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三石川のある橋の上で 〜16年前より今は幸せなんだろうか

 林道をバイクで走っていると、三石川の支流に架かるある橋に出た。雲一つない初夏の清々しい天気に誘われて、私はバイクを停めて舗装された道路の上にゴロッと横になった。
 ピラシュケ沢を釣り上ったり、バイクで林道を走ったりと、一日中体を動かした心地よい疲れが暖かな陽の光とともに眠気を誘い、私はリュックを枕にしていつの間にかまどろんでいた。
 少しばかり西の空に傾きかけた陽の光に誘われるようにして、蜻蛉が羽音も立てずにここかしこにひらひらと飛び始めた。うたた寝をすると風邪を引くかなと思ったが、気持ちのよい眠気には勝てなかった。

 何分くらいウトウトしていただろうか。ふと目をさますと、喉の渇きを覚えリュックの中にあったコーヒー牛乳の残りを飲み干した。橋のかなた下の方に聞こえる三石川の流れと名も知らぬ鳥のさえずり以外には音は何も聞こえなかった。
 日々、頭を悩ます諸々の想いからいつの間にか解放され、心は太陽や深い森が織りなす時間のハーモニーと戯れていた。
「初めて行ったピラシュケ沢は本当に良く釣れた。結構大きいやつもいた。いい渓流だった・・」
などときょう一日の経験を思い返していた。日々のあまりの忙しさにささくれ立っていた心が、大河のようにゆったりと流れる時間に癒されて、気がつくと穏やかでやさしい気持ちに戻っていた。

 「16年前よりも今は幸せなんだろうか?」という考えがふと頭に思い浮かんだのは、16年前に家族で旅行をした道南のある小さな温泉を1ヶ月前に一人で再び訪れた時だった。
 北海道に移住して間もないその頃、まだ小さかった子供たちを連れて道内のあちこちを旅行した。飼い始めたばかりの犬を車に乗せて一緒に連れてきたその温泉は、懐かしい思い出として脳裏に深く刻み込まれていた。
 夏の夕方、慣れない足取りで歩く子犬を連れて川沿いの遊歩道を歩いていると急な夕立に見舞われた。ずぶぬれになりながら急いで車に飛び乗った、その時の濡れた肌の感覚がよみがえる。生まれて初めて出会う雨に、子犬は愛らしい黒目を丸くしていた。
 確かに幸せだった頃の記憶がありありと思い返された。振り返って、16年後の今は、その頃と比べて果たして幸せなのだろうか?忙しさの中でささくれ立つ一方の心は、そのように問いかけずにはいられなかった。

 西の空の太陽が森の梢にさらに近づくにつれて、蜻蛉たちは互いに呼びかけ合いながら、夕べの宴を繰り広げている。少しでも風があったら吹き飛ばされてしまいそうな、頼りなげな蜻蛉たちが短いこの世の命を楽しんでいるかのようにひらひらヒラヒラと舞っている。
 長い影を作りながら西の空に沈みつつある太陽、太古の森、流れ続ける川・・・都市生活という極めて人為的で強制された時間の中でもがいていた私の心は、悠久の昔から人知れず流れている本来の時間の中で遊んでいるうちに自分でも知らない間に満たされていた。こんこんと湧き続ける泉の澄んだ冷たい水が喉の渇きを潤してくれるかのように。
 16年前とどちらが幸せなのかと、いったい何を比べようとしていたのかと不思議な気持ちになった。先日読んだ文章の一節「本当に幸福な時は、幸福とは何かという問いも消えるのだろう」という言葉を思い出した。

 あまり暗くなると、さっき通った路肩の崩れているところは危ないぞ。さあ、暗くなりすぎる前に帰るか。橋の上に停めた愛車のセローにそう話しかけ、ヘルメットをかぶり、エンジンを始動した。

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