原発事故とコロナ禍と、それから教育
こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。
今回は、私が教員になってから起きた教育の制限と、それに伴って見えてきた大切なものについての話をします。
教員になってから起きた二つの災害
私の教員歴は13年ですが、日本全体を揺るがす大きな出来事が、すでに2回も起きています。
一つ目は東日本大震災です。
こちらの記事でも触れましたが、私が初任の年の3月に東日本大震災が起きました。地震そのものの被害も大きかったのですが、当時私の住んでいた福島県が受けた原発事故の影響は、教育にも大きな傷跡を残しました。
二つ目は現在進行形である新型コロナウイルス感染症です。経済的な影響が大きく報道されています。それでは、教育の現場にもその影響は大きく反映されています。
放射線量を測る日々
3.11。東日本大震災は突然起きました。
福島第一原発の冷却機能停止
水素爆発
放射性物質の流出
めまぐるしく変わる状況。特に福島県は原子力発電所の事故による影響が多大でした。
震災からの復興と同時に、放射線への対策が教育現場に求められたのです。
放射線に関する研修が実施され、学校には放射線量測定装置が配布されました。
通学路や校外学習の経路の放射線を測る日々が始まったのです。
「花を触っちゃダメだよ」
そんな対策をしながら過ごして迎えた8月のある日のことです。
私たちの学校では、放射線量を何度も測り、万全を期して、校外学習の再開を行いました。
子どもたちが楽しみにしていた校外学習。
講演に向かう途中の道で、一人の女の子が、歩道の端に咲く花に向かって走っていきました。
という言葉がとっさに口から出ました。
何度もの計測で、道の端の方に放射性物質がたまる傾向を知っていたからです。
ただ、その直後に大きな違和感を覚えました。
キレイなものをキレイだと感じて行動に移した子どもの行動を制さなくてはいけないことに、教員として、とても悲しい気持ちになったのです。
「友達と接しちゃダメだよ」
同じようなことが、コロナ禍でもあります。
2020年2月。全国一斉の臨時休校が決まりました。
そして、登校再開を果たした学校は、子どもたちにとって別の場所に変わっていたのではないでしょうか。
分散登校
マスク着用
給食は同じ方向を向いて食べる
触るものはすべて消毒される
学校行事の大幅削減
卒業式の簡略化
委員会活動などの制限
頻繁に起こる学級閉鎖
数え上げればきりがないほどの変化です。
子どもたちは、この2年間、よく耐えてきたと思います。
全国一斉休校明けに、私は原発事故後の違和感と似たような体験をしました。
久々の登校。久しぶりに会う友達とくっつきながら話す低学年の子ども達。
当時は今よりももっと、新型コロナウイルス感染症が人体に与える影響について知られていなかったこともあり、仕方がない部分もありました。しかし、やっぱり学校に来てくれた子どもたちに
というのは、教員も苦しかったのです。
外側からの圧力で見えてくる内側の価値
社会福祉理論研究の第一人者である真田是(さなだなおし)は”「社会福祉とは何か」の今日的意義”という論文の中で
と述べています。教育に言い換えると、教育の基本に抵触するような現実が起きたとき、「教育とは何か」という真価が問われるようになるということです。
私が行ったこれら二つの
という制限は、子どもの命を守るために行った指導です。
ですから、仕方ないと言えばそれまでなのですが、私は大きな違和感を覚えました。仕方がないでは済まないくらい大切なことを、子どもたちから奪ったのではないかと言う思いです。
つまり、これら二つの制限は、教育の価値を明確にしたのではないかと思うのです。
震災と疫病と言う二つの外圧が、教育の価値をシンプルに示したのではないかと、今では前向きに捉えることができるようになりました。
では、またね~!