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私が「パワハラ上司にやったこと」。

今現在、世界中がこの度の紛争に翻弄されていますが、われわれには、何が出来るのかと考える今日この頃です。

それは、私が過去に「パワハラ上司にやったこと」が、参考になる様に思うのです。

詳しくは、過去ブログに譲りますが、私はその時、パワハラ上司に対して、対立ではなく、「思い遣り」を持って、対峙したのです。

興味のある方は、以下のブログの後半を参照ください。
『「現実を創造する力」とは3。』
https://note.com/mr_mu/n/n7a6e8368bf3e


そして、「関係の意識」の欲望に逆らって、「場の意識」の願望を志向したのです。

実は、「アクトゥリアン評議会」も、これと似た様なことを「言って来ているのです。(意味共鳴して来るのです。)」

『「ロシアとウクライナとの間の紛争」
∞9次元アクトゥリアン評議会
--ダニエル٠スクラントンさん経由--』
https://ameblo.jp/medjed2018medjed/entry-12729443242.html


実際に「人生の反転」を体験した私としましては、単なる逆説とは違って、非常に説得力のある「発言(意味共鳴)」なのです。

「アクトゥリアン評議会」は、「被害者」対「加害者」の関係を超えた、「思い遣り」を強調します。

つまり、「関係の意識」を超えた、「場の意識」の「思い遣り」を強調しているのです。

「場の意識」の「思い遣り」とは、「自己と他者」の分離を超えた、統合の「思い遣り」とも言えるのです。

実はこれには、「関係の意識」の「思い遣り」もあります。それは、見返りを意図した「思い遣り」であり、「場の意識」の「思い遣り」とは、似て非なるものです。

決して批判している訳ではありません。

生きた人間にとって当然あり得る事です。

「場の意識(統合)」の「思い遣り」は、「奇跡」を引き起こします。

繰り返しになりますが、私の過去の体験で言えば、人生の反転が起こり、奇跡の出会いによる結婚に至り、ここ秦氏の聖地(京都、嵯峨、嵐山、太秦一帯)へと誘われ、そして今、この様なブログを書いています。

『「奇跡」の復活の時代(みずがめ座の時代へ)』
https://note.com/mr_mu/n/n9172252d7092

「奇跡」を引き起すために、目標に向ってがむしゃらに行動した訳では無く、ことさらに周囲にあたった訳でもなく、自分に可能な範囲の節度を守って、『「場」にお任せして』、感覚を研ぎ澄まして居たのです。


私は、「アクトゥリアン評議会」の「意味共鳴」に沿った、この統合の「思い遣り」に、希望を見いだしています。

この大きな紛争に際しても、世界中の紛争地以外の多くの人々が、自身の内面に立ち返り、双方の立場に立って、地勢それぞれの事情(矛盾)に対する「思い遣り」を抱けば、「奇跡」がもたらされると確信するのです。

「奇跡」を後押しするのは、いったいどの様な「集合意識のエネルギー」か。。。

さて、どれだけの人が、この「認知の外側(自己の内面)からやって来る黒船来航」に、気付けているのでしょうか。

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