「#先生死ぬかも」に思うこと
こんばんは。しめじです。
本当は小論文の話の続きをするところなのですが、昨日からツィッターのトレンドに「#先生死ぬかも」というハッシュタグが上がっています。
今夜は、その周りの物事について、漠然と思ったことを自分の備忘録として書いておこうと思います。
自分たちの働きかたがおかしいことに気付いていない
これは強く思うところです。
自分たちの働きかたを、「社会のスタンダード」だと思っている人は結構多いように見受けられます。
理由は簡単で、転職経験者が少ないからです。
基本的に、教員とはことなる仕事をしていた人が、教員に転職する、というケースは非常に少数です。塾とかからならたまにいますが、それも含めて少数派です。
多くの教員は、私立校や講師を経て、正規教員として採用されます。
例えば私の自治体では、私立校や講師での年数が一定以上あると、一次試験、二次試験とあるうちの一次試験の一部が免除される仕組みになっています。
また、これは表立っては公言されませんが、教員採用試験は教育委員会が行うもの。講師として、働きがよければ、当然校長経由で噂くらいはいくでしょう。
採用する側が、全くの初めましての人よりは、大体どんな働きができる人物か把握できている人を優先したい、と思ったとしてもあまり不思議ではありません。何しろ、採用したら相当なことをしないかぎりクビにできませんから。
というわけで、正規採用の教員になりたい人は大抵講師からスタートします。まずは民間で…と思う人もいますが、果たしていつ採用されるのかは全くわかりません。1、2年で正規採用される人もいれば、10年近く講師を続けた人もいます。
(もちろん、仕事に対するスタンスなどから、講師という立場を選ぶ人もいます)
中には、私もこれにあてはまりますが、「まさかいきなり通ったりはしないだろう」と、力試しのつもりで受けたら合格してしまい、他のことをやってみることがないまま教員の道に転がり込む人もいます。
結局、いずれのパターンにおいても、教員以外経験していません。
だから、私たちは私の働きかたしか知らないわけです。
当然配偶者が違う仕事をしているケースもありますが、結局は大人同士。「あなたはあなた、私は私」と割り切ってしまう部分はあるでしょう。
それに、とは言え夫婦同業者が多い業種でもあります。
だから、ニュースや報道などで「教員の働きかたがブラック」など言われても、ピンときていない人もおそらく多々います。
人の善意にはノーと言えない
例えば、教員でない人とのコミュニティにもちゃんと属し、自分たちの働きかたが過剰らしい、このままではまずい、と思ったとしても、それだけでさらりと行動に移しにくい場面も多々あるのが実情。
例えば、部活の主顧問から「今週末の練習試合、私は大会の引率と運営あるからそっちに行くんだけど、残った子たちが練習したいって言ってるんだけど…」といって急に週末に部活がぶっこまれるのは所謂教員あるあるです。
「今週末は〇〇があるので無理です。」と、本当に先約があったので断ったところ、「そうかあ…困ったなあ…なんて説明しようかな…まいったなあ…」と困り果てながら出て行ってしまいました。(ここまで含めてあるあるだと思います)
なぜ私が迷惑かけたみたいな空気になるのでしょうか。
こちらも理由はシンプルです。
主顧問は「生徒が練習をしたいと言っているので、それに応えて練習ができるように手配しようとしている」わけであり、私はそれに協力しなかったからです。
主顧問は生徒に対する善意で行動し、私はそれに答えず、自分の都合を優先しました。
だから私が迷惑をかけたような感じになってしまう、という理屈です。
そうやって、いろんな場面で、誰かの善意から仕事が増えていきます。
でも、そこに大声で異は唱えづらい。
我々が責任を取るべき範囲が明確ではない。
昔、とある保護者とした会話です。
日曜日に、LINEのやりとりで生徒同士がトラブルに。
一応両者から聞き取りをすること、必要であれば生徒指導部や科とも相談しながら対応にあたることは保護者に約束しつつ、
−ただ、原則としては、ご家庭で買い与えなさったスマートフォンのことですし、日曜日の出来事で学校の活動時間外のことですので、平日の校内でのトラブルと同じようには対応できない部分もありますので、それはご了解いただく必要があります。また、SNSの使い方などについては、ご家庭でルールを決めていただくなど、どちらかというとおうちの方主体でお子様にはご指導いただくよう、本校としては、また担任である私としても、重ね重ねお願いしたい部分でもあります。
−でもね、先生。高校生にもなればスマホは普通持つでしょ? 部活で夜遅くなったときとかも、ほら、うちは女の子ですから、心配ですから、必要なものなんですよ? ほとんどの高校生がスマホを持つのが普通の世の中であるならば、その教育は学校がちゃんとするのは当然じゃありませんか?
−はい、ご心配はよくわかりますし、〇〇さんが必要と感じておられるのももっともです。それは大変よくわかります。では一つお伺いいたしますが、ということは、スマホの便利な部分だけ享受して、SNSのトラブルなどの面倒な部分や不都合な部分だけ学校にしっかり対応してほしい、ということですか?
−いえ、そういうつもりではなくてですよ、私たちはSNSってそんなによくわからないし、ルールとかも、他のご家庭がどうしているのかも…
−つまり、よくわからないものを買い与えて、それの指導は学校でやれ、ということですね?
−いえ、そんなつもりは
−ではどのようなご意図でおっしゃったんですか?
まあ、これもあるあるです。
私たちが責任を持つべきこと、「教師」として、仕事として関わるべき範囲、口を出すべき範囲が、何もかも曖昧です。
部活でも、スマホでも、校外でのあれやこれやも、すべてそう。
例えば高校生が飲酒すると、「〇〇さん」でも、「○○家の子」でもなく、「○○高校の生徒」が真っ先に報道されることを考えても、それは明らかです。
若者の所属を社会が強く学校に規定している以上、我々の責任を持つべき範囲が無節操に肥大化していくのは仕方がないことです。
理想の学校。
勤務時間は五時まで。五時以降は家庭訪問や保護者との面談も、教員側から必要と判断した場合を除き行わない。
部活動は優先順位最下位。学級と教科の業務を優先する。当然五時には生徒を完全に下校させる。校外の民間クラブに所属したい生徒への斡旋は行わない。
生徒の登校する八時半から五時まで以外で起きたあらゆるトラブルに、学校は一切責任を持たず、一切関与しない。
もしもこれを少しでも「冷たい」と思われるなら、その思いの社会的な集積が学校の「働きかた改革」を妨げています。
もしもこれを「いや、本来こうでしょ」と思われるなら、それが積もっていけばこのようなハッシュタグも無くなっていくんだと思います。
では、今夜はこの辺で。