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腹部エコー検査


「人間ドックで精密検査が必要と言われたのですね。」
「そうなんです、膵臓が要精査と書かれてまして。よろしくお願いします。」

 病院では消化器内科医として週に2回、腹部エコー検査を担当してきた。いろいろな患者さんが検査を受けに来るが、きょうは人間ドックで異常を指摘された人であった。照明を落とした部屋で検査が始まる。

「お腹にエコーゼリーを塗ります。」

 私はそう声を掛けながら、人肌くらいに温めたエコーゼリーを塗って検査を始めた。探触子を細かく動かしながら、肝臓、胆嚢と順番に内臓を検査していく。次は異常を指摘された膵臓である。心窩部に慎重に探触子を当て膵臓を描出していった。膵頭部と呼ばれている部位に大きさ3cmくらいの腫瘤がくっきりと描出された。周囲のリンパ節も腫れている。肝臓には径1〜2cm前後の影が少なくとも数個ある。進行膵臓がん、リンパ節転移、肝転移という診断であった。最も進行した病期、いわゆるステージⅣである。

 患者さんは目をつぶって検査が終わるのをじっと待っている。何を思っているのだろう。異常ありませんと言われ、ほっと一安心できるのを心待ちにしているのかも知れない。薄暗い部屋で目の前に横たわっている、今日会ったばかりのその人の横顔を気がつかれないようにしてそっと見た。

 進行膵臓がん・・・“この人の寿命もあと数ヶ月かもしれない”・・・この人とその家族に待ち受けている、恐らくは過酷な時間を想像して、研修医の頃はこのような所見を見つけると探触子を持つ手に思わず力が入ったり震えたりしたものだった。こんなことを30年以上もやっているとさすがに手は震えなくなったが、何回やっても検査とは因果なものであると思う。何かが見つかるということはほとんどの場合、新たな厄災を意味するからである。何かが見つかって良かったですねということは滅多にない。何も見つからなかったということが最高の結果なのである。その人の寿命すら占うことになる検査・・・思えば、何と恨めしい検査をずっと繰り返してきたことであろうか。そんな腹部エコー検査を習って30年以上も経った。

 最近、妊娠が判明した次女が帰省した。結婚後なかなか妊娠せず、妊活をやっているということは聞いていた。妊活を始めてからも簡単には妊娠せず、1年以上経った最近、ようやく妊娠したと連絡があった。先日、婦人科検診でエコー検査をしたら、赤ちゃんが動いていたよとうれしそうに報告してくれた。最近は胎児の心音を聞けるエンジェルサウンドという機械が市販されていて、下腹部に当てるとイヤホン越しに胎児の心音が聞こえてくる。それを購入して毎日聞いてちゃんと生きていると安心しているらしい。クリニックに携帯用のエコーの機械があるよと話すとぜひそれで見てほしいと熱心に頼み込まれた。週末の昼間、自宅に携帯型エコーを持ってきて、次女の下腹部に探触子をそっと当ててみた。私は消化器内科医なので、胎児をエコーで見ることなど滅多になかったのであるが、下腹部の胎児が入っている袋(胎嚢)はすぐわかった。胎嚢の中には確かに胎児がいた。

「あっ、飛び跳ねた!」

 胎嚢の中で、ハンモックに寝ているような姿で横たわっている小さな生き物が飛び跳ねるような急な動きをする。小さな小さな手と足らしきものも見える。胸の中では心臓とおぼしきものがシュッシュッシュッと動いているのが確かに見える。大きさにすると全体でも大人の親指くらいのものであろう。しかし、小さな袋の中には新しくこの世に生まれてきた生命が生き生きと躍動していた。

死の前触れしか感じることのできなかったエコーの探触子を通じて、命の息吹を見ることがこんなにも希望に満ちた気持ちになるとは思いもよらなかった。
 医師として探触子を通じて感じてきた人の死の予感と、“祖父”として今日初めて見た新しい命の息吹のような小さい生き物。

「お父さん、また2週間後に来るからまた検査して!」

 次女からそう懇願されて、この胎児が生まれてくると、もしかして「おじいさん」という存在になるのかと苦笑いしないわけにはいかなかった。


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