プラトン

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    日記代わりにその時考えていることを未整理のまま書き出しています。

最近の記事

バズるnoteの書き方と

ここを見ながらバズるnoteの特徴を考えていた。 最初に書いておくと、私はバズっているnoteよりもそうでないnoteが好きだったりする。 このnoteとてもいいな、と思う文章はだいたいいいねも一桁だし、一つもいいねがなかったりすることも多い。逆に、三桁や四桁のいいねがついているnoteを見ると、中にはげんなりした気持ちになることもあったりする。(もちろん、これは傾向の話である。基本的に私は大体のnoteが好きだ。映画や本の感想で、自分と反対の感想でも楽しく読めることがほ

    • 「ナミビアの砂漠」が気持ち悪い

      高校時代の友人に誘われて新宿で「ナミビアの砂漠」という映画を見てきた。好きになれなかった。この映画自体もそうだし、この映画がどういう風に受け止められているかについても、あまりいい思いを持てなかった。これはそういう感想文ですし、批判的と読んであなたが想像している通りの感想です。見たくない方はブラウザバックしていただければと思います。また下記ではネタバレも全開なのでそこにも注意。 ナミビアの砂漠のあらすじあらすじをまず振り返る。私の理解した映画のあらすじは以下のようなもの。

      • 村上春樹「風の歌を聴け」の解説・解釈 「嘘つき」の謎とはなんなのか?(僕はひとつしか嘘をつかなかった とはなにか?) 

        村上春樹のデビュー作である「風の歌を聴け」は難解なことで知られる小説です。例えばyahoo知恵袋にこんなような質問がありました。 以下に私が書く文章は、このような質問に対する私なりの回答です。この小説を丁寧に読んでいくと一貫したテーマと、あるルールに従って書かれていることが理解できると私は考えています。 先に結論を述べるとこの小説のテーマは、大体ある歌のサビと同じものだと私は考えています。これです。 そう、村上春樹のデビュー作は、ざっくり言ってしまうとSIAM SHAD

        • 人に優しくなれないのであれば、どうして学ぶ必要があるのだろうか?

          小さい頃の世界は単純だった。私にとって勉強というのは人間的・倫理的に修養し成長するための手段であり、社会的な成功へ近づく手段でもあり、またそれによって実際に社会に対して還元をするための手段でもあるという、万能薬であった。 勉強をすることで、人は倫理的に優れた存在になり、倫理的に優れた存在として社会に貢献をし、その結果人生として報われるという勧善懲悪でシンプルな世界観がそこにあった。 実際の世の中はどうなのだろう。 言うまでもない。倫理的に卓越していることと社会的に成功し

        バズるnoteの書き方と

        • 「ナミビアの砂漠」が気持ち悪い

        • 村上春樹「風の歌を聴け」の解説・解釈 「嘘つき」の謎とはなんなのか?(僕はひとつしか嘘をつかなかった とはなにか?) 

        • 人に優しくなれないのであれば、どうして学ぶ必要があるのだろうか?

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          3本

        記事

          なぜ村上春樹の作品は「キモい」のか?なぜあんなにセックスしなきゃいけないのか? それはコミュ障小説だからです。

          なぜ村上春樹の作品は「キモい」と言われるのか? なぜ村上春樹の作品ではあんなに何度も主人公がセックスをするのか? SNSで「キモい」と言われ、それによって炎上が頻繁に起こる村上春樹。村上春樹作品はキモいから読みたくないという人。いやいやキモいからこそ文学なんだという人。色々な人がいますが、果たして彼らは村上春樹をどれくらいきちんと読めているのでしょうか? 私はいつも疑問に思っています。村上春樹作品ってキモいんだろうか? キモいとしたらそれはなぜなんだろうか? セックスをたく

          なぜ村上春樹の作品は「キモい」のか?なぜあんなにセックスしなきゃいけないのか? それはコミュ障小説だからです。

          「村上春樹はキモいと今までずっと言えなかった」という呟きの炎上に対する個人的な感想の呟き

          藤井セイラさんという編集者/エッセイストの方がされた下記の呟きが炎上しています。 このツイートに対して、ともすれば感情的とも見えるような激しい批判のコメントが文芸関係者から噴出しています。例えば下記のようなツイートです。これは著名な書評家の豊崎由美さんによるものです。 これを見ると、少なくない数の人々は「村上春樹ファンの読書家が、村上春樹を批判されて怒っている」という図式だと理解をするかもしれません。それは、まるで、藤井セイラさんの言及、つまり「村上春樹を批判しづらい空気

          「村上春樹はキモいと今までずっと言えなかった」という呟きの炎上に対する個人的な感想の呟き

          休日の過ごし方とか最近考えてることとか

          総裁選についての動画を色々見た。出馬できなかった、経済産業大臣の齋藤健さんが一番好きだった。その次に小林鷹之さん。私にとっては、色々な争点の中で現実的かつ未来志向のエネルギー政策を描いてくれる候補が魅力的に見えたということだろう。最近はもう候補も実質的に絞られてきて少し飽き始めている。 newsオードリーを見て、東浩紀さんがどこかで言っていた「知る」ことと「考える」ことの違いを思い出した。若林さんが「学ぶ」ことを「考える」ことと結びつけていたからだった。 オードリーの若林さ

