幼な子の親孝行
「子供は5歳までの可愛さで充分に一生分の親孝行を済ませてしまっている。」という言葉がさる作家の著作の中に出てくる。
私にも1歳半になる娘がいる。
私が夜遅く仕事で疲れきった頭で玄関のドアを開けると、まだ寝ないで起きていてドアのカチッという音を聞きつけて「おとうちゃん」と言いながら駆け寄ってくる。
どたどたという大きな足音がいかにも幼い。
靴を脱いだ私の太もものあたりに抱きつき、顔を見上げてにこっとする。
抱き上げてやると顔をくちゃくちゃにして笑っている。
浴室のドアをそっと開け、湯船に浸かっている私を見て目を細めている。
遅い夕食を食べていると、テーブルの周りをぐるぐると回って、にぎやかそのものである。
やがて疲れ果てて安らかな寝息をたてている。
これこれの役に立つとか、こういった意味があるといった、存在価値や存在理由とは無関係に、存在そのものが人の心に呼びかけて喜びとなり、また慰めとなるものがこの世界には確かにある。
それは例えば、自分のつれあいだったり、山や川などの豊かな自然だったりする。
しかし、それらの中でわが子の存在というのはひときわ光り輝いている。
これをきっと子供の「親孝行」というのだろうと、冒頭の言葉をかみしめている毎日である。