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二方が同じ言葉を聞き、全く異なるものを耳にしているという事が起きてくる可能性があるのです。

8月に入って、「9次元存在」は、一歩踏み込んで、私たちにメッセージを送って来ます。それは、ある意味でとても具体的で、私の心に染み入って来ます。

それが真実であるか、真実でないかは別として、私がこのブログで書き続けて来たことを、補強してくれるような流れでもあります。

このメッセージでは、「自己と他者(二方)が、同じ言葉を聞き、全く異なるものを耳にしている」と表現されますが、個人の中でも、まるで光量子が、矛盾する「二つの世界線」を共有する様に、同じ言葉を聞き、全く異なる「意味」を耳にしているとも表現可能です。

それが以下のメッセージです。

『「これは全ての現実に於ける真実」
∞9次元アクトゥリアン評議会
--ダニエル?スクラントンさん経由--』
「Web(medjedさん翻訳の後半部分)」

「YouTube(kokoro century2さん製作)」

そしてそれが、「関係の意識」と「場の意識」と呼んでいる、個人の意識の中に芽生えた、同じ「言葉」の中の「相反する二つの意味」と考えると、とても納得出来るのです。

ですが、「場の意識」は、「関係の意識」が持つ「次元の制約」を超えて含みますので、葛藤が起こる心配はありません。

それは、ある意味で、「意識の奥行き」となって、不確定なままに並存しています。

その「信頼」は、「暗闇の中で、愛であること」を可能にしてくれます。

それは、「9次元存在」が語り、私が体験した様に「自らの心の闇を体験して通り抜ける」事で可能となるのです。

さて私は、「関係の意識」の世界線を生きることも、「場の意識」の世界線を生きることも両方可能となっている様です。

「場の意識」の世界線には、「関係の意識」の世界線が含まれており、物的証拠の出現を待って、確率的な可能性だけに生きることも可能ですが、「場の意識」を信頼する場合は、それ以外の選択肢も可能となるのです。

それが、「意味共鳴」と呼んでいる「因果の予測」によらない選択肢となっています。

ですがこれらは、「確定した過去の世界線」と矛盾しないとの意味で、「肉体的な制約」は、常に存在します。

私は、石橋を叩くように、これらの「信頼」を元に生きることを試している最中なのです。

さて、これを書いている時点で「9次元存在」のメッセージは、更に先へと進んでいます。

そして、より具体性を帯びていて、とうとう以下のメッセージにまで発展しました。

『「魂の闇夜
& そこからの恩恵の受け方」
∞9次元アクトゥリアン評議会
--ダニエル?スクラントンさん経由--』
(以下のmedjedさん翻訳の後半部分)

詳しい内容は、読んでもらえば解ります。

まさに、私が「人生の暗黒期」に体験した事であり、それによって恩恵を受けたことを、ここに断言できるのです。

まさに「9次元存在」が、「魂の闇夜が、自らにとって、どのように役立ったのか」と表現する具体的な体験を、ある意味で懐かしみながら語ることが出来るのです。

これが何故、「共同創造」と表現するのかを含めて、語ることが出来るのです。

これは、「想像(空想)」が「創造(現実)」となる体験でもあったのです。

つまり、前者が「関係の意識」の私で、後者が「場の意識」の私(ワタシ)なのです。

ですが、中身が変わった自覚は全くありません。

おそらく以前にも書いたことがあると思いますが、具体的な出来事を書いてみます。

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今から20年ほど前に、京都の千代原口の交差点を京都市内に向けて、自家用車で走行した際の出来事です。

当時の私は、離婚直後の独身で、両親と従兄と一緒に、父親の故郷から神奈川県の実家まで、帰宅する途中でした。

そして、この交差点(当時は立体交差はありません)を走り抜ける際に、何とも言えない感情に襲われたのです。

『将来、この近くに住むことになる。』

ただその時は、単なる空想として、一笑にふす思い付きだったのです。

ところが現在、その思い付きは、現実のものとなっています。

その事に気付いたのも、此処に越してきて暫くして、偶然この交差点を通り掛かった時で、それまで完全に忘れていたのです。
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今の私と当時の私の違う所は、10年の歳月と、家族の有無と、「場の意識」のノウハウを獲得する前か、後かの違いだけなのです。

まさに、「想像(空想)」が「創造(現実)」となる体験なのです。

偶然にしても、ほどがあります。

この様なノウハウが、「9次元存在」のメッセージに込められていると、真剣に思っているのです。

さて、ここから先は、書こうか書くまいかと迷った内容です。

実は、このブログを書いている最中に、例の「秋葉原無差別殺傷事件」の犯人の手紙の記事に出合いました。

その加害者の「幼少期の悲惨な体験」は、想像を超えたものでした。

そして、私が体験した『「人生の暗黒期」の葛藤』に、思いをはせたのです。

そして、思ったのは、「何が明暗を分けたのか。」です。

ふざけて書いているのではありません。

そこで思い当たるのは、「9次元存在」が言う所の、『「霊的精神性」のある進化』なる言葉の真意です。

そして、空海さんの「カゴメの歌」のメッセージに込められた、『「相対意識の鳥籠」からの脱出』の真意です。

このメッセージにつきましては、以前ここでも書きましたので、そこを参照してください。
「最初のインパクト3」

この事件を引き合いに出すのは、不謹慎だと思われる方も多いと思いますが、こと此処に至っては、当たり障りのない内容で、お茶を濁す訳にも行きません。

まさに、そのような時代が到来したと、考える昨今なのです。

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