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なぜ、「高次元存在からのチャネリングメッセージ」を信頼できるのか。
私は「高次元存在からのチャネリングメッセージ」が、ますます具体性を帯びて、激しさを増すのを感じています。
それは、私の体験と、以下のダニエルさん経由のチャネリングメッセージを読み合わせるにつれて、ますます「具体性」と「信憑性」を、強めるのを感じるからです。
『「信じようが信じまいがあなたは正しい」 ∞胸腺 アセンデッド・マスターの集合体/ダニエル・スクラントンのチャネリング』
自分の知る限りでは、チャネラーのダニエルさんと共謀しているつもりはありません。
これらのメッセージが、全く面識のない地球の裏側の人物から、共鳴を伴って届けられることに、ある種の感動を覚えます。
これらの次元間のメッセージには、ある種の共鳴があり、それが私の「具体的な体験」と重なり合うことで、「抽象的な意味エネルギー(場)」を「具体的な出来事の一例(関係)」へと変換するのです。
その何処に「具体性」と「信憑性」の高まりが感じられるのかを、以下のメッセージとの併記により、述べてみたいと思います。
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他の人が現在信じていることを理由に、その人を批判したり判断したりしている時に、多くの事柄についての自分の信念をどれだけ変えてきたかを思い出してください。
彼らもまた、一時的にその信念を試しているに過ぎず、そうしていくうちに新しい信念や新しい信念体系を身につけ、進化していくのです。
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多くの人は、仏教などの伝統的なスピリチュアル文化に対しても、科学的ではないとして、否定的な態度を取ります。
人類は、物質宇宙のマクロとミクロの極限に到達し、人間を人間たらしめる思考でさえもが、機械(物)が凌駕する時代へと到達しました。
現在では、精神や思考などの心の作用でさえも、「物の属性」へと成り下がりました。
これらの信念はとても強固で、私はそこに、ある種の絶望を感じながら生きて来ました。
そんな絶望のさなかに、私は科学的な信念を揺るがせる、ある「奇跡」を体験しました。
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さて、なぜ信念が重要なのだろうか、とあなたは疑問に思うかもしれません。それらは、あなたの人生が「自己成就的予言」であるために重要なのです。
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以前にもいろいろ書いて来ましたが、私はパワハラ上司により、精神的に追い詰められ、埼玉県北部の独身寮で、一人孤独と対峙しながら、どん底へと落ちてゆきました。
そうなって来ると、自分の心の内面に病理的な症状が現れ、おぞましい霊夢からの寝起き間際に、凄まじいラップ音を聞いたり、ベッドで金縛りにあったりと散々な目に会い始めます。
そして、「ギロチンの心象風景」を、現実の出来事を通して強要されながらも、「恐怖の感情」に取り込まれない様に踏ん張って、これを凌いで来たのです。
私は、孤独に耐えながら藻掻きました。
当時の精神的な状況を改善したいと、ありとあらゆる行動を試しました。
臨床心理学者(ユング派)の河合隼雄先生の著作を読み漁ったり、スピリチュアルな知恵にあった様に、パターン化した行動を変えたり、神社や自然の中に身を置いたりしながら、ひたすら藻掻いたのです。
ですが、どんなに足掻いても将来に希望が持てず、このまま人知れず死んでしまっても、誰も何とも思わないと「諦観」したのです。
私は、左遷された地方の独身寮住まいの、孤独な40なかばのバツイチ会社員に過ぎなかったのですから。
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あなたが証拠を見たいものについて、その証拠を持って来るように宇宙に伝えてください。そうすれば、そのことに関するあなたの信念を変えることができます。
宇宙に対して、あなたが何かに対する信念を変えることに前向きであることを伝えてください。自分が知っていると思っていることすべてに疑問を抱くような経験を求めてください。
そして最後に、今この瞬間、自分にとって何かが真実かどうかを判断するために、自分の感じる能力を使い始めるのです。
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私は万策尽きて観念したと同時に、天に向かって理不尽を訴えました。
それは「誰にもあたれる者がいない、徒手空拳の理不尽」に対するものでした。
それは、パワハラ上司に対しても、立場が同じだったのです。
この「無意味な理不尽」は、社会、否、世界全体の在り様に対する、やり場のない怒りと孤独に対するものだったのです。
そして、『もしこの世界に本当に「愛」が存在するのなら、それを目の前に示してみろ』と、自身の心の中に向かって、「怒りとも絶望とも諦めともつかない、静かでありながら強い感情(激しさ)」を込めて訴えたのです。
今にして思えばそれは、平原綾香のJupiterの歌詞にあった『「愛」に関する強い信仰の現れ』だったのかも知れません。
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もし自分にとって何かしっくりこないことであれば、そのことから注意をそらすことをお勧めするだけでなく、注意を向けているのが信念であれば、それを脇に放り投げることもお勧めします。
その信念が自分の中で不快に感じられるなら、その信念に関わり続けないことです。
自分は無限で、永遠で、多次元の存在であると認識しているなら、自分の前には多くの道があり、どの道を選ぶかは自分で決めているということを理解しなければなりません。
すべての道はソースに通じています。それは私たちが言うように、共鳴を感じるものです。
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私は、姿を見せず恐怖心を煽ってくる、理不尽な存在に対して強い怒りを覚えました。
たとえそれが、自らの心の中に存在するものであったとしても、決して、思う壺にははまらないと、利己的な信念から来る「恐怖の感情」を放り出して、それを自らの本質に対して誓ったのです。
そして紆余曲折を経て、平原綾香のJupiterの歌詞にあった「愛」が、「自己成就的予言」となって、実現していた事に気付くと同時に、自らの身に起こった「奇跡」を噛みしめる事となります。
それは、永遠で多次元の「ほんとうのわたし」を想定しなければ、決して実現するはずがないと断言できる程の「偶然の連関」だったのです。
そしてこれらは、私の産土の神である「宗像三女神の物語」と、それを京都に召還した「秦氏の史実」とも、密接に連関(共鳴)していた事への「気付き」でもあったのです。
私は、以下の体験的な出来事を通して、「多次元存在からのメッセージ」を、真実として実感したのです。
それでは、現実に起こった「具体的な奇跡」を以下に示します。
まずは、嫁との偶然の出会いについて、過去ブログから引用します。。
さらに京都に誘われて知る事となった、「秦氏」と「宗像三女神」と「京都太秦」とのご縁を以下の過去ブログから引用します。
驚くべきことに、私はかつて、毎日の通勤の帰りに、大津→京都→本願寺前→広隆寺前→太秦→嵯峨→渡月橋→松尾大社前と「秦氏の聖地」一帯をバスで移動する結果となっていたのです。
これらの誘いは、現在の「科学的な価値観」でいう処の「偶然の産物」なのです。
京都へ移住して来たのも、鳥取の職安で、たまたま就職先(そこ以外は全て不採用でした)が見つかったからです。
ですが、これらの「偶然の連関」を、「単なる偶然」と片付けるには無理が有りすぎたのです。
「秦氏の詳細」に関しましては、以下のウェブサイト(『古代史の研究』ユダヤのハーモニー)を参照してください。
これらの「現実の体験」があって、多次元存在のチャネリングメッセージとのシンクロを「単なる虚言」と片付けることが出来ないのです。
そういった意味で、これらのスピリチュアルな現実を、事実と思想を擦り合わせながら、石橋を叩くように、有意味性を実感し、探求し続けることが出来るのです。