのだと。
主人公の千鶴を捨てた母の想いに触れた時、
外側からの杓子定規な「母ならば
こうするべき」という言葉では
とても測れないような、
収まりきれないものが人間にはあると
感じました。
主人公の母は、
ずっとずっと自由な精神を持って
生きていたかったのです。
ですが、家族がそれを許さず、
望んでもいなかった。
本当の自分を押し殺して生きる、
という生き方が
家庭では求められていた。
実の娘も、そちらを自然に望んでいたのです。
母子二人旅の果てに、
「お母さん、そろそろ帰ろう?」
と言ってしまう。
母の心は自由を求めている、けれど、
娘はそれを望んではいなかった。
「私が望む生き方は、娘を苦しめる。」
母が、自分の母と「双子」と言われるくらい
同じ道をなぞることを暗に求められて
苦しんだからこそ、
娘には、同じことを強いたくなかった。
そういうことって、きっとあるよな、と
深く感じ入りました。
主人公の母は、
自分の心に芽生えた「ほんとう」を
貫き通そう、と決心した瞬間が
あったのだと思います。
親として、とか、母として、とかじゃなく。
体裁とか、一般的な常識ではなく。
私の幸せとは何か。
娘の幸せとは何か。
個としての自分と娘の幸せを考えた
結果だったのだと。
その選択をすることが、
たとえ娘に理解されなくとも。
主人公の母の覚悟が鋭く心に刺さりました。
主人公の母にとっては、
娘を捨てることが愛でした。
娘千鶴が一見矛盾に満ちた
母の選択を理解するのは
とても難しいことだったと思います。
それでも最後、千鶴は母の思いを知ります。
そして、いろいろな不幸を母のせいにして
生きてきた、その姿勢を自ら見直し、
苦しみから立ち上がるに至ります。
親からの愛が理解できない時、
状況が不幸である時、
人間の思考から自立心は奪われ、
あの人のせいで、としてしまうのかも
しれない。
それがシンプルで、楽だから。
一人の人間が、
苦しみの中から母の深い愛を知り
立ち上がる物語でした。
そしてまた、
母自身も一人の人間であり、
苦しみを抱えた少女であったことを
思い至らせるものでした。
私達はついそれを忘れて、
人を役割に当てはめてしまいます。
人は本当は、
「役割としての母」としてだけでもなく
「成熟した完璧な大人」でもなく
心に傷ついた少女を抱えて生きている、
ということを想像してみようと思えました。
人間の心の推移をここまで深掘れる
作家さんの頭の構造、想像力、感受性って
一体どうなっているのだろう、と
知りたくなります…!!
すごい、としか言いようがない!
それでは、今日はこの辺りで。
読んでくださり
ありがとうございました^^