リハックの中立性とその限界
リハック、中立っぽいふりをしていますが、実際はコンテンツの作り方も進行の仕方も、だいぶ偏ってますよね…
— さくら@兵庫県在住のギター女子 (@sakuragt_hyogo) December 7, 2024
こういうのを「中立なネットメディア」とはやし立てるのも、またネット民の愚かなところかと思います。 https://t.co/14Ou3YYJVm
リハックは高橋弘樹氏の運営するYouTubeメディアチャンネルであるが、そのあり方は果たして中立だろうか? 上記のツイートのように中立ではないという批判もある。一方で、高橋氏自身は中立という立場を目指していると語る。
高橋氏は動画の中で、「ファクト」という言葉を多用するが、ファクトが真実を意味するのであれもなかなか取り扱い注意である。
「たったひとつの「真実」なんてない: メディアは何を伝えているのか?」という本がある。メディアについてジャーナリストの方が書いている文章だ。中立という言葉や真実という言葉についての考え方の再考を迫られるものである。リハックの高橋氏がこの本を読んで中立や真実という言葉をどう考えるのか、そういう番組があればぜひ見てみたい。(おそらく高橋氏が西田氏に追及された主張は、この本のようなことを言いたかったのではないか?と思う)
だからあなたに覚えてほしい。事実は限りない多面体であること。 メディアが提供する断面は、あくまでもそのひとつでしかないということ。
リハックは形式的な形での中立性はそれなりに担保されていると思う。基本的には両方の立場の当事者のインタビューをそのまま流すスタイルだ。一方で、「当事者の言葉を」「性善説に基づいてインタビューし」「推定無罪のスタンスを取る」という形式は、結果として、疑惑がある論点については基本的に疑惑を否定する方向に働きやすいというバイアスがかかる。既存のメディアは疑惑の存在について要約をして性悪説的なスタンスで報道するために疑惑を追及する方向にバイアスがかかる。いくら中立を目指したところで、形式が誘導するバイアスは必ずある。