「その誰か」のために、時としてきちんと憤らなければならないこともあると私は思うんですよね。それによって厄介な箱の蓋を開けるとわかっていても、人間として、正しく怒る必要はあると思いますよ。教師としては失敗であることが、人間として正しいことは、ままあるので。