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ハイデガーの「野の道」と「目立たぬもの」とは。

春井星乃さんの「イデアヌーソロジー」の出版記念会に行って来ました。素晴らしく実りの多い、楽しい会合でした。

これにつきましては、機会を改めて詳しく書きたいと思います。

さて、轟孝夫氏の著作【ハイデガーの哲学『存在と時間』から後期の思索まで】をやっと読み終えました。

会社の行き帰り限定で読み進めていましたので、随分と時間が掛かりましたが、読後感は、素晴らしいものでした。

電車の中で、感動しながらポストイットを貼りまくっていたので、さぞ滑稽に見えていたことでしょう。

そして、私の「大先輩」との確信が、更に、ふつふつと湧き上がって来ました。

少々前になりますが、「感性に対する視座」が私と違う(一つだけ大きく異なる点は、「信仰」の対象が、「理性」だけに留まらず「感性」へも向けられた)と書きましたが、実は、晩年のハイデガーには、それが芽生えていたようなのです。

「感性に対する視座」の具体的な内容につきましては、以下の過去ブログをご覧ください。

それが、「野の道」と「目立たぬもの」の表現の中に、端的に現れて見えます。

「随分と偉そうに」と思われるかも知れませんが、実際にこの本を読み終わって得られた、正直な感想です。

さてさて、以下は、本著作からの抜粋です。

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『そもそも1930年代後半に成立した『哲学への寄与論稿』において、「存在」を「性起」と言い換えた時点で、ハイデガーは、「存在」と言う表現の限界に、既にある程度は気づいていた。「性起(エルアイクニス)」とは、
(1)「将来-現在-過去」と言う時間の拡がり、
(2)またその時間の拡がりの生起によって現存在が捉えられ、そのことによって現存在が現存在になること、
(3)「大地」、「世界」、「人間」、「神々」が相互に連関しあいながらひとつの全体を形作っていること、

これら三つの事態を包括して、言い表そうとするものであった。このそれぞれが、「存在」の生起において成立している何らかの関係性を捉えたものである。

これらの事態は、まず何か「事物的なもの」があり、それが事後的に関係に入るといった仕方では捉えることができない。関係性の成立と同時に、関係項も成立するような事態としてこれらは理解されるべきなのだ。

ところが「存在」という語は、どうしても何らかの実体的な対象を指し示しているかのように思わせてしまう。

そのため、今述べたような「存在」の実質をなす関係性をまさに関係性そのものとして言い表すには適さないところがある。

ハイデガーはこうしたことを認識して、「存在」という語の使用を差し控え、「もの」と「世界」の相互依存性を基軸とした語り口へと移行していくことになったのだ。
<中略>
1940年代の終わりに、「存在」や「現存在」という語の使用を断念するという大きな変化が見られるのである。
<中略>
1950年代に入ると、ハイデガーはアレマン地方出身の詩人ヨハン・ペーター・へーベルについての講演を繰り返し行うようになってゆく。』
-----↑

以上の様に、ハイデガーが嘗て「存在」と呼んでいた「神的な対象」が、次第に詩的なもの、文化的なものへと変転していく姿が窺えます。

そして、「性起(エルアイクニス)」に関して、上記の「三つの事態」を「考察」するに当たって、これが何を意味するのか、「私の体験」に照らして、述べることが可能です。

それは、「私と嫁の御蔵島での奇跡の出会い」が、まさにこの「三つの事態」に象徴される体験に思えたからです。

では、一つ一つ見て行きましょう。
(1)「将来-現在-過去」と言う時間の拡がり

まず、絶対に起りえない、「奇跡」の様な「偶然」が体験されました。
御蔵島では、1日しか接点がありませんでしたが、まるで時間が広がって、
その場所(絶海の孤島、更には同じ宿泊場所)にフォーカスされる様に出会いが
起こりました。そして過去においては、嫁の高校時代に私と同じ街(藤沢市)を
共有し(その頃私は、会社員でしたが)、ニアミスして居た事を知ったのです。
そしてこの出会いは「将来の結婚」へと繋がり、「将来-現在-過去」へと広がる
時間領域を有して居たのです。

(2)またその時間の拡がりの生起によって現存在が捉えられ、そのことによって現存在が現存在になること、

私の産土神であり、秦氏の氏神でもある「宗像三女神」を象徴する様に、秦野の地から「三人の女性」に導かれる様に、私は御蔵島へやって来ました。そして現存在の本来性が「性起」され、この様な奇跡が引き起こされた様に思われます。

(3)「大地」、「世界」、「人間」、「神々」が相互に連関しあいながらひとつの全体を形作っていること、

これらの奇跡の出会いは、まさに「大地」、「世界」、「人間」、「神々」が相互に連関しあいながら引き起こされて居たのは明らかです。

如何でしょうか。
作ったのではないかって。。。誰が何と言おうと、そんな事は決してありません。
この様な体験があるからこそ、「∞9次元、アクトゥリアン評議会」との「意味共鳴」にも信頼を寄せる事が出来たのです。

そして、新たな時代の胎動が、「覚醒(意識進化)」を伴って、多くの人の上に起ころうとしていると確信するのです。

次回に続きます。

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