          休日の過ごし方とか最近考えてることとか

          会えなくなった人の夢をみた話

          ※小説です 昔の人の夢を見た。最初は夢だと気付かなかった。メッセージが送られてきていた。いつもの口調だった。俺は現実だとすっかり思っていたから、あ、そうなんだと思った。すぐに既読をつけるのは尻尾振ってるみたいで違うかなと思いながら、そうなんだ、なんて返事をしようかなと考え始めていた。それで、目を開けた。「目を開けた」? ことに俺は不思議になって、あ、これは夢なんだと思った。そうなんだ、と思った。悲しい気持ちがあるとか泣きたいかとか反射的に自分に問いかけて、いや、別にそんなんじ

          会えなくなった人の夢をみた話

          失恋未満

          ※小説です 10年間好きだった女に恋人ができていたことを何週間か何か月か遅れて知った時に、俺は、そんなことどうでもいいなと思うようになっていた。そもそも自分がその人のことを好きだったという時間とか好きだという気持ちとか、その理由も含めて全部、かつてはあれほど考えたことなのにまあどうでもよかった。そんなに彼女と付き合いたいと思っていなかったのははっきりした。それは自分のことを汚いと思っているからだった。容姿にしても心にしても自分は淀んでいて存在が悪臭を放っていて汚れているとい

          日記221029見たい現実だけ見るという人間の性について

          人間は見たい現実を見る。それは、自分にとって都合の良い現実ということである。言い換えれば、その価値基準においては他人との間で存在価値を持つことができると言い切れる価値基準を根底に置いて世界を眺める。 それは露悪的な言い方をすると他人より優れている自分を発見できるという、他者との比較の中での価値基準なのかもしれない。だがそれだけではないだろう。他者に必要とされているという形での、それも搾取ではなくて尊重という形において必要とされているということでの、存在価値を求める基準という

          日記221029見たい現実だけ見るという人間の性について

          日記221025

          依存症と貧困に関することをもう少し調べてみたい。自分が関心のあることを考えていてその二つに行き着いたから。思えば昔から関心があった。でもそういうことを公言するのも、自覚するのも嫌だった。なぜなら、自分は社会的に恵まれた層に属していると思っていたし、そういう人間が興味本位で観光のようにそういうことに関心を持っているという面をしているのがどうも自分ながらに嫌だったから。 だけど、最近、そうした問題が急に他人事でないと思うようになった。もはや就職して、経済的に自活をしていかなくて

          映画「線は、僕を描く」を解説しちゃうぞ

          映画「線は、僕を描く」を独断と偏見で解説しちゃいます。僕はここで「線は、僕を描く」というこのタイトルについて考えていきたい。 えっ、「僕は、線を描く」じゃないの? 逆じゃない? ははん、そうやって読者の気を引くんだな。 僕ももちろん、最初は一般的鑑賞者としてそういう風に考えてそういう風に映画を映画を見始めたわけです。なんで「線」が主語なんだろうって。 でも映画を観ると、ああそういうことね、と腑に落ちました。 結構スッキリ構成されていたから、一度気づくとその観点で映画の色

          映画「線は、僕を描く」を解説しちゃうぞ

          日記20221020 本を読みすぎている気がする

          本を読んでばかりいる。本を読んでばかりいると自分の考えがなくなってしまうので、よくないことだと思っている。これはショーペンハウアーが言っていたことだったはずである。 なぜ本を読んでばかりいるのかというと、読む必要がある本がたくさんあるからであるが、それはついつい本をたくさん買ってしまっているからである。 なぜ本をたくさん買ってしまうかというと、ある本を読んでいるとその本の中には大抵別の本が紹介されている。紹介されている本は気になってしまう。「いつか読むだろう」という気持ちでつ

          日記20221020 本を読みすぎている気がする

          時間・不在・ことば

          私は哲学をちゃんと勉強したこともないし、その方面の才能には恵まれていないので、何か新しくて正しいことを言おうと思ってこういう文章を書いているわけではなく、誰かに「こういう本を読むといいよ」と教えてもらえたらと思ってこの文章を書いています。 さっきまで哲学のオンライン講義を聞きながら、時間と不在(つまり存在のことかもしれませんが)とことばの関係性についてぼーっと(その割に夢中になって)考えていました。これは、思えば高校生くらいの時から考えている話の気がします。 物心ついてか

          時間・不在・ことば

          画像生成AIが跋扈する世の中では論文が漫画で書かれるようになるのだろうか

          書き散らし 未だに質の高い情報源として本は持て囃されている側面がある。例えば政治について質の高い情報を得ようと思ったらyoutubeでは限界がある。できれば入門書から始めても大学教授の書いた新書を読むのが望ましい、みたいな。もちろん、そこにはかつての「書籍」というもののブランド価値がまだ毀損しきっていないという側面もあるのだと思うけれど、それ以上に「書籍」という媒体が動画や漫画のような他の媒体と比較しても、用いる上での発信者側のハードルの低さというものもあると思う。 そも

          画像生成AIが跋扈する世の中では論文が漫画で書かれるようになるのだろうか

          気づかないうちに傲慢になっていた

          「22歳なんてもうそんなに可能性はない」「『勝負するに足りる場所』に出会えていることが羨ましい」「妙にいろんなことに手を出して中途半端」をはじめとして、反省しているようで、「本来ならもっと輝かしい未来があった」っていうある種のおごりがある気がするな 友人から言われたこの言葉が、気づけば頭から離れない。「おごり」と言おうか、「傲慢」と言おうか。真っ直ぐに指摘されて、その時はあまりなんとも思わなかったが、10日程度たった今になって、ああ本当にその通りかもしれないと思う。 実の

          気づかないうちに傲慢になっていた