あるいはヴィンテージは救済なのかもしれない

 時間の経過によって自身の何かが損なわれていくような感覚がある。それは直接訴えかけてくるようなものではなく、いつもそこにあったのかもしれないが、トイレで用を足しているときなどにふと見つけてしまうのだ。だからといって何を恐れたらよいのかは分からない。対象が分かれば対処のしようがあるのだが、得体の知れない感覚を前に僕は孤独であるだけだ。

 先日のこと、銀座にあるジーンズの専門店に行った。そこで店員からデニム愛好家と呼ばれる人たちの世界について教えてもらった。加工のないまっさらなものを何年も履きつづけることで独自の味をだしていくらしい。実際に履きこむ前と後のものを見せてもらった。黒くてのっぺりとしていた生地が、鮮やかなブルーになっていた。それはあるところでは水面のきらめきのような形に淡く脱色し、またあるところでは土の匂いを含ませ、またあるところでは圧力に耐えきれなかったのか内部の糸を晒し穴となっていた。それは僕によく晴れた日の海岸を連想させ、誰かの体温、夕暮れの雑踏を思わせた。そして、日々消失していく埃のような気に留める必要のない情報たちがそこで生きているように見せた。

 僕は今日からデニムを履きはじめた。以前とは違う、象徴として。
 

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