三宅香帆アンチが三宅香帆にアドバイスしたい
三宅香帆が過大評価されている。というより、三宅香帆を批判しづらい雰囲気を、実名で言論活動をしている著名人から感じてしまう。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」は確かによく売れた。
先日のゲンロンのイベントをようやく拝見したけれど、「覇権を取りたい」「読者を増やしたい」と語る三宅香帆の問題意識の切実さの一方で、同時に、「どういう本を読ませたいのか」「本を読んでみんなが、一人で考える時間を持ててそれでどういう世の中を実現したいのか」ということに対する空虚さも感じざるを得なかった。
途中、三宅香帆に対して他の登壇者から厳しい指摘も相次いだが、私としては、その言葉が十分に届いていると思わない。三宅香帆の本は明らかに過大評価されているが、そのことを指摘するのはとても難しい。
なぜ過大評価されているのか? 単純に、売れているということだけが理由ではない。その下に、構造的に、3つ原因がある。ざっくりと以下である。
◯ジェンダーハラスメントリスクによる防壁
◯老害ハラスメントリスクによる防壁
◯社会に出てから言ってみろリスクによる防壁
1つ目のジェンダーハラスメントによるリスク。男性が女性に対して批判をすることは、内容に関わらず「マンスプレイニング」的な受け止め方をされるリスクに常に晒されている。
2つ目の老害ハラスメントによるリスク。年長者が三宅香帆を批判するのも、同様に、老害とみなされることのリスクを常に背負っている。
3つ目の社会に出てから言ってみろリスク。社会人経験のある三宅香帆に対して、もっぱら大学人である批評系の著名人が批判をすると、「大学人は社会を知らない」と非難されやすい。
そして、その上に、本が売れているという圧倒的な事実がある。この事実がある限り、「男性で年長者で大学人である批評家」が三宅香帆を批判したところで「売れてる人間に対する嫉妬」という印象は避け得ない。
以上の論点について、確認しておきたいのは、これは三宅香帆の本のクオリティに関係なく発生する構造的な現象だということだ。三宅香帆の本がどれだけ優れていたとしても、このように批判を封じ込める雰囲気は常に働いている。
これは、かなり危険である。危険というのは本人にとって危険である。
類似の現象が働いた事例を思い出せば危険性がよく分かる。フワちゃんである。あの、フワちゃんを批判するのはなんとなくクールじゃないという同調圧力。それはやす子という存在によって一気に崩れ去った。好感度が高いように思われていたにも関わらず、徹底的に非難された。
過剰な印象を与える評価は常に嫉妬を呼び起こす。そして、現在三宅香帆の影響力の強さはもっぱら、好感度とバズの技術に基づいた書籍売上というフローの収益に依っている。これはリスクが高い状況と言わざるを得ない。
この状況を回避しながら、一方で現在のインフレした好感度を活用して、覇権を握るにはどうしたらいいか? 三宅香帆はストックビジネスへの移行を考えなくてはいけない。つまり、コンテンツの生産者からプラットフォーマーになるということである。
そもそも本を読む人を増やしたいのであれば問題はコンテンツではなくてプラットフォームの問題である。トークサバイバーが人気なのはNetflixが強いからであり、漫才が人気なのはM1が強いからである。本が読まれないのだとしたら、それは個々の本の質の問題ではなく、Netflixに本屋が負けているということだ。イカゲームに漱石が負けているわけでない。
広義の意味でのプラットフォームは何もNetflixやTverのようなWebサービスに限らない。M1も一つのプラットフォームである。そうであるならば、芥川賞や直木賞もプラットフォームである。
三宅香帆が本を読む人を増やし、覇権を握りたいのであれば、やるべきなのは自分の書いた本をバズらせることではない。「三宅香帆賞」を作るべきだ。三宅香帆が創設した、新しい文体を持つ新しい著作家のための賞。この賞で本屋大賞と人文大賞を超え、芥川賞と直木賞を超える。三宅香帆に評価されることが人文、文芸で最も影響力を持つ状況を作ることだ。
おそらく、できる。簡単ではなかったとしても実現可能である。なぜならば直木賞も芥川賞も本屋大賞もじんぶん大賞もインターネットとSNSを前提にしていない。インターネット、SNSを前提としてリアルタイムで大勢の人が熱狂するライブイベントに仕立て上げればいい。三宅香帆一人では役不足だと思うなら、仲間を作り、グループとして「三宅香帆賞」を作ることだ。そして、三宅香帆のバズる力を徹底的にこの賞のマーケティングに注ぎ込み、日本一の賞を作ろう。間違いなく出版業界に革命が起きる。これが覇権ということではないだろうか?
書籍の売上は毎年減り続け止めようがない。本は衰退産業だ。求められているのはカンフル剤としてのスター作家ではない。新しい時代を始める革命である。
追記
状況論でない本自体への批判は下記に書いてあるのでそちらを参照していただければと思います。