クライヴ・バーカーの文章が何で格好いいのか考えた
どちらにしても、敵の涙なしにこの日を終わらせるつもりはなかった。
くえーっ、かっちょええー!冒頭の文を『死都伝説』で読んだとき、素直にそう思いました。これは主人公の敵方である、警察署長のアイガーマンの心情を語ったもの。彼が悪だくみをし、どうやって敵を痛めつけるか考え、その段落はこの言葉で終わるのです。言葉の調子、響きも男の子として痺れるものがあるのですが、残虐性や決意の深さを説明するでなく、この一文で表現しきるセンスにもあこがれを感じました。
クライヴ・バーカーの文章はどうも格好いいなと思って、『死都伝説』を読み返すと、同じ章のアイガーマンのトイレシーンも格好良く感じました。
名案と排泄は切っても切れない関係にある。アイガーマンはそう思っていた。頭が最高に冴えるのは、便器にすわり、踵までズボンを下ろしているときだ。賢人や識者が並んで糞をすれば、一晩で世界平和を達成することもできるし、癌の特効薬も見つかるだろう——酔ったときなど、誰彼構わずそう吹聴することもあった。
クライヴ・バーガー著『死都伝説』より
排泄描写なのに無駄に格好いい。かっちょいいを言い続けるマシーンとして、クライヴ・バーカーに屈するのが嫌だったので、何でそう感じるのかを考えてみました。原因としては下記の四つがあると考えました。
①結論先の文章だが、謎めいている
結論が先に来る論理的構成のわかりやすさと、その結論に当る文の表現に謎を残すことでの次の文章への引きのどちらにも成功している。この文章が例えば「トイレにいると妙に集中して考えることができる」から始まったら台無しだ。
②言い切りの形式が気持ちよい
「名案と排泄は切っても切れない関係にあるとは思わないだろうか?」のように読者に問いかけて、文が間延びすることがない。
③登場人物の考えと行動を同時に描写できている
この文章中で「たぶんトイレにいる」「こういう考えをしている」「日頃酔っぱらうことがある」「面倒くさい酔っぱらい方をする人間である」とその登場人物の人となりが大分見えて来る。短い文なのにこんな人間いそうだなとさえ思えて来る。
④考えが個人の美学と呼ばれうるものにまで昇華できている
言いきりの形式であることや人となりのディテールを描写できていることにより、行動と考えの一貫性がとれ、作者の考えではなく、アイガーマンの芯にある考え、美学だと伝えることができていると感じました。
単純に賢人や識者をコケにする反インテリの思想が子気味よく表現されてていて、僕の好みだというのもあるのでしょうが、よく構成されていて格好いい。
続けて同作者の『ミッドナイト・ミートトレイン』も読んだのですが、表題作の冒頭にあるニューヨークを説明する主人公の厭世観にあふれた文章もまた格好良いんですよ。
クライヴ・バーカーはホラー界の巨匠で、残酷描写もたしかに見事だったのですが、こういう細かい登場人物の考え方の描写の上手さが好きだ―となりました。
『セックスと死と星あかり』ではゾンビの劇団たちが最後に車に乗って、旅をはじめ、こう言って終わります。
リッチフィールドは一座に向きなおり、夜の中に声を響かせた。
「われわれは何をしているか?」と、彼は言った。
「もちろん人生を演じているのだ!みんな、微笑みたまえ!」
一度人生を終え、人でなくなった劇団員たちにこのくさい台詞を言わせることでのシニカルな格好良さよ。
かっこうええし、夏だからみんなクライヴ・バーカーを読もうぜ!
参考:クライヴ・バーカー著 宮脇孝雄・訳 『死都伝説』 東京 1989年発行 集英社
クライヴ・バーカー著 宮脇孝雄・訳『ミッドナイト・ミートトレイン』 東京 1987年 集英社
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