マタニティフォト
妊娠8ヶ月になる次女が、マタニティフォトを予約したから一緒に写真を取りに行こうと私と妻を誘ってくれた。マタニティフォトというのは、妊娠記念として、外目で見てもわかるくらいお腹が大きくなった妊婦の写真を撮るというもので、最近流行っているらしい。
閑静な住宅街にある一軒家を改造したスタジオは、いくつかある部屋がいろいろな趣向を凝らされていて、大きなスクリーンの前でみんなが並んで撮影する従来の写真館とはずいぶんとイメージが違っていた。
次女はこの日のために買っておいたピンクのドレスに着替えて撮影が始まった。親子4人が並んだ写真、夫と二人で大きくなったお腹を眺めているポーズの写真、途中ドレスを着替えたり、レンガ風の壁や明るい日の光が差し込んでくる大きな窓のある部屋でのくつろいだ写真。
女性のカメラマンが1時間以上にわたって数え切れないくらいの写真を撮影してくれた。撮影後、その中から厳選した40枚の写真をスライドショーにして大きなテレビ画面で見せてくれるのだった。
次女が生まれたのは30年前。
3歳の時に重篤な気管支炎になって私が勤務していた病院の小児科に入院した。仕事の合間に面会に行くと細い腕に点滴をされていた。点滴が抜けないように包帯で細い腕をぐるぐる巻きにされて、面会している間ずっと泣いていた。
小学生の頃はおどけた性格で家族のみなを和ませていた。
反抗期の高校時代は、始終能面のような顔をして親とはほとんど口をきかなかった。
将来は母と同じ看護師になると言って私と一緒に勉強した大学受験。
ナースキャップを頭に載せて、看護師という崇高な職業への使命を胸に刻みこんだ戴帽式を妻と一緒に見に行ったのが10年前であった。
結婚、不妊治療 そして待望の妊娠。
スライドショーを見ながら次女との思い出が頭の中を駆け巡った。そして、写真の中の次女はこれから母となる者の、生き物としての本能的な喜びに満ちあふれていた。小柄な次女のどこにこんな力が隠されていたのだろうと思わせるくらい、力強さに裏打ちされた喜びであった。次女が佇むスタジオの一角がまばゆいばかりの光を放っていた。
こうして命というのは引き継がれていくのであろう。
親から子へ、そしてやがて生まれ来るその子へ。
喜びという光り輝く色をしたバトンを手渡すように。
女性カメラマンから「おじいちゃん、もう少し笑って!」とアドバイスを受けながら、お腹の子が生まれてくるとそう呼ばれるようになるのだと自分の歳を改めて想った。