料理をするための料理

土曜日の朝に窓際で玉ねぎをすりおろしていたんです。その時になんとなく、いま幸せだなと感じました。その玉ねぎは3つもあって、腕が疲れるし涙も出てくるし、すりおろした後も30分くらい弱火で炒めなければならないんです。でも、その面倒であるはずの時間が、なんとなく僕の人生において貴重な時間であるように思えました。

1年ほど前は料理なんてたまにしかしていませんでした。外食や惣菜に飽きた頃に思いつきで作るみたいな。だからできるだけ手軽に完結するものしか作っていませんでした。切って炒めるだけ or 切って煮るだけ。

コロナ禍で自炊をすることが多くなったことで、幾分手際は良くなり、扱う食材や調味料の幅が広がりました。そしていつの間にか、切って和えて寝かして、すりおろして炒めて煮て、味を整えることも苦ではなくなっていたのです。

正しいのか正しくないのかを自分のフィルターにかけ識別していく日常がある一方、玉ねぎをすりおろしていたあの時間には純粋な美しさがあったのかもしれません。

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