結婚するために必要な「恋愛ゲーム」or「婚活ゲーム」
二日酔いのダウナーな状況でTwitter見てたらナンパ師のツイートが流れてきて「分かるんだけどそれはキモいんだよなあ」と思いながらテキトーに書いたこの記事に、なんと意外とコメントいただいたので、そこからちょっと改めて考えたこと。
こういう「恋愛」を違うゲームだと捉えて距離を置く考え方をいただいた。それが理想的だと思う。一方で私は恋愛に対してかなり失望している。
「こういう世界線の渦中に巻き込まれて運悪く、「裏切られ」、そして人間不信的な心情になって自分も保険のために相手を大切にしない行動をしてしまう…とかいうスパイラル」という言語化をいただいたが、私は自分の大学生時代の恋愛についてこういう反省をしている。(もう何年も昔の話だが)
私はナンパこそしたことないけれど、持ち前の好奇心で恋愛工学的な考え方はXの前から知ってたし(受験生の時に、英語の勉強で英語のナンパ指南本(the gameという本)を読んでいた記憶がある)。
また、私の恋愛経験はかなり歪んでいる方だと思う。男子校出身なので恋愛の始まりは大学1年生と言ってもいいのだが、初めて「付き合った」人(まあ手をつないだくらいなので付き合っていなかったという気もするが)は、一ヶ月もしないうちに「私は実は他に付き合っている人がいるの」と言い出した。話を聞くとその付き合っている人というのは、元々パパ活のパパだったのが、ずぶずぶになって付き合っているということだった(詳しく覚えていないので細かいディテールは忘れてしまったが)。浮気&パパ活のコンボというか「あ、女の子ってそういうものなんだ。」と思ったのを覚えている。
その次に付き合った女の子は、きちんと付き合ったが、付き合って3ヶ月くらいの時に「他の男の子と旅行してきていい?」と聞かれて、それはセックスをするのかと聞いたら「うん」と言われたので、私はなんて素直な人なんだろうと驚き呆れて感動しながらこの時点で「基本的に付き合ったところで女の子は浮気をするものだな」と思った。
それを除いても私がすごく仲良くなる女友達は、浮気をしている人が半分くらいいたので、私は基本的にそういう女性観を持っていたし、今でも心のどこかでそういう感覚を持っている。
そして私はその中で、恋愛工学的な考え方を融合させて、とにかく恋愛においては、どうせ相手も一途などではないんだから、他の女の影を匂わせながら相手を執着させようと考える節があった。今みたいなデブになってみれば、そんなことをやっていたら滑稽でしかないだろうし、当時もまあある程度滑稽だったとは思うが。
大学を卒業して、そういうのは考えるのはくだらないなと心底思ったが、そこから私はあまり恋愛をしていないと思う。
社会人になると恋愛をするのは難しい。職場での出会いがある人もいるのだろうが私にはそういうものはないし、マッチングアプリか合コンか友人の紹介かということになるのだろうが、友人の紹介はあまり当てにならず、合コンやマッチングアプリになれば、ある程度のゲーム性をどうしても帯びてしまうからだ。顔が良かったり、職業で非常に魅力がある場合は違うのかもしれないけど、私みたいな人間が「勝とう」とすると作為と戦略が必要になる。
婚活は私は経験したことがないが、ドキュメンタリーなんかを見るとこれもかなりの戦略を必要とするものではないかなと思う。恋愛工学とはまた違う形でのゲームがそこには広がっているような気がする。
ゲームから離れた理想的な形での恋愛をするためには、お互いの素の部分をじっくりと知れるようなコミュニティが必要だと思うが、基本的には、今の社会は会社も働き方改革が進みイベントも飲み会も減り、コミュニティとしての要素を薄めている。それはいいことではあると思うし、社内恋愛はハラスメントと近いところにもあるだろうから、そういう意味でも評価すべきことではあるけど、ゲーム性を帯びない恋愛のフィールドとしては機能しづらくなっている。
かと言って皆がネットという形で点でつながるようになった時代、会社から離れたところでもコミュニティを持てるものは少数で、恋愛をするためにはある程度のゲーム性を通過せざるを得ないのではないか 少なくともそう考える人は、増えてきているんじゃないかと思う。
であればあまり現状救いはなく、少子化、宜なるかなという感想である。
これは恋愛というテーマに限ることではなく、インターネットが人を孤独にさせるという話だ。「推し燃ゆ」を読んだ時にそんなことを、思った記憶があるのでまた読み返してみようかな。
もちろんこれは荒い考えなので幾らでも反論はできるだろうけど。