【国会図書館】真理が我らを自由にする
こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。
GWも最終日です。ただ、明日一日頑張れば、また休みですよ~!
さて、今日は国会図書館の言葉についてお話しさせてください。
”真理が我らを自由にする”
私がまだ大学生だったころ、学校図書館司書教諭の資格を取るための講義がありました。
その講義で、教授は
という紹介をされました。
「Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ」というのはギリシア語で、新約聖書・ヨハネによる福音書の一文だと言われています。
国立国会図書館法にも、同様の文があります。
では、”真理が我らを自由にする”とはどういうことなのでしょうか?
私のであったいくつかの不自由から逆接的に考えてみます。
ケニアで出会った少年と自由
私は2015年にケニア旅行をしました。
ケニアのとあるダウンタウンで、一人の少年に出会いました。
小学4年生くらいのその子はフラフラとした足取りで、私たちの方へ向かってきました。
そして、旅人である私たちに対してすごい剣幕で絡んできたのです。
驚いている私たちに、ケニアで働いている私の友人は
と言いました。
果たして彼は自由だったのでしょうか。彼のやりたいことは何だったのでしょうか。教育は彼に何を与えられたのでしょう。
”真理”を追究できない環境は、個人の自由を妨げるのかもしれません。
カムイ伝と自由
白戸三平の漫画の中にカムイ伝という作品があります。
江戸時代の理不尽な身分制度という社会背景が詳細に描かれている作品です。この作品の冒頭部分で気になる点がありました。
下人百姓でありながら頭脳明晰な正助は、同じ百姓たちに計算や文字を教えようとします。しかし、それを役人たちは阻止します。
役人たちの支配者層にとって、農民が知識をもつということは驚異的なことだったのです。読み・書き・そろばんなどの知識をもつということは武器であり、それを分け与えることは被支配者層が力をもつことであると考えたのです。
ポル・ポトと自由
カンボジアの歴史の中に、ポル・ポトという独裁者がいました。
原理共産主義を掲げてカンボジア全体を掌握した政治家です。
※ポル・ポト期のカンボジアについては映画"The Killing Fields"が有名です。
ポル・ポトは恐怖政治で民衆を支配していくのですが、その中に強力な教育統制がありました。
このような歴史上の事実は、先ほどのカムイ伝とリンクする部分があります。
つまり、”真理を知る権利”を失うことは、自由を失うことと同義なのです。
教育基本法を見てみる
以上、これらは真理と自由の関連性を表す一例だと考えています。
「Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ」(真理が我らを自由にする)
という言葉が、国権の最高機関である国会の図書館に書かれていることは、非常に重いのではないかと思います。
では、ここで教育基本法第1条を見てみましょう。ここには教育の目的が書かれています。
私はここにも”真理”という言葉が示されているのは偶然ではないと考えています。
我々学校教員は、子どもたちが真理を追究し、自由を得られるように教育していかなくてはいけないのではないでしょうか。
もしよければ、ゴールデンウィーク、最終日、子どもの日にぜひ考えてみてください。
では、またね~!
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