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恩田陸『木曜組曲』

推しの先輩は恩田陸が好きである。
最初に恩田陸関連で話が弾んだ時は、かなり有名であろう『夜のピクニック』よりも『ネバーランド』だったと思う。周りは前著しかあんまりしならない中で、私だけ少し前に躍り出た気分で高揚した3次会の夜をいまだに覚えている。

その先輩が一番好きと言っていた『木曜組曲』を読むことにした。体調を崩してから、小説ですら文字を追うことがしんどく、ほとんど本は手に取っていなかった。時折友達が善意で貸してくれた本をいつまでに返そうと指折り数える代わりにページを繰ったり、サクサクと読めるエッセイだけ流すように読んだりしていた。そんな読書生活が続いていたなかで、久しぶりに真向から挑んだ小説が『木曜組曲』である。

本作は文筆業に関連する血縁のあるようなないような女性たちが、自らの関係のコアとなる女性の4年前の自殺について思考を巡らせるミステリーである。出版されて久しいのでうまい具合のあらすじであるとか批評は他に任せたい。私は文庫本をもとに、ちまちまと、久しぶりに読んだ小説がミステリーであることに頭を抱えながら読み進めていた。
ちなみにうぐいす館が舞台となるので、転じて桜のカバー写真を拝借している。

文庫本の解説には、この作品における女性たちのしたたかさであるとか、料理や酒など人間どうせ生きていくには必要なことごとが杭のようにしっかりと描きこまれていることに触れていた。たしかに、どれほど議論が熱くなろうととんでもない激白が展開されようと、彼女たちは生命活動に必要な食時も睡眠も、そしてひと花を添える酒もタバコも必ず欠かさなかった。
作品の中にはこんなセリフも出てくる。「どんなことごあっても、人間は食べなければならない。悲嘆にくれ、挫折を噛み締めていても、鍋を火に掛けるために立ち上がらなければならない」。あまりにも好きで手帳に手書きで写した。

しかしながら解説よそこでいいのかと思った自分がいた。というのも、どうしてこの作品は『木曜組曲』と題されたのかが読み終えるまでいまいちピンとこなかったのである。ある木曜日に向けて注目したタイトルであるならば、よくある音楽作品の題名にように『組曲「木曜」』でも問題はない。ゴロは悪い。
文筆業の女たちが出てくる作品だ。語感もあるだろうが、あえて『木曜組曲』である理由を、そのこだわりを私は探していたのである。

ここからは自分なりの思いを適当につらつらと書いておきたい。
そもそも〈組曲〉とは、音楽用語の一つであるがヨーロッパの時代に応じてその指すものは異なる。特に対比しやすいのは、ルネサンス期と(バロックを一つ飛ばして)ロマン派以降である。参照もとはざっくりwikipediaなのでてんで門外漢であることに留意されたい。
ルネサンス期のころの〈組曲〉は、明るく陽気な・もしくはあわただしいような曲と、落ち着いたり悲哀を思わせる曲が交互に組み合わせられたものを指していたという。かたやロマン派以降の〈組曲〉は、バレエ音楽やオペラなど本来はとてつもなく長い編成の中からいくつかを抜粋して組み上げたものを指すのだという。「バレエ組曲〈くるみ割り人形〉」などはその例であり、想像しやすいたとえだと思う。

この二つの定義と『木曜組曲』を照らし合わせると、なるほど様々な解釈が湧いて出てくると同時に恐ろしい可能性もあぶられる。
彼らの緩急ある2泊3日の時間の流れはルネサンス期の〈組曲〉に則ったものとうなずける。この場合は特段『木曜組曲』でも『組曲「木曜」』でもさほど違いは出ない気がする。
かたや、登場人物たちの語りによって炙られた4年前の出来事については、"あの木曜日"の前後にわたる長い時間の抜粋(しかも多角的)であるとして、ロマン派の組曲とも考えられる。この場合は、おそらく『組曲「木曜」』だろう。

では『木曜組曲』であるとしたら。もしこの題名を砕くとすれば「木曜の組曲」だ。そこに木曜の定冠詞はなく、あくまで毎年繰り返される木曜日(とその前後)に流れる時間の組曲だといえる。それは、特定の4年前の木曜日を指すのではなく、毎年訪れる同じ月日で彼女たちが集まる木曜日のこと、ひいては少し特別な気持ちをもたらす毎週の木曜日のこと、とどんどん引き延ばされ一般化されていく。

一般化された「木曜」において、この本はすべての木曜日の時間を記述しきれていない。彼女たちが集った作中の時間の中ですら、登場人物同士の監視やささやかな自分語りによって炙りだせた曲だけが小説の中に描かれている。それはこの木曜日前後のハイライトであり、毎年のその木曜日を象徴する曲たちである。それらを寄せ集めて『木曜組曲』としたのであれば、果たして著作に描かれた内容がすべての真実であるのだろうか。もし小説からこぼれた真実がまだあるとしたら。それは、本当の「木曜」にまで遡らなければならないはずだ。

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