”わ・た・し”と感じる感覚とは、いったい何なのか
さて唐突ですが、先日〔11月24日(水)〕に、不整脈の手術(電気ショック)がありまして、近くの大病院に行ってきました。出雲族の話題の折に、心臓の調子が悪いと書いたことがありましたが、まさにこれの治療なのですが、何とも表現しようのない体験となりました。
それはとてもフェミニンな体験で、手術の準備を含めて看護師さんが親切に世話を焼いてくれる中、それは起こりました。
なんてもったいぶって書いていますが、いわゆる全身麻酔の体験です。
不整脈の手術は、電気ショックが強烈で、人間はその痛みに耐えられないのだそうです。したがって全身麻酔を使うのですが、その体験が不思議なものだったのです。
麻酔前に、医者から、"名前を呼ぶから聞こえたら返事をしてくれ"と告げられます。
私は、その体験を感じ損なうまいと、耳をそばだてながら目を瞑っていたのです。
周りからは、医者と看護師が話す声が聞こえます。
そして、薬品の投与を開始する声が聞こえたのですが、特に何の変化も感じずに、相変わらず医者と看護師が話す声が聞こえるのです。
そして、体感的には、1~2分後に名前が呼ばれて、何か手違いでもあったのかなと目を開けた所、"手術が終わりました、心臓は正常です"と、告げられたのです。
びっくり仰天です。
その間は、自らの意思で目をつぶっていただけで、1~2分後に目を開けただけなのです。
痛みも何もありません。
ただ胸の辺りを触ると、微かに皮膚の痛みが残っていた程度なのです。
したがって、手術は実施されたようなのですが、何の実感もないのです。
手術室から、車椅子(これも必要ない位に普通だったのですが)で帰る途中に看護師さんから聞いたところによると、電気ショックの最中に、"痛い!"、と叫んだようなのです。
ですが、私には何の自覚もないのです。
手術の最中に、「肉体の私」は、"痛い!"、と叫んでいたのです。
ですが、「意識の私」は、完全に切り離されていたのですが、何とも不思議な気分です。
これを、「関係の意識」と「場の意識」の違いと捉えると、とても納得が行くのです。
では、「ほんとうのわたし」とはいったい何なのか。。。
それは、「思考する私」とは違うのか。。。
それで思ったのは、
「思考の主体」=「意識する私」=「肉体の私」=『「関係の意識」の私』
「認知の主体」=「無意識な私」=「感情の私」=『「場の意識」の私』
の構図です。
当然反論はあると思います。
ですが、肉体以外の存在の、定量的な証拠がないからですが、「意識進化」の要請として、「わたし」と呼ばれる「場」の完全なる理解が必要な様です。
「思考の主体」とは、考える主体であり、「意識の私」とは、自覚的な私であり、「肉体の私」とは、脳を使う私であり、『「関係の意識」の私』とは、他者や物事と共に交わる私です。
そして、
「認知の主体」とは、我思うゆえの我であり、「無意識な私」とは、脳以外の私であり、「感情の私」とは、「存在」としての私であり、『「場の意識」の私』とは、後ろの正面の私なのです。
そしてそんな体験に、思考を巡らせている中、目に止まったのが、以下の「9次元存在」のメッセージです。もう何と言いますか、だいぶ慣れたとはいえ、驚きの連続です。
『「あなたがたの考え…その思考は自分のもの?」∞9次元アクトゥリアン評議会
--ダニエル٠スクラントンさん経由--』
https://ameblo.jp/medjed2018medjed/entry-12711953584.html
このメッセージの中で、特に印象に残ったのが以下の内容です。そして自分の思考に付いて考えを巡らす中で、この二つの意識(「関係の意識」と「場の意識」)の「分離」と、「魔が差す」出来事の真の意味が、現実の実感として得心されたのです。
以下、抜粋します。
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『今こそ、皆さんが考えている事や、
そうした思考を考え続けたいのかどうか
という事に、注意を払う良い時期です。
そして、そうした思考を手放すのに
十分な意識と自覚を持つ事を、
私たちはお勧めします。』
私を含めて、多くの人々が、自分の思考に驚愕した体験をお持ちだろうと思います。
自分は、こんな恥ずべき考えを平気で楽しむ人間だったのかと。。。こんな考えや行為に喜びを感じる人間だったのかと。。。
『そういった思考を手放して、
背景にあるものを感じて下さい。
背景にある振動周波数/波動を感じて下さい:
つまり、その振動周波数/波動を受け入れて
深呼吸をしてみて下さい。』
この様な低振動周波数の体験を良心に照らして考えれば、いかに卑劣であるかと恐れおののく経験を、お持ちだろうと思います。行為に及ぶ以前に、多くの人は歯止めを掛けますが、中には歯止めが利かない人も居るのが現実です。
『もしそれが良いフィーリング/感覚のする
振動周波数/波動で無ければ、
それを受け入れた後、
それがどのように感じられるかを認識する事で、
意識的に手放していって下さい。
そうすれば、
自分にとって気持ちの良い思考や、
更なる高振動周波数/高波動で
振動している為に、
本質的に良い思考にアクセスし易くなり、
それは、皆さんの人生や世界を
ガラリと変えるシンプルな方法なのです。』
そうこの様な体験が、私にも確かにあったと思ったのです。これも私の「人生の暗黒期」の中で体験してきた事なのですが、まさに人生がガラリと変わって、多くの「奇跡の体験」が起り始めたのです。
----↑
これは、自信を持って断言できます。
この様な現実が、ほんとうに存在すると。。。
『「場の意識」の体験について4』
https://note.com/mr_mu/n/naacaace14f53
これらは、「天使の臨在を感じた」とか、「救済の言葉が聞こえた」とかの、雲を掴むような体験ではなかったのです。少なくとも、私の体験は。。。
「天使の言葉」など何処からも聞こえないし、「スピリットを直接感じる」ような、霊的な能力に依存する体験でもないのです。
確かに多少の「明晰夢」は見ているし、「ラップ現象」も頻発していたのですが、これも幼少期から持っていた能力というよりも、「人生の暗黒期」を通して、発現が始まった「出来事」なのです。
「絶望の感情」を「関係の意識」の行動に転嫁せず、「恐怖の感情」を振り払って、ひたすら自分の状況を客観視して、「冷徹な視点」に成りきって(今思えば、これが「場の意識」の呼び水か?)、起っている「出来事」の理解に務めたのです。
シルバーバーチを始めとする霊言集や、臨床心理学者(ユング派)の河合隼雄先生の著作が、「人生の暗黒期」の体験の真っ只中に、これを助ける力をくれたのです